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巨匠とマルガリータ

簡潔な感想

「20世紀の偉大な芸術は共産圏から生まれる」

J.P.サルトルの言う通りかもしれない。

官僚的なふてぶてしい猫がしゃべり、正常な人びとは消えていき、あるいは、精神病院の患者となり、狂人や自分の頭で考えない者たちは悪魔に翻弄される。
臆病者は罪深い。信念のある言葉は抵抗し、残る。
テンポも良く、彼の想像力の凄まじさともに、物語が進む。

小説内小説も小説とフーガの技法によって奏でられ、最後に主旋律である、愛と赦しによって解き放たれた魂たちが共鳴しあっている。

ドストエフスキー並みの作家でスターリン政権下であったがために潰された作品だと思ったと同時に、ブルガーコフの信仰心も根底にあるように感じた作品だった。彼が教会含めあらゆる権力に対し反対の姿勢であったとしても、信仰心はあったと僕は感じた。

素晴らしい作品だった。

抑圧された中での希望と愛と赦し、信仰
ブルガーコフの巨匠とマルガリータの僕なりのテーマ。

これを無神論者や愛をせせら笑う孤絶を好み即物的で現代的なひとたちが読んで理解するのだろうか。
どこかで理解してほしいと願う。

以下は感想のような散文

名前のない誰かの悲鳴

「……それで結局、いったい、おまえは何者なのだ?」
「私は永遠に悪を欲し、永遠に善をなすあの力の一部なのです」
『ファウスト』ゲーテ

ゲーテのファウストで予兆させる揺らぐ善悪と悪魔と天使と地獄と天国の境界。

『巨匠とマルガリータ』の第一部がはじまる前に差し込まれていた。
悪魔は天使であり天使は悪魔でもあるのだ。
微笑みを浮かべてただ僕を見つめる誰かがこう言う。

「じゃあ、あなたは何者なの」

僕は詩人でもないし小説家でもないし哲学者でもない。偶然、僕はこの地球に落下した獅子座レグルスの記憶の残骸だ。
歴史は個々の記憶の断片を繋いだものではなく、ときには勝者のみのものであったり、悲壮な敗者たちの抒情詩から感じるものかもしれず、それらは誇張されたものなのか真実なのか、そもそも歴史があったところで、我々が滅亡の一途をたどったところで、この広大な宇宙の誰が困るというのだ?

ドストエフスキーとかだったら顔パスかもしれないローマの円形劇場に登場する美男美女たちの紡ぐ物語を聴くために高い金を払い、僕は獅子座からやってきたはずだった。それが、寒々しい北の方の国の狂人の殺戮を目撃する羽目になったり、熱い蠅のたかる国での爆撃を遠いラジオ放送のように聴いたり、人知れず抑圧され文化も思想も粉々にされる軍隊に抑圧された山間の人々に想いを馳せる羽目になっている。

馬鹿げている。
夢でしかないといってくれ。
目を閉じて政治家ではない新進気鋭の作曲家のスターリン指揮の「愛と赦しとイエスキリスト」を聴く。

はじめに

キエフ(キーウ)出身のロシア文学者、ブルガーコフの遺作にて代表作、『巨匠とマルガリータ』を読んだ。
犬の心臓に続いて彼の作品の2作目である。

全編を通して僕が感じたのは、著者のキリスト教的な愛と赦しにまつわるテーマと自らを捉え苦しめることからの自由がそれら(愛と赦し)によって可能であるということと、復活である。

非常に僕はこの点に関して共鳴できるとともに、ブルガーコフのウィットに飛んだ風刺や犬の心臓同様に、動物である猫が人間、しかもかなりまっとうな、のように話し、行動したり、黒魔術師の演出など、非常にイマジネーション豊かな彼の世界観の中で、いくつかの信念に裏打ちされているかのような力強い言葉たちに翻弄された。

音楽とブルガーコフ作品の登場人物たち

編集長ベルリオーズと作曲家ベルリオーズ

まず最初に出てくる人物が「ベルリオーズ」である。
作曲家ではない、ベルリーズ。生粋のロマンティストの作曲家の方のベルリオーズの名を付けられた小説の登場人物で編集長のベルリオーズ。
作曲家でないベルリオーズは大変博識な無神論者として最初に登場する。
僕には宿なしのイワンのほうがベルリオーズに見えてくるくらいだが。

