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私から見える奥田浩美さんは、「分ければ増える」を体現する人。

私は女性が苦手。
物心ついた時から、一緒に遊ぶのは男の子。気がつくと男の子を従えて先頭に立っていた。私はそんな子供でした。

小学校高学年になり、さすがに男の子を従えて遊ぶことはなくなり、さあ女の子と遊ぼうとしたら。複雑すぎて私にはわからないことが多く、いいたい事をはっきり言う私は女の子の「本音と建前」に気が付かず、何度も自爆しました。

中学時代は、苦し過ぎて休み時間はひたすら数人の男の子と無言でUNOをし続け、下校も男の子と。ところが、その男の子はモテる男子(私は知らなかった!)だったため、さらに反感を買う負のループ。「女って怖えええ」とひたすらに慄いていました。

高校生、大学生となり、女性に好かれる事を諦めたら、女性に対しては苦手意識を持ちながらも、数人の友人は出来るようになりました。基本、マイペースで誰かとずっと一緒にいるのは嫌い、同調することが嫌いだったため、何度も友人にはキレられました。世の中で言う「一人っ子は、わがまま」をそのまま体現していました。これについては、わがままで何が悪いのと思っていたので人に「わがままだね」と言われ「なんでダメなの?」と質問しても納得する答えをくれた人はいなかったように思います。

初めて女性でリアルな”ロールモデル”だと感じたこと

さて。奥田浩美さんについて書こうと思ったのは。私が初めて、女性でリアルなロールモデルだと感じたからです。ロールモデルだからと言って、奥田さんそのものになりたいという訳ではありません。この写真の衣装は、魂を解放するリベレイター澤奈緒さんの作品三蔵法師です。

私は、「ああ素敵だなあ」「目指したいなあ」と思う人が、例えば松下幸之助とかリアルな人でも男性だったのです。たくさんの人に出会っても、正直女性には感じなかったのです。奥田さんに会いたいと思ったのは、父の最後の入院中。友人のfacebookを通じて知ったWomen’s start up laboの女性向けのリーダーシッププログラムでした。

行きたい!と思ってから4ヶ月後、シリコンバレーで奥田さんとゆっくり話をしました。その時の私は、一緒に参加した友人曰く「生まれたての子鹿みたいにプルプルしてた」ようで、奥田さんとの1on1の時間はとても緊張したように思います。奥田さんから発せられるオーラが、眩しいというか優しいというかちょっと感じたことがない感覚だったのです。

そのプログラムは4日間の合宿形式で女性だけで、1つのお家に泊まって過ごすので女性が苦手な私にはなかなかのチャレンジでした。奥田さんとの1on1の時間は後半でしたが、私がいろいろ想いを出せずにいて、滞っている状態をキャッチしてくれていました。アドバイスではなく、ある道を指し示す。私にはまだ見えてないけれど、奥田さんには見えている道を指す。全部は伝えないけど「ある」ことだけを伝えてくれる。その時にもらった言葉は、私の中にギフトとして残っています。

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「あなたはどうしたいのですか?」

「こうしなさい」「こうやった方がいいよ」一見、優しいように聞こえます。だけど、途中で転んだ時に「あれ?何で私これやっているのかな」と思うのです。ソーシャルワーカーとして、患者さんの話を聞いていて「どうしたら良いですか?」と聞かれると必ず「あなたはどうしたいのですか?」と返します。誰かが決めたレールを乗って行くのは、楽しいでしょうか。相談を受ける身では、そう返せても自分の事となると出来ていなかった。それが、2018年の私でした。

サラリーマンとして、母として、妻として、「こうあらねば」「ねばならない」が強くいろいろな物を握りしめていたように思います。執着は強くないと自分では思っていたけれど自覚がなかっただけ、だったようです。父が亡くなって、私の中で大きく価値観が揺らぎ、そのタイミングで女性の世界、見たこともないスタートアップの世界、起業家の人たちとの出会いがありました。知らない”こと”を知ったのです。

言葉のギフトを両手で抱えたまま、悶々とする日々

私は、職場では楽しく残業はしない職場で、結婚して2人の子育てをしながら働いて、夫とも協力してというか夫が圧倒的に家事をやっています。好きなようにやってきたつもりでした。この先の人生、私はどうしたいのだろうと考えた時に、サラリーマンとしての人生は考えられなかった。自分で何かをやりたい。それは何だろうと、奥田さんにもらった言葉のギフトを両手で抱えたまま、悶々とする日々が続きました。

私の話す言葉は、力はあるものの現実性には欠けていて、周りは少し哀れむような表情をする人もいました。多分、理解されないだろうなあと私も思いました。サラリーマンを辞める時、やっと自由になれる自分のやりたい事をできると思ったと同時に、さて私は本当に自分のやりたいことを実現できるのか。今振り返ると自分が一番不安だったかもしれません。

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第一回目の破壊の学校(鹿児島)に参加

破壊の学校の第1回目が奥田さんの故郷、鹿児島で開催されることを知りまさに飛びつきました。奥田さんが伝えたいことの解釈は、参加した人に任せる。そんな場でした。

何よりも私が驚いたのは、後にも先にもこんなにもエモーショナルな奥田さんを見たことがなかった。エモーショナルなままでいる奥田さんを目の当たりにした2日間でした。それで良いんだなあと思いました。奥田さんが自分の故郷で、感じる事。感じる事を感じるままに身体と言葉で表現すること。

参加者の感情にダイレクトに届き、そしてその人の感情が動きその人の身体の奥底に響く。その時に出会った参加者の人たちとは、全国各地にいて今も続く大切な友人になりました。

どこの企業の誰であるか、ではなく私はこんな人間ですとさらけ出す場。お風呂に入っている訳ではないけど、丸裸になる感覚。

実際、翌朝の大浴場では真っ裸のまま数人でしばらく話をしていたのは本当に楽しかった。鎧を着なくても良い関係、この関係を自分が作れるのか、そんな仲間がいるのか。これからの人生は、そんな仲間がいればとても豊かだろうなあと思います。

ここまで書いてみて、気が付いたのは。
小さい時から母に「分ければ増えるのよ。だから、独り占めしたらダメなのよ。」と言われていたのだと思い出した。世の中には、ギブアンドテイクという言葉がよく聞かれるけど、私は「分ければ増える」の方が身体に合うししっくりくるのだと思うのです。

破壊の学校の参加者からのブログはこちらも。


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