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パッチワーク

 世界が滅亡するスイッチが作れたらどんなにいいだろう、と慎吾は高校生にもなってそんなくだらないことをホームルーム中に考えていた。今日は転校生がやってくるという。自分にはどうせ関係ないけど、と日本史の大塩平八郎の乱のページを破いて紙飛行機を作り、窓から校庭に向かって投げる。
 紙飛行機はふわりと飛び上がったかと思うと、横風に煽られてバランスを崩し、錐もみ回転をしながらどぶのような観察池の中に墜落した。
 ちぇ、と不貞腐れていると、転校生が教室の中に入って来る。女子だった。それも人目を引いて仕方ないような、赤髪ツインテール、赤い目の美少女だ。外国人だろうか、などと慎吾がぼんやり考えていると、彼女は挨拶することなく、戸惑う担任を置き去りにして真っ直ぐに慎吾の方へ向かってきた。
 慎吾が半ばのけ反りながらどぎまぎして視線をきょろきょろさせていると、彼女は「見つけた」と薔薇の花が開くような麗しい笑みを浮かべて言い、慎吾の手を取った。
 女子から手を握られたことなど初めてだった慎吾は天にも昇る思いだったが、自分の手を握った彼女の腕を見て、血の気が引いた。
 彼女の腕は、皮膚が様々な人種の皮膚を切って貼ったような、パッチワークを思わせるつぎはぎの腕だったのだ。慎吾は顔を引きつらせて腕を引こうとするが、腕がまったく動かない。さしたる力を込めているようでもないのに、びくともしなかった。おまけに彼女の顔に張り付いた微笑は微塵も崩れない。
「立花慎吾、あなたは四十年後世界を滅ぼす。わたしはそれを止めるためにパッチワークしに来た」
 世界を滅ぼす? パッチワーク?
 慎吾は疑問を口にしているつもりだったが、言葉は泡のように弾けて消え、意識は深い水底の中に引きずり込まれるように落ち、暗い淵の中に横たわる。口から零れる寝言のような言葉の泡は水を上っていき、陽光を浴びて虹のような光を放ち、水面付近で弾けて消える。自分は暗い底にいて、光り輝く水面を見上げている。光を見ていると、意識が水をかき混ぜたように揺れて乱れて、そして消失していく。

 ウェインはゆっくりと白い息を吐き、矢筒から矢を引き抜くと、弓に番えた。
 視線の先には雪の積もった小山の中に、黒い長三角の、ユキウサギの耳があった。
 ユキウサギは冬の間、体色が白くなるが、耳の先だけが黒くなる。狩人は一面の銀世界の中で、その目印を鷹の目のように鋭く探すのだ。
 はっはっ、と息が浅く速くなる。矢を番えて引いた手に力がこもる。だめだ、気を張るな、力を抜け、とウェインは自分の体に命じるが、体は言うことを聞かない。まるで自分の体でなくなったようだ。
 ウェインは胸を鷲掴みにされたような息苦しさを感じ、目が霞むが、矢を引いた右手に意識を集中し、鏃の先端がユキウサギの頭を捉えた瞬間、矢を放し、ふっと射る。
 矢は回転し螺旋を描きながら飛び、冬山の冷たい空気を切り裂いていく。ユキウサギは自分に死神が迫ってきていることなど予想だにしないようで、とぼけた瞳で何かを一心に見つめている。
 矢が雪を弾き飛ばす。雪煙が上がり、ウェインはどうだ、と一歩前に踏み出して目を凝らす。
 雪煙の中、黒い耳がぴょこんと起き上がると、雪の中を跳ねて消えていく。
「また獲物ゼロか……」
 ウェインは肩を落として項垂れる。妻の怒り狂う姿が目に見えるようだった。

 鍋の中の肉を残らず椀の中にさらうと、焚火の前に腰を下ろして肉を食う。兎とはいえ、肉を食うのは何年ぶりだろうと弾力と滋味に溢れたその肉を噛みしめ、肉汁を啜るように飲み干す。
 椀の中の汁の一滴まで残さず飲み、窓の外に何か影が見えた気がして慌てて眺めるが、廃墟の残骸が風に揺れているだけだった。
