無駄のない世の中で「君たちはどう生きるか」を観る意味
現在は無駄のない世の中になっている気がする。
「無駄」の定義は人それぞれですが、
ここで示したいのは「時間」にします。
電車やバスの時刻表は「無駄」な時間短縮のために、電光掲示板に代わった。
お釜で炊いてたご飯は炊き上がるとピーっと鳴る炊飯器に代わった。
友達と会って最近何があったか聞かずSNSでチェックできるように代わった。
そして、映画にハズレがないように、
広告や情報が溢れた。
以前、西野亮廣が「鬼滅の刃の映画がヒットしたのは、漫画をそのまま映像化したからだ」と言っていた。
当たるか当たらないかわからない作品にお金を払う人が減ったからだ。
YouTubeで予告を見たり、誰かのネタバレを聞いてから行く。
それをビジネスとして有りと捉えるか、エンタメとして無しと捉えるかは人それぞれだけど、
そんな世の中に事前情報なしの「君たちはどう生きるか」は、面白いか面白くないかは別としてお金を払うべきだと私は思います。
何もわからない事にお金を払って、
何もわからない事を面白がれるか。
それはエンタメとしてではなく、人の豊かさにも繋がるんじゃないかなとも思います。
人は悩みがあったら、すぐに解決しようとする。
「うわ、自分めっちゃ落ち込んでる。そもそもなぜ落ち込んでるんだろう。なぜ悲しいんだろう。そう思うキッカケってなんだったんだろう。幼少期のトラウマからきてるんじゃないだろうか。あれ、気づいたら2時間も公園のベンチでぼーっとしてるやん」
なんてことしてる人が現代いるだろうか、
Yahoo知恵袋ですぐ調べて解決してるのではないか。
考える事を失った世の中で
私は「君たちはどう生きるか」を見ながら、
分からない事に高揚しました。
どういうことだろう、なにを思ってこの作品を作ったんだろう…
答えが溢れている世の中に、こんな考えるキッカケを作ってくれた宮崎駿に拍手でした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?