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ジョン・レノンの日本愛 ~禅と俳句が彩った音楽人生~

今回の記事は以下「レコード物語」マガシンに収録させて頂きます。


はじめに

以下のyoutube動画の内容が素晴らしくまとまっておりましたので 記事にさせて頂きます。どうぞ、よろしくお願い致します。

ビートルズのメンバーとして世界を熱狂の渦に巻き込んだジョン・レノンは、熱烈な日本好きとしても知られています。妻の小野洋子さんが日本人だったことから、ジョンの日本愛は彼女の影響だと思われがちですが、実はジョンは洋子さんと出会う以前から日本文化に強い興味を抱いていました。本記事では、ジョン・レノンの日本への深い愛着と、日本文化が彼の音楽に与えた計り知れない影響を探ります。

【若き日に芽生えた日本への憧れ】

ジョンが日本に関心を持ったのは、1958年に美術専門学校に通っていた頃のこと。友人が所有していた日本の古い写真集の中で、ジョンは相撲力士の美しい写真に魅了されます。いつか日本に行って本場の相撲を観戦したいという思いが、若きジョンの胸に宿ったのです。

【ビートルズ来日と骨董店巡りの思い出】

1966年、世界中のファンを熱狂させていたビートルズが、初の日本公演を行います。メンバー4人は日本文化に触れることを心待ちにしていましたが、厳重すぎる警備のために自由な行動が制限されてしまいます。それでもジョンとポールは、警備の目をかいくぐってホテルを脱出。ポールは間もなく見つかり連れ戻されてしまいますが、ジョンはカメラマンに変装して、念願の骨董店巡りを満喫したのです。

【鋭い美的感覚で選び抜かれた骨董品】

ジョンが次々と骨董品を購入する様子を見守った店員は、のちにこう語っています。「ジョン・レノンほど骨董品に熱心な外国人は見たことがない。値段を告げる前に品物を見せるだけなのに、本当に良いものばかりを選んでいく」。単なる珍しさではなく、日本の美術品の本質的な価値をしっかりと見抜くジョンの審美眼に、店員たちも舌を巻いたといいます。

【小野洋子との運命的な出会い】

ビートルズが日本公演を行ってから約4ヶ月後、ジョンは前衛芸術家の小野洋子と出会います。洋子の斬新な作品に心を動かされたジョンは、彼女の個展会場を訪れ、そこで初めて洋子と言葉を交わしました。二人を結びつけたのは、日本人だからではなく、芸術に対する感性の深さでした。洋子との交際をきっかけに、ジョンの日本文化への関心は一層の深まりを見せます。

【禅と俳句の精神性が息づく音楽】

日本文化の中でもジョンが特に傾倒したのは、禅と俳句でした。1968年にビートルズが発表した「アクロス・ザ・ユニバース」「ビコーズ」といった楽曲には、禅と俳句から影響を受けたシンプルかつ詩的な歌詞が印象的です。ビートルズ解散後の1970年に発表されたジョンのソロアルバム『ジョンの魂』も、禅と俳句の思想が色濃く反映された作品だとジョン自身が語っています。

【魂で感じ取った歌舞伎の神髄】

1971年、ジョンと洋子が再び来日した際のエピソードは、ジョンの日本文化への深い理解を物語っています。二人が観劇した歌舞伎「隅田川」は、言葉が一切分からないジョンの胸を打ち、彼は感動のあまり涙を流したといいます。役者の魂の演技に触れたジョンは、「芝居は目で見るものではなく、魂で感じ取るものだ」と語ったそうです。この体験について、ジョンを歌舞伎に案内した骨董店主の木村東介さんは、「ジョンは日本人以上に歌舞伎の真髄を理解していた」と賞賛しています。

参考URL

【日本文化を通して深めた人間性】

1970年代後半、音楽活動を一時休止したジョンは、家族とともに日本で長期滞在を繰り返します。日本語の習得にも意欲的に取り組み、「渋い」「侘び寂び」といった日本特有の美意識も自然と身につけていったようです。日本文化に対する真摯な探求は、ジョンの人間性を一層深めていったのではないでしょうか。

「侘び寂び」は、日本の美意識や美学を代表する概念で、禅宗に由来するものです。シンプルさと不完全さの美学を扱い、シンプルで古くなったものの美しさを認識し、それに満足し、感謝し、楽しむ態度全般を指します

「侘び寂び」

【「イマジン」に込められた禅の思想】

ジョンの代表曲として知られる「イマジン」は、禅の思想から大きな影響を受けています。物質的なものに囚われず、自己と世界との一体性を説く禅の教えは、「想像してごらん、世界中に国境がないことを」という歌詞に反映されているのです。また、「イマジン」に通底するシンプルでストレートな表現は、俳句の美学とも通じるものがあります。

「イマジン」日本語翻訳

天国がないと想像してみて、
試してみれば簡単だよ、
私たちの下に地獄はなく、
私たちの上にはただの空。
すべての人々が
今日を生きることを想像してみて。ああ

国境がないと想像してみて、
それを実現するのは難しくない、
殺したり死んだりする理由もなく
宗教もない。
すべての人々が
平和に生きることを想像してみて。うん

夢見る人だと言われるかもしれないけれど、
私だけじゃない、
いつかあなたも私たちに加わり
世界が一つになることを願っている。

所有物がないことを想像してみて、
できるかな、不思議だね
欲や飢餓の必要なしに
人類の兄弟愛。
すべての人々が
世界全体を分かち合うことを想像してみて。うん

夢見る人だと言われるかもしれないけれど、
私だけじゃない、
いつかあなたも私たちに加わり
世界が一つとして生きることを願っている。

【家族への愛と悲劇的な最期】

1975年10月、ジョンと洋子の間に待望の息子ショーンが誕生します。ジョンはショーンの育児に専念するため、音楽活動を5年間休止。家族との時間を大切にしながら、禅や俳句など日本文化の探求も続けました。しかし1980年12月8日、ジョンはマンハッタンの自宅前で、狂信的なファンに射殺されるという悲劇に見舞われます。40歳という若さでこの世を去ったジョンでしたが、彼が遺した音楽と思想は、今なお世界中の人々を魅了してやみません。

ジョン・レノンにとって日本文化は、単なる興味の対象ではなく、人生そのものを深く彩るものでした。禅と俳句から学んだ精神性は、音楽活動だけでなく、人間としての在り方にも大きな影響を与えたのです。妻の洋子や息子のショーンとの幸せな日々は、ジョンに安らぎをもたらし、彼の内なる平和への思いを育んでいったことでしょう。ジョン・レノンという稀代のアーティストが愛した日本文化は、私たち日本人が世界に誇るべき宝だといえるのではないでしょうか。

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