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「全体主義との戦い」を描く一冊

ファシズム。全体主義。

この言葉、歴史の授業で一度は耳にしていると思います。

戦時中の特殊な環境で一時的に生まれた自由のない空間。政府の決めた方針に異論を唱えることが許されず、国民が互いを監視し合い、密告が奨励された社会。きっとそういう認識ですよね。つまり「過去」の過ちだと。

本当にそうでしょうか? 

国の推し進める政策に対して「それは違うのでは」「子どもたちに対して危険なのでは」「実際に世界各国でこういうデータがありますし」と科学的根拠を示したうえで慎重論を唱える行為を「デマ」と決めつけ、動画やコメントを削除する。これだって立派な「全体主義」なのです。

表立って戦うことは難しい。でもできることが皆無というわけでもありません。そのひとつが「創作」です。たとえば江戸・寛政期に初演された歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」。あらすじを見れば、いわゆる「赤穂事件」を扱っているのは明らか。ただしあくまでも室町時代の物語なのです。

当時、文芸や戯曲においてリアルタイムの事件を取り上げることは禁じられていました。作品の趣旨が「幕政批判」と受け取られれば、ただでは済みません。そういった事態を避け、なおかつ言うべきことを世間に広く訴えるための知恵と工夫を「仮名手本~」に感じませんか?

とはいえ、時代や舞台を変えれば規制を必ずすり抜けられるとは限らない。戯作家・山東京伝は手鎖50日の処分を受けましたし、版元・蔦屋重三郎は財産の半分を没収されています。

いまはまだそこまでの状況ではない。でもそうならないという保証もない。ツイッターやYouTubeを見ていると危機感が募ります。

そんな現代にあって「全体主義との戦い」を熱い筆致で堂々と描いている作品を見つけました。もちろん著者の真意はわかりません。単なる偶然かもしれない。だとしても応援せずにはいられません。

ご紹介させてください。

「チ。―地球の運動について―」です。著者は魚豊(うおと)さん。現時点で6集まで出ています。

舞台は15世紀のヨーロッパでテーマは「地動説」。その頃は異端思想とされていて、唱えれば逮捕された挙句に拷問されました。それでも説を捨てなければ火炙りの刑。「天動説」の正当性を疑うことすら許されませんでした。

21世紀に生きる我々は「天動説」が誤りであると知っています。しかしその可能性を訴えることですら、かつては処罰の対象だったのです。不条理の極み。でもそんな状況下にあってもなお「真理」を知るために研究を続ける人たちがいました。

彼らのひとりはこんなセリフを残しています。

「『自らが間違ってる可能性』を肯定する姿勢が、学術とか研究には大切なんじゃないか」「第三者による反論が許されないならそれは_信仰だ」「信仰の尊さは理論や理屈を超えたところにあると思いますが、それは研究とは棲み分けられるべきでは?」 

どうでしょう? どこかの国の専門家(及び彼らの話を信じる政治家)に読ませたいと感じませんか? あなた方がやっていることは本当に研究ですかと。「論語」にもありますよね。「過ちて改めざる、是れを過ちと謂う」と。

大切なのは同調圧力に流されず、大事な判断を他人に委ねず、自分の頭で何が「真理」かを考えること。偉い人の見解や多数派の言い分が常に正しいとは限りません。今作を読むことで改めてそう確信しました。

いまの日本に必要だと断言できる一冊です。ぜひ。

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