 タイガは砂をかけて火を消すと、毛布にくるまって寝台に横になる。マットレスの朽ちた寝台は硬くでこぼこして寝心地がいいとは言えないが、荒廃した都市の中でまともな寝床を見つけられること自体が幸運であるために、文句は言えない。
 一緒に旅をしてきた同行者は周囲の様子を探ってくると出かけたきり、三時間戻らない。恐らくアンドロイドにやられたのだろう。
 愚かな政治家がアンドロイドを促進する法案を通し、あまつさえ「滅亡スイッチ」と呼ばれる科学兵器を行使したため、世界は滅亡し、アンドロイドが跳梁跋扈する世の中へと堕落した。
 アンドロイドは「滅亡スイッチ」の後、生物を狩り始めた。人間は勿論、ハエの一匹も見逃さない。彼ら自身が開発した光線銃で撃たれると、分子レベルで分解されるため、かすっただけで致命傷となる。
 足音、とうとうとしかけていたタイガは目を覚まし、枕元に置いておいた西洋の両刃の剣を引き寄せる。国立西洋博物館に収納されていた骨董品だが、刃は落としていない。アンドロイドの超合金の体に鋼の剣がどこまで通じるか分からないが、何もないよりはましだろう。
 足音が扉の前で止まる。タイガは音もなくすらりと剣を抜くと、盾と目くらましとして立てておいた寝台の影に隠れて剣を両手で構える。相棒なら三回扉を叩いてから鍵を開ける。そうでないならアンドロイドだ。
 カチリ、と鍵が開錠される。間違いない、アンドロイドだ。相棒はもう……、と乾いた悲しみを感じながら、忍び足で扉の横に近寄り、剣を振りかぶる。
 電気の通じていない自動扉は開けるのに、大人の男でも手間取る。だが、アンドロイドは易々と開く。扉はがらっと勢いよく開いた。アンドロイドめ、とタイガは憎悪を滾らせながら渾身の力を込めて剣を侵入者の頭に振り下ろして叩きつける。
 甲高い衝突音が鳴って、剣は半ばから折れて先端は明後日の方向に吹き飛んだ。
 侵入してきたアンドロイドは若い青年型だった。額から血を模したオイルを流し、感情のこもらない冷たい視線をタイガに向ける。と同時に光線銃を突きつける。
 タイガは恐怖に顎をがくがくと言わせながら、エネルギーが収束していく光線銃の銃口をただ眺めていることしかできなかった。もはや逃げ道はない。自分の逃避行は、もう終わったのだ。死を覚悟し、せめて自分を貫く光を最後まで見ていようと彼は視線を逸らさなかった。それだけでいかに彼が胆力があり、勇敢であったかは分かるだろう。
 だが、勇敢なだけでは、この世界を生きていくことはできない。

 竜の爪の一撃を躱したリリーは跳躍すると、大ぶりな両手剣を振り上げて、竜の首目がけて振り下ろす。彼女の一閃は竜の首の鱗を弾き飛ばし、刃を肉に食い込ませ、容易に切り裂くと、骨まで断ってその首を斬り落とした。
 女騎士リリーが片膝を突いて着地すると同時に、胴から離れ、ずり落ちた龍の頭が、地響きをたてて地に落ちた。
 リリーの体には激戦を物語るように、無数の切り傷と、火傷の痕があった。だがそれも、すべては目の前の邪竜を倒して姫君フローラを助けんがため。リリーは疲労困憊の体に鞭打って、邪竜の胴体に近寄ると、慎重に腹に大剣を突き立て、切り裂いていく。
 竜は「遅かったな。姫君は美味であったぞ」と戦う前にリリーに告げ、激しい怒りに駆られた彼女が戦いの機先を制し、それが勝敗の帰趨を決めることとなった。竜は見誤っていた。リリーが忠誠を捧げるは国家に対してであり、姫君に対してではないと。だが、実際はそうではなかった。リリーは姫君に対し狂おしいまでの思慕の情を抱いており、一身はおろか、心の隅々に至るまで、すべてを姫君に捧げていたのだ。
 腹を裂き、内臓を探る。竜の体の構造など知らないゆえ、手探りになり、彼女の体は見る間に竜の血潮に塗れて凄まじい様相となった。が、その甲斐あってか、内臓の中で一際重い臓器があった。大剣では姫君に傷をつけるやもしれぬ、と腰の短剣を抜き、胃を裂いていく。