ベルリオーズと言えば、カラヤン指揮の幻想交響曲を思い出す。

生まれつきのロマンティスト、フランス人作曲家ベルリオーズは1829年にゲーテの『ファウスト』を読んで感銘を受け、「ファウストからの8つの情景」を作曲している。のちに、これを元にし、代表作のひとつである劇的物語、オペラファウストの劫罰を作曲する。

オペラのあらすじ
老博士ファウストは人生に絶望し、毒を飲もうとしていた。
そこに悪魔メフィストフェレスが現われ、ファウストとメフィストフェレスは村の美しい娘マルガリータの部屋に忍び込む。
メフィストフェレスの魔法によってマルガリータは恋の炎が芽生え、ファウストとマルガリータは恋に落ちる。
マルガリータは毎晩ファウストが訪れるときに、母親に睡眠薬を飲ませていたが、誤ってそれによって母親を殺してしまった。これにより、マルガリータは絞首刑が下される。
ファウストはマルガリータを救うために、メフィストフェレスと契約を交わし、地獄にて炎に焼かれる。
マルガリータの贖われた魂は、天使たちによって天上へと迎えられる。
※オペラとゲーテのファウストのあらすじは異なる。
ファウストの劫罰
ベルリオーズ

このオペラのあらすじと、新訳聖書マタイの福音書27・1-2,11-26(イエスさまがピラトの元に連れてゆかれ、十字架に張りつけられる)を入れ子のように小説内小説とし、最後に融合させられているような錯覚を僕は覚えた。

僕はレビ・マタイが黒魔術師(悪魔)ヴォランドの正体なのではないかと勝手に思っている。

当時のスターリン政権の圧政での密告社会や、反体制的なことをいうなれば即逮捕という社会、文学などの検閲などを考慮すると、警察が現われて、ひとが消えていくという状況=アパートから次々に人々が消え、また精神病院に入れられていくという本書の風刺が刺さりつつ、ベルリオーズの行進曲が勝手に脳内で再生されつづけた。
大義名分のもとで精神病院をまるで行進しているようなイワンの姿が目に浮かぶ。


医師ストラヴィンスキーと作曲家ストラヴィンスキー

作曲家でないストラヴィンスキーも登場する。
精神科のドクターだ。

作曲家のストラヴィンスキーはロシアのバレエ音楽や交響曲を多く残した偉大な作曲家である。

小説の中の精神病院の中の狂人たちのほうが正常で、当時の政権トップ狂人聖者のスターリンに翻弄され、盲目的に従わざるを得なかった人々が狂人でもあるようにすら思えてくる。

さて、なぜここでブルガーコフは精神科ドクターにストラヴィンスキーという名を与えたのだろうか……。

春の祭典の緊迫感溢れる不協和音を聴いていると、彼らの真実を訴えようともがく姿と医師=コントロールしようとするものたちとの軋みのように思えてならない。

プーシキン

全編にダンテスとの決闘で死んだプーシキンが流れてもいる。
ヴォランドの魔術が公演される劇場で僕はプーシキンの詩を朗読する顔のない誰かを想像した。
ロシア革命後、政治犯たちが歌い上げた古いシベリア流刑の歌とともに。

悪とよばれたものが、すべてある日、名誉に変わる。

プーシキンといえば、僕の妻はプーシキンオタクでもある。
彼女が好きなプーシキンの詩は載っていなかった。

君ゆえに我が声はやさしくも悩ましげ
深まりゆく漆黒の夜のしじまを
不安の渦におとしいれる
我が寝床のそばに悲しげに蝋燭の光はゆらめき仄見え
我が詩は流れゆきさゞめく
愛のせゝらぎのごとく流れ、あなたに一杯の思いを満たす
夜闇のなかあなたの瞳は我が前に輝き
我にほほえみかけその声の響きを我は聞く
わがきみ わがやさしくもいとおしき人
あなたを愛している・・・
あたしはあなたの・・・あなたのもの・・・・・
夜 プーシキン


