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ハードボイルド書店員日記<51>

「お久し振りです。さっきいらしてましたよね。どうでした?」

休日。帰宅後にTシャツを着替え、キレートレモンを飲んでいるとLINEが来た。アイツだ。やはり気づかれていた。これから休憩だろう。大人しく休んでいればいいのに律儀な男だ。

「久し振り。悪くなかったよ」「ぼく、いま雑誌担当なんですけどどう思いました?」「俺がいたころよりも見やすくなってた。ナンプレ誌の横にフェア台を置いたのがいい」「それぼくのアイデアです! 嬉しいなあ。ウチはナンプレの売り上げいいのに、置き切れなくてかなり返してたから」「反対側の棚の芸能誌もあそこに展開できるな」「そうなんです! スペースがあるから大量に出せて補充の手間が省けるんです。さすがよく見てますね」こういう会話は終わるタイミングが難しい。締めの流れを考えていると次のLINEが来た。

「こうした方がいい、とかもお願いします!」「○○○○○○があったけど売れてる?」取次を介さない直仕入れのビジネス誌だ。仕事帰りの会社員が大勢来る店なら動く。だがあそこの客は地元のファミリー層が大半だ。近くに大企業のオフィスがあるわけでもない。「いえ、あまり」「バックナンバーまで面陳してたけど、あれ返品了解をもらうのが面倒なだけだろ。スペースがもったいない」「バレましたか。実はもうひとりの担当が丸の内から来た係長で」立地や客層の違いを考えず、ただ己のやり方を押し通すタイプか。当然出世しないが自己評価は驚くほど高い。

「あとNHK。100分de名著5月号が積んであった。もうすぐ9月だぞ。さすがに差しでいい」「あれもその人がテキストの横に原著を積んだので動かせなくて」「売れてる?」「だいぶ前にどちらも止まってます」「言わないと。それも仕事だ」「ですね」彼よりも年齢がだいぶ上なのだろう。異性という可能性もある。

「原著で思い出した。洋書のコーナーができてたけど、あれ要るか?」「新しい店長のアイデアです。外国人のお客さんがオリンピックで大勢来るからと」「いつ決めたの?」「去年の春先に」「とっくに状況が変わってる。入り口横の一等地をあれで潰すのは理解できない。五輪グッズを並べる方がまだいい」「ぼくもそう思います。でも店長が『本屋は本を売らないと』っていう人で、文具や雑貨の展開に消極的なんです」気持ちはわかる。だが利益率の低さを考えたら本だけで数字を伸ばすのは厳しい。本気でそういう店を目指すなら相応の目利きも求められる。

あまり責めても悪い。そろそろ頃合いだ。「じゃあな」「何も買わなかったですよね? 書店に行ったらいつも何かしら買うのに」よく見ている。もう少し経験を積んだら準社員に推薦される素材だ。「率直に言う。ただ入って来た荷物を並べている店だった。店員の顔が見えたのは雑誌と文芸書ぐらい」「文芸は店長です。あの人の選書は面白いですよね」たしかに面白い。キャリアの長さと商品知識の豊富さを感じた。だがおそらく雑誌担当の係長と同じく、好きな本を中心に据えるタイプだ。それはそれでいい点もある。だが責任者の仕事は全体に気を配ることだ。自分の棚だけこだわっても仕方ない。

「あとどの棚も汚い。すれ違った際に『いらっしゃいませ』の声掛けがないのもダメ。万引き防止の観点からも良くない」つい言葉が厳しくなった。時間と人手が足りないのはわかってるのに。私があの店を辞めた理由のひとつがそれなのに。

しばらくして「ありがとうございます! 自分の考えが的外れじゃないとわかって安心しました」という返信が来た。こちらも安心した。「最後に。棚作りのコツとかいろいろ見て学びたいんですけど、どこの書店がオススメですか?」いい質問だ。

「表参道の『青山ブックセンター』と篠崎の『読書のすすめ』。このふたつに行くといい」「わかりました」「行ったら買えよ。勉強させてもらうんだから」「もちろんです。先輩も次は買ってくださいね」「そうする」「あと遠慮しないで声掛けてください。たまにお客さんから先輩の名前出るんですよ」苦手な話になりそうなので「じゃあな」と終わらせた。45分が風のように過ぎていた。

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