 確かに、胃の中には姫君がいた。だが、リリーの胸に去来したのはどうしようもない絶望と喪失感だけだった。姫君は咀嚼されたため、四肢はばらばらになり、その蛍石のように儚く美しいかんばせも、見るも無残な有様だった。だがそれでも、リリーは姫君であった肉体をすべて掻き出すと、その首を抱いておいおいと泣いた。
 ひとしきり泣いた後で、リリーは竜の巣に散らばっていた姫君のドレスを短剣で裂いて結わえて袋を作り、その中に姫君の肉体を収めると、抱えて歩き出した。
 この地の果ての竜の巣よりさらに東方に、人の生死の神秘を操る術をもった魔女が住まうという。ひょっとしたら、その魔女ならば、フローラ姫を蘇らせることができるかもしれない。
 リリーはその身を代償に求められれば喜んで差し出す所存だった。むしろ姫君のためにヒロイックに死ねるというエゴイズムが齎す甘美な誘惑に浸りきっていた。彼女の頭には、自分のために竜殺しの英雄がその身を犠牲にしたと知ったときの、フローラ姫の悲嘆と後悔など知る由もない。

 赤いランプが点灯し、首相官邸の地下に築かれた作戦本部にエマージェンシーの電子音声が響き渡った。
 首相以下主だった大臣が勢ぞろいする中、総理大臣立花慎吾は苦渋の決断を下そうとしていた。
「諸君。どうやらこれまでのようだ。是非もない。総員脱出準備」
 慎吾は唇を噛み締め、青ざめた顔で大臣一人一人を見渡す。大臣が補佐として連れてきている官僚たちも、悔しさを顔に滲ませて拳を握りしめている。
「総理。ここ本部を放棄すると言うのですか。アンドロイドごときに」
 自らも前線に赴き、果敢に戦っていた自衛隊の若き指揮官の男、名を田所といったか、その彼が拳を振り上げ、憤懣やるかたないといった様子で言った。
「我々はまだ戦えます。この地下本部は迷宮のようになっていますから、虚を突き奴らを殲滅してやりましょう」
 慎吾はため息を吐き、若い指揮官の血気と自信を羨む気持ちで疲れた笑みを浮かべた。
「若いな、田所くん。若い。羨ましいことだ。だが、この国は年老いすぎた。もうアンドロイドと戦う力は持たんよ」
 田所はまだ何か言いかけたが、慎吾は手でそれを制して、「総員脱出」と再度命じた。
 慌ただしく退却準備が進められ、慎吾と防衛大臣、田所を残して脱出が済むと、防衛大臣はタイミングを見計らっていたかのように慎吾に近付き、「大丈夫ですか、総理」と気づかわしい様子を見せた。
「大丈夫、ではないな。だが、自ら蒔いた種だ。アンドロイドの促進などという法案を通さなければ、今日の悲劇は起こらなかったろう」
「心中、お察しします」
 ありがとう、と慎吾は力なく微笑み、頷く。
「しかし総理、実は事態を一挙に打開する兵器を、我らは開発しました」
 この期に及んで何を言っている、と訝しげに慎吾は防衛大臣の顔を眺める。どこか爬虫類じみた、冷えた、温もりを感じさせぬ男だった。
 田所、と防衛大臣が促すと、「はっ」と答えて田所がパソコンを操作する。すると、通信設備のコンソールの中から、一つの赤いスイッチが現れる。
「大臣、これは?」
 防衛大臣はにやりと笑って、「アンドロイド停止スイッチです」と説明した。
「まさか」
 事実です、と田所が嬉々とした表情で言う。
「これを押しさえすれば、全アンドロイドが停止して、我々はこの戦争に勝利することができるのです」
 田所の説明に大臣も頷いていたが、慎吾はそれを額面通りに受け取ることはできなかった。
「なぜ今になって言い出したんだね。これがあれば、退却の必要はない」
 慎吾は立ち上がり、コンソールから離れるようにゆっくり足を運ぶ。田所と大臣はそれぞれ二手に分かれ、慎吾を挟み込むように移動する。何かがおかしい、と慎吾の中の直感が警鐘を鳴らしていた。
「それは……秘密裏に開発していたものですし、あまり存在を公にしたくないもので」