巨匠とマルガリータの対位法

主題 キリストによる愛と赦し、副題 ピラトの苦悩と解放

根底に流れる主旋律はキリスト教の愛と赦しのように僕は思える。
ブルガーコフはロシア正教ではあるが、同じキリスト教徒なのだろうなと僕は読んでいてずっと感じた。

副題として、登場人物たちや、モスクワの人々の喧騒からも垣間見れる苦悩がある。

作曲家ではないベルリオーズが無神論を展開するべく、うだつの上がらない詩人、宿なしのイワンにイエスさまがただの物語にすぎないといった具合の記事を書くように依頼する。イワンは生き生きとしたイエスさまの姿を描き、ベルリオーズは憤慨し、様々な歴史的事実をイワンに教えようとする。

自称巨匠とマルガリータは作曲家のベルリオーズのファウストとマルガリータのように燃え上がるような恋をしていた。

二人は、出会う前から既にお互い恋をするかのようにして、愛し合っていたが、マルガリータはとりわけ巨匠の書いた小説を愛していた。
僕は最初、マルガリータが愛したのは小説であって、巨匠自身じゃないのではないか?とすら思えた。

巨匠の小説の内容は、前述のイワンが書こうとした人間らしいイエスさまの話と同じ内容であった。

新約聖書、マタイによる福音書ではピラトの尋問がきちんと端的に書かれているが、ルカをみるともう少しわかりやすく書かれている。

イエスさまはガリラヤ人かどうかヘロデに尋ねたピラト。
そして、イエスさまに死に値するような罪がないことをヘロデもピラトも悟り、釈放しようとする。
しかし、民衆の要求により、イエスさまを十字架張りつけの刑(当時では極刑であり死刑)にし、都で暴動と殺人を行ったバラバを解放する。
ルカによる福音書23・3-24

ブルガーコフの小説内小説ではこのピラトの罪なき人の子イエスさまを死刑にしたというピラト自身の苦悩が描かれていく。

スターリンの大粛清の時代、民衆たちはどうであったのだろうか。
想いを馳せる。

燃えることを抵抗する文章たち

爪を痛めながらノートを引き裂き、真紀の間に縦にして押し込み、火かき棒で紙をかきまわしました。ときどき灰に苦しめられた理、炎に息がつまりそうになったりしましたが、それと闘いつづけると、小説は執拗に抵抗しながらも、やはり滅んでゆきました。見覚えのある言葉が目の前にちらつき、どのページも下から上の部分へと勢いよく黄色く変わってゆきますが、それでもやはり、言葉は黄色くなったページの上に浮き出ていました。紙が真っ黒になり、私が怒りにかられて火かき棒で最後の息の根をとめたときに、それらの言葉はようやく消滅したのでした。
巨匠とマルガリータ 13章 主人公の登場 ブルガーコフ 訳 水野忠夫 岩波文庫p303

抑圧によって自分自身で自分の言葉を消滅へと向かわせた巨匠。
必死に抵抗しようとしながらも消えていく。
虚無を感じざるを得ないシーンであった。

原稿は燃えないもの

しかし、ブルガーコフの小説は悲劇だけで終わらない。
ヴァランドはモスクワの人々を翻弄し、巨匠とマルガリータの愛はすべてを包み込むようにして赦し彼ら自身で身動きのとれなくなっていた自分たちを解放する、自由を獲得するかのような最後を迎える。

小説の中のピラトもこうして苦悩から解放されたのではないだろうか。

愛とは赦すことである。

いまの世界情勢をみると、なぜ人々は数千年かけてもそのことができないのか、と思わずにはいられない。

名前のない誰かの叫び

いがみ合いは、どうして終わらないの。

目が覚めると、僕は深い闇と眩しい光の境目に立ち尽くしているだけで、僕のくだらないすべての言葉を彼女が引きちぎりながら、掬い、3人でロケットプーシキン号に乗り込んだ。

艦長はいない。消えた。3人だけで離れていく寒々としたどろどろの丸いゴムボールみたいな地球を窓から見下ろす。
あれは虚構なのだ。

そうひとりごとを言って僕は黒い翼でふたりの僕の大事な大事な大事なひとたちがもうおかしな幻想を目にしなくていいように覆った。

闇が覆い、空に魔女が愛のために駆けずり回る。

誰も傷つけられない場所へ。
85億光年先の獅子座へ戻るのだ。

音楽はもう聴こえない。



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