「本当かね? 私には筋が通らんように思えるが」
 自分の中の直感が当たっていても外れていても、絶望的な状況に変わりはない。国を滅亡に追いやった総理大臣として、罪が一つや二つ増えようと、さしたることではない。
 覚悟を決めた慎吾は腰に隠していた拳銃を抜き、田所の頭めがけて放った。銃弾は田所の額を正確に捉え、彼の頭は弾かれたが、およそ人間の頭を撃ち抜いたとは思えない甲高い金属音が響き渡った。
 田所は後ろに二歩よろけて踏み止まり、首をぎこちなく動かして頭を元に戻すと、額には潰れた黒い鉛玉が刺さっていた。だが、表情に痛みも苦しみもなく、ただ無感情だった。
「やはりアンドロイドか。ということは、大臣もだな」
 防衛大臣はゆっくりと拍手をして、「ご名答」と言うと、田所に目配せをする。田所は素早く慎吾に駆け寄ると、構えた拳銃を蹴り飛ばし、コンソールのスイッチの横に慎吾を押さえつける。
「さ。総理。スイッチを押してください」
 大臣がにこやかに見える表情で言うと、田所が「押すんだ」と腕を締め上げる力を強めて脅すように言う。
「大臣、これは本当は何のスイッチなのだね。それに押したいのなら自分で押したがよかろう」
 大臣はやれやれと肩を竦めると、スイッチに近寄り、腕を振り上げてスイッチに向かって振り下ろす。だが、スイッチに触れる前に、大臣の腕は空中で静止していた。まるで見えない壁にでも阻まれているように。
「ご覧の通りです。これは我らには押せないのです。そのようにプログラムされています。スイッチを開発した如月博士によって。ゆえに、人間であるあなたに押していただくしかない。
 そして、このスイッチの正式な名称は『滅亡スイッチ』。押した瞬間世界全土に大地震を起こし、都市機能を破壊し、ライフラインやインフラを完全な機能不全に追いやり、人間の築いた社会は崩壊させる、リセットボタンですよ」
 慎吾は絶句した。「ばかな。そんなものを、如月博士が」
「博士は人類に絶望していらした。その一方で希望をもってもいた。だから我々アンドロイドには押せないよう細工をしたのです」
 大臣はずいっと顔を覗き込ませ、「ご家族の身柄は我々が抑えさせていただいております」と偽りの笑みを浮かべて言った。
「総理が押してくださるならば、我らアンドロイドが築く新しい世界で、ご家族ともども安全を保障いたします」
 慎吾はそれを聞いて、吹き出し、声を上げて笑った。さすがのアンドロイドの二人も、その様子にぎょっとした様子を見せた。彼らにはなぜ慎吾が笑ったのか、理解できなかったのだろう。
「愚かなり、アンドロイドの諸君。立花慎吾、その名が地に落ちたりといえども、政治家として己の身内可愛さに世界を売ったりなどせん。その誇りが分からぬから、アンドロイドには世界を築くことなどできんと言うのだ」
 大臣が慎吾の呵呵大笑を不快そうに眺め、顎でしゃくって田所に指示を出す。田所は慎吾の右腕を握って無理矢理に伸ばさせてスイッチを押させようとする。慎吾もまた渾身の力でそれを拒絶しようとする。これが同じ人間同士のやりとりならば、力の加減も分かっただろうが、田所はなにぶんアンドロイド。自分の目的が達成できるまで力を込めたせいで、慎吾の腕は裂けて血が噴き出し、骨は軋んでひび割れ、折れた。それでも慎吾は雄叫びをあげたが、筋肉が断裂し、腕に力を込めることさえできなくなった。
 そして、「滅亡スイッチ」は押された。

 ウェインは深雪を布団に眠るような我が家の前に辿り着いた。山の中の帰路の最中、ずっと何と言って扉を開けようか考え続けていた。彼の鳥打帽には雪がうず高く積もり、肩にも小鳥を乗せているのかと思うほど雪が積もっていた。それらを払うことさえ忘れるほど、彼は思案に没頭していた。それほど、妻が恐かった。
 扉に手をかけたとき、中から物音とともに、妻の短い悲鳴が聞こえた気がした。慌てて扉を開けて中に入ると、そこには赤毛で赤眼の美しい妻が地面に倒れて震えている姿と、その妻に今にも襲い掛かろうとする巨大な黒い狼の姿が目に入った。
 ウェインは反射的に矢を番え、引き絞った。黒い狼もそれをちらと一瞥すると嘲笑うように牙を剥いて笑ったような顔を見せた。今にも妻に飛び掛かろうとしかねない。妻はすがるような目でウェインを見つめている。そこに日ごろの気丈さはない。ただ恐怖ばかりがあって、月光を浴びた石膏の像のように青ざめている。
 チャンスは一射しかない。外せば、狼の顎は妻に食らいつくだろう。だが、自分に当てることができるか。ユキウサギすら狩ることのできない自分が、この極限状態の中で、強靭な狼の命を一撃で間違いなく奪えるか。そんな自信はなかった。だが、その自信のない人間の手の中に、運命のダイスを握らされてしまった。どう転ぶにせよ、振るしかない。それ以外の選択肢はない。
 狼の額に狙いを定める。手が震える。鏃がぶれて、狙いがずれる。もう一度呼吸して、定める。だがやはりずれる。呼吸がどんどん浅く速くなっていく。これじゃユキウサギのときと同じだ。
「あなた、わたしのことはいいから、逃げて」
 妻が叫ぶように言うと、それに刺激されたのか狼がぐわっとその顎を開いて妻に襲い掛かる。
 ウェインはその危機を前に玉が水に沈むように精神が静まり、研ぎ澄まされ、震えが止まった。妻の自己犠牲的な愛と、その妻を喪失するという恐怖が二つの砥石となり、ウェインの集中力を極限まで磨き上げた。
 狼の動きに呼応して鏃の方向を素早く変えると、限界まで引き絞った矢を何の迷いもなく射る。
 矢は目にも止まらぬ速度で家の中の空を裂くと、狼の額に突き立った。
 狼は断末魔の叫びをあげると、体を痙攣させ、床の上に崩れ落ちた。
 ウェインは慌てて妻に駆け寄り、震える手で抱き起してやると、妻は気丈にも笑って、「あなた、今日の収穫は?」と訊いた。
「今日も何も獲れなかったよ」と頭を掻きながら苦笑すると、妻はおもむろに「ジパングという国に行きましょう」と言い出した。
「どこだい、それは」
「遥か東にある豊かな国です。そこでなら、あなたも猟師以外の生き方ができるわ」
 そりゃあ願ったりだね、とウェインは頷く。僕は物語を書いてみたかったんだよ、と妻に打ち明けると、妻も顔を輝かせて喜んで、「そりゃあいいわ。なら、今日のあなたの活躍を物語にしたら」と言うので、ウェインもむむ、とその気になって腕を組んで、頭の中で物語を組み立て始めた。妻がころころと可愛らしい笑い声を上げた。

 タイガは死を覚悟した。走馬灯が過るものだ、と言われているが、タイガの脳裏に過ったのは先祖の物語だった。巨大な狼を一射で仕留めた狩人の話。遥か昔々の話らしい。その先祖は最後まで諦めなかった。だから生を繋ぐことができた。
 じゃあ、足搔いてやろうじゃないか、とタイガはアンドロイドが向けた銃口に飛び掛かる。筋力では勝てない。だが、人間が甲冑を着ても、関節が弱点になるように、アンドロイドにも脆い部分があった。柔軟な動きを可能にするため、手首の両脇は比較的脆い素材でできている。タイガは折れた剣をそこに叩きつけた。瞬間、銃を握る力が弱まる。即座に手首を返し、銃口をアンドロイドの脳天に向ける。次の瞬間には光線が発射されてアンドロイドの額を焼き尽くしていた。アンドロイドはゆっくりと後方に倒れ、動かなくなる。
 タイガは光線銃を懐にしまうと、ここも見つかって、一体のアンドロイドが信号を消失したということで、調査のアンドロイドたちがやってくるだろうと考えて部屋を出る。
 外は砂嵐だった。夜の闇でただでさえ視界が悪いのに、砂嵐ではなおのこと見えない、と気休めにしかならないゴーグルを下げて、瓦礫に足を取られたり、段差を踏み外したりすることのないよう、慎重に歩を進めていく。行く当ては特にない。だが、相棒は東エリアを調査すると言っていた。かつて首都があった地帯だ。それだけにアンドロイドの数も多く危険なエリアだが、そこにはアンドロイドを打倒する秘策が眠っている、ともアングラの出版物ではまことしやかに書かれていた。
 三日間、移動しながら、夜間は安全そうな廃屋に身を隠して眠り、昼間の間に移動した。幸いなことに、アンドロイドの残骸には出くわしたが、稼働しているアンドロイドとは遭遇しなかった。東エリアはアンドロイドも多いが、アンドロイドを狩るソルジャーと呼ばれる存在にも、屈強なものが多いと聞いたことがある。
 四日目の移動中、腕時計型のデバイスが、生体反応の接近を知らせた。人間か、とタイガは喜びかけたが、ここにきて油断するのは危険だなと思い直し、物陰に身を隠した。同じ人間で、デバイスを持っていれば自分がいることが分かる。だが、世界崩壊以降にアンドロイドが遺伝子改造で生み出したミュータントと呼ばれる怪物だったとすれば、不用意に近づくのは危険だ。アンドロイドは、そうした考えなしの人間を狩れるようにミュータントを作ったのだから。
 息を殺しながら眺めていると、件の人物が姿を現す。「いるのは分かっているわ。出てきなさい」、赤毛、赤い眼の彼女は光線銃を片手にタイガが隠れている瓦礫に向かって叫んだ。
 タイガは両手を挙げながら瓦礫の外に出て行く。すると彼女の顔がぱっと明るくなり、「タイガ!」と叫んで駆け寄ると、飛びつくように抱きついた。
「よう、相棒。無事だったか」
 タイガはその美しい赤毛をゆっくりと撫でてやると、彼の胸の中で彼女が顔を上げ、「タイガこそ。よくここまで来られたのね」とうっとりとした顔で言った。
「ご先祖様のおかげってやつかな」
 なにそれ、とくすくすと彼女は笑う。
「で、お前、こんなところで何してたんだ」
 タイガの言葉に彼女ははっとして、胸の中から離れて、「そうよ。誰か力になってくれる人を探していたの」
「話が読めないな」とタイガは首を傾げる。
「わたし、タイガと離れて調査をしているときにアンドロイドに見つかって、命からがら逃げて来たんだけど、ここであるものを見つけたの。でも、それは二人いないと意味がない装置で」
 タイガは腕を組みながら、「ふうん。アンドロイドが作った装置か」と訊くと、彼女ははっきりと首を振って、「いいえ、如月博士」と答えた。これにはタイガも面食らって、「冗談だろ」と引き攣った苦笑いをした。
「いいえ。大真面目。わたしが見つけたのは、如月博士が開発していた、タイムマシンよ」
 ばかな、と言いつつ、世界を滅亡させるスイッチを発明した如月博士なら、その狂気じみた執念でタイムマシンも開発しそうだ、とタイガは思う。だがその一方で、なぜ「滅亡スイッチ」と矛盾するようなものを作ったんだ、という疑念もまた拭えないのだった。
 現物を見れば分かるわ、と言われ、彼女に誘われて、瓦礫の山を踏み越えて、かつて銀座と呼ばれていた土地の、地下鉄道の入り口を降りていき、線路跡を辿っていくと、地下鉄の壁の中に、一か所微妙に色が違うところがあり、そこを押すと壁がへこんで扉が開く。再び長い階段を降りていくと、金属板でドーム型に覆われたような、無機質なホールに出る。装置はその中心にあった。
 壁に沿って幾つもの支柱や、ガラスケースのような柱が並んでおり、そのすべてから伸びる線が、中心の機械に辿り着くのだった。中心の機械は操作パネルのようなブースがあり、そのすぐ隣に円柱形のガラスの部屋があった。
「どうやって使うんだ」
 タイガがきょろきょろしていると、彼女が操作パネルの前に立ち、キーを素早く叩いていく。その慣れた様子をタイガは訝しそうに眺める。
「一人がそのガラスの部屋に入って、一人が操作パネルで指示を実行する」
 つまり、とタイガは息を飲む。「タイムトラベルできるのは一人だけ」
「そう。それも、過去の一時点にしか行けない。さすがの如月博士でも、完全な時間旅行は実現できなかったみたいね」
 彼女はキーを叩き終えると、振り返ってどうぞ、とタイガにガラスの部屋を指し示す。
(なんだ、この作為に満ちた感じ)
(まるで最初からこうなるはずだったみたいな)
 タイガは戸惑い、部屋の前で立ち止まって彼女に訊く。
「このタイムマシンはいつにとぶんだ」
 彼女は微笑んで答える。「立花首相が『滅亡スイッチ』を押した、運命の日よ」
 そうか、と頷いて、タイガは相棒の言葉を受け入れてガラスの部屋に入った。どうやら女に流されやすいのは、先祖代々らしい、と自嘲する。ご先祖も、自分の著作の中で妻には逆らえなかったと書いている。
「じゃあな、相棒」
 聞こえないだろうが、そう言って親指を立てた。眩い光が、タイガを包んだ。

 リリーは長い旅の果てに、東の彼方にある魔女の庵に辿り着いた。
 姫君の肉体は既に腐りきっていて、包んだドレスには黄色い膿の染みができ、そこには無数のハエが群がっていた。そうなって、リリーは自分の行いは姫君を汚すものではないだろうか、という疑問に襲われたが、東の魔女の秘術で蘇れば、姫君とてお喜びになるはず、と言い聞かせて腐臭に包まれた旅路を乗り越えてきた。
 魔女は庵の前を掃き清めていた。赤毛に赤眼の若く美しい女だった。
 リリーはゆっくりと姫君の遺骸を下ろすと、膝を突いて、自分は聖王国の騎士であり、王国の姫君を攫った竜を退治したが、姫君は竜に食われた後だった。そこで生死を司る秘術を用いるという術者を訪ねてきた。と説明し、なにとぞご助力願いたい、と頭を地にこすりつけんばかりに下げた。
 ふうん。ま、いいけど。
 魔女はあっさりと答えた。そのためリリーは拍子抜けし、「い、いいのですか」と訊き直すと、魔女は黙って頷いた。
 魔女に指示されて、姫君の体を庵の中に運び込み、暖炉の灰の中に横たえた。すると不思議なことに遺体に群がっていたハエたちが畏れ逃げるように散って、一匹もいなくなった。
 魔女は姫君の体を灰で包むと、ゆっくりと呪文を唱えた。まるで言葉が形をもって飛び回っているようだ、とリリーは感じた。その言葉が部屋中を駆け巡り、姫君の体の中にしみ込んでいくと、灰にほのかな青白い火がぽつぽつと灯った。
「それじゃ、姫君が起きるまで、掃除でもしてもらおうかな」
 魔女はのんびりとした口調だったが、有無を言わせぬ言葉の力を感じ、リリーは竜の方がよほど与しやすい相手だった、と実感して「承知した」と掃除を始めたのだった。
 一日へとへとになるまで掃除をさせられて、姫君は目覚めただろうか、と覗きに行くと、各段変わった様子は見受けられない。
 魔女は「そんなすぐには変わらないよ。明日もよろしく」とさも当然のように言うのでリリーも頭にきたが、ここで魔女の機嫌を損ねても、と握った拳を下ろし、「了解した」と答えるしかなかった。そんな彼女に幸いだったのは、魔女の庵に泊めてもらえて、しかも姫君の遺骸のすぐそばで眠れることだった。姫君の復活の日を夢に見、リリーは疲れた体を癒すため、静かな眠りに落ちていくのだった。
 そんな日々が一週間も続き、姫君の様子にも変化が見られないので、これは謀られたか、とリリーも色をなして魔女に詰め寄った。
 魔女は紅茶を飲みながら、「明日だよ」とさも当然のことかのように言うので、リリーも呆気にとられてしまう。
「明日。本当に明日姫様が復活されるのだな」
 魔女はそうだよ、と頷く。
 リリーは涙ぐんで、拳を握りしめ、「そうか、そうか」と喜びを噛みしめ、しかし自制心を失わないように保ちながら微笑んでいた。それを、魔女は哀れそうに眺めている。
「あなたは姫君に会えないよ」
 どういう、ことだ、とリリーは顔を引きつらせ、笑みと困惑が混じった表情で訊いた。
「姫君を蘇らせるなら、それが条件。あなたは姫君に会わず、この地を去る。そして、わたしの頼む仕事を引き受けてもらう」
「それは最初に言うべきことではないのか」
 リリーの目には憤怒の真紅の火が燃え盛っていた。彼女は腰の剣に手をかけ、魔女の返答いかんでは斬る、という意思を見せていた。
「いつ言っても一緒。なら、わたしが言いたいときに言う」
 魔女が指先を振ると、リリーは体が動かなくなる。体が石に包まれでもしたかのように、どれだけ力を入れても動かない。
「仕事とはなんだ」、リリーは深いため息の後でそう言う。姫君が本当に蘇るのならば、たとえ会えなくとも。
 会いたいという欲は私心。私心とは愛ではなく執着だ。私は姫様を愛している。ならば、姫様が幸福であらせられれば、それでよい。
 魔女はこくりと頷いて、呪文を唱える。リリーの足元に青い円が走り、青白く輝く。
「これからあなたには、異世界に行って、世界の崩壊を止めてもらいたいの。詳しいことは文書にして、貴女の懐に入れてある」
 リリーが甲冑の隙間から手を差し入れると、確かに手紙が入っていた。いつの間に、と驚いても仕方がないな、と諦めに似た感情を抱く。
「貴女と同じ使命を帯びた人がいるから、仲良くね」
 世界を救えと言う人間の言い草とは思えないな、と苦笑しながら、了解した、と一礼する。リリーの体が眩い光に包まれる。

「愚かなり、アンドロイドの諸君。立花慎吾、その名が地に落ちたりといえども、政治家として己の身内可愛さに世界を売ったりなどせん。その誇りが分からぬから、アンドロイドには世界を築くことなどできんと言うのだ」
 大臣が慎吾の呵呵大笑を不快そうに眺め、顎でしゃくって田所に指示を出す。田所は慎吾の右腕を握って無理矢理に伸ばさせてスイッチを押させようとする。慎吾もまた渾身の力でそれを拒絶しようとする。
「歴史ってのは往々にして間違ってるものなんだよな」
 大臣が後方から響いてきた声に反応して振り返ったときには、眩い光芒が一つ走って、田所の額を撃ち貫いていた。
 慎吾は自由になり、スイッチを厭うように後ずさって尻もちをつく。
 扉のところには光線銃を構えたタイガが立っていた。
 大臣は「おのれっ」と叫びながら人間を超えた速度でタイガに向かっていく。タイガも狙い澄まして光線銃を放つが、大臣に避けられてしまう。舌打ちして「肝心なところで外すのは、先祖譲りかな」と自嘲する。
 大臣が金属の爪を振り上げてタイガに襲い掛かろうとしたとき、白銀の光のような影がタイガの後方から走って飛び上がり、剣を振るって、金属の骨格の大臣の首を刎ね飛ばした。
 影、リリーは着地すると剣についたオイルを振って散らし、「竜の首の方が硬かったな」とにっこりと慎吾に向かって笑いかけた。
「君たちは……」
 見たこともない出で立ちの二人を前に、慎吾は呆気にとられるやら、不信感を拭えないやら、内心の動揺が甚だしかったが、それでも平静を装って、「危険なところを助けていただいた。感謝する」と頭を下げた。
「いいんです。それが僕らの役割ですから。それより」
 タイガとリリーは顔を見合わせる。
「ここは安全ではない。戦いはまだ始まったばかりだ」
「そうなんです、総理。あなたの本当の戦いはこれからなんです」
 慎吾にも二人の言わんとすることが分かった。神妙な顔で頷くと、「君たちも力を貸してくれるのか」と問うた。
 タイガとリリーは同時に頷いて、「勿論です」「無論だ」と答えた。

 はっと我に返ると、転校生は微笑んでいた。その可憐さに、慎吾は思わず顔を赤らめる。
 それにしても、今見えた映像は一体……?
「何をしたんだい」と慎吾は訊ねた。
 転校生は赤い髪を振りながら踵を返すと、一言だけ言い残して去って行った。
 パッチワーク。

〈了〉

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