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サプライズが成立する時【ひだまりの泉 萩の湯@鶯谷駅】(1/2)

 僕は冷めた人間だと思う。良くも悪くも他人に興味がなく、自分は自分、他人は他人だとある程度割り切っている。他人の助けが欲しくなる時は適切だと思われる相手を自ら見つけて頼りにするし、その逆に助けを求められればなるべく応えていきたいと考えている人間だ。とはいえ、相手が明らかに助けを求めていることがわかる場合は自分から声を掛けることもあることにはあるけれど。
 なお、これは僕個人の価値観がそうであるというだけであって、これが人として正しいとも間違っているとも思っていない。ただ、僕はこの考えに納得感を持って生きることができているし、ここまで約30年間も生かされていることは事実だ。
 だからなのかもしれない。なにも意見やアドバイスを求めていない相手に対して、よかれと思って「あーしろ」だの「こーしろ」だの言う人のことが僕は苦手なのだ。その言葉の裏にはエゴが潜んでいるような気がしてしまう。

 そんな僕のTwitterのタイムラインに、ある記事が流れてきた。ここには、僕が考える「他人との距離感」の全てが書かれていた。

「アドバイスをする」という行為は教える人、つまり「教え魔」側に「自分が上という権力意識」を与えるのだそうです。
 アドバイスという行為で、相手の行動に影響を及ぼすことで、自分が強い力を持つと錯覚しやすく、「もともと権力志向の人のほうが『教え魔』になりやすい傾向がある」という結果でした。
「教え魔」の心理には、「承認されたい」「他人に影響力や権力を行使したい」という「欲求」があるというわけです。

ーーウザい「お節介教え魔」が日本人に多すぎる訳(岡本 純子)

 さらに、この記事の内容にうなずいた数日後、たまたま次のツイートが目に留まったのだった。

しかし、ことに個人的な
人間関係になりますと、
それをやり過ぎますと
人から嫌われます。
嫌われてもいいですが、
ただ、やたら人を注意する人の
根底にある心理は、他人を
自分の思う通りにコントロール
したい、という気持ちか、
もうひとつは、他人に恥をかかせたい
という意地悪な動機だったりします。

ーー注意したがり屋さん、気を付けて(ワタナベ薫)

 その通りだと、僕は思う。もちろん、普段の言動から「この人はもともと奉仕の精神を持って他人と接しているのだな」とわかる場合は、自分に向けられた意見やアドバイスを素直に聞き入れることもできる。しかし、そうではない相手から自分に向けられた意見やアドバイスについては、その裏にはエゴがあるのではないかと俯瞰的に捉えてしまい、どうも距離を置きたくなってしまうのだ。
 特に、この方のブログに出てくる「それを言わないと死んじゃう病」という造語は、僕の印象に強く残った。まさに僕が苦手とする相手に対する的を得た表現だったためだ。

 そんな性格だからか、僕はサプライズを仕掛けられても素直に喜ぶことができない場合が多いし、むしろストレスが勝ることさえある。というのも、サプライズをされるということは、少なからず僕を喜ばせるための計画が事前に練られているわけで、その過程を想像してしまうと「せっかく僕のために時間やお金を使ってくれたのであれば、その期待に応えるためのリアクションを取らなければならない」という使命感が芽生えてしまうのだ。
 そもそも、サプライズは期待や予想を超えた時にしか成立しない。それでいうと、僕の場合はサプライズが仕掛けられるタイミング(誕生日などの祝い事)をなんとなく察して、すでに心の準備ができてしまっているので、内気な性格であることも作用してどうリアクションをとって良いのかわからなくなるのである。表では嬉しそうに驚いたリアクションを取っていても、本心では「仕掛け人の期待に応えられているだろうか」という気持ちを抱いてしまうのだ。
 それであれば、中途半端にコソコソと準備をしてもらわずに、事前に知らせてくれたほうがまだ素直に喜ぶことができる。もしくは、わざわざ周囲の注目が集まるように盛り上げるのではなく、目立たないところでさらっと祝われたほうが気分が良い。
 人によっては、こんな僕のことを「生きづらい性格」と思うかもしれないし、僕もそんな自分の性格を自覚していないわけではない。だからこそ、相手に合わせる必要性ができるだけ少ない、自分が生きやすい環境に身を置くようになったのだった。

 これに関連して、僕がミステリー作品のような伏線を回収するコンテンツを好む理由はここにある。ストーリーの展開や結末、事件の犯人などをさまざまな情報から予想し、仮説を立てた上で、その予想が見事に裏切られた時に「その発想は無かった!」と興奮を覚えるのである。僕が立てた仮説を超えられた瞬間がとにかく快感なのだ。
 僕の大好きな映画監督にクリストファー・ノーランがいるけれど、彼の作品も、そういう意味で熱中してしまう。僕が初めて触れた彼の作品は『インセプション』だが、全く先が読めないストーリーとキャラクター設定、そして映像美に圧倒され、その後『メメント』や『ダークナイト(シリーズ)』などを経て、次第に沼にハマることになった。
 彼の作品は観賞後の「考察」までをセットで楽しむことができるのだが、作品の中で登場する大量の伏線を観賞後に考察して解消していく作業がとても気持ち良いのである。「そうか、そういうことか!」の連発だ。
 その最たるものとして、2020年に公開された『TENET』では、僕は映画館でひとり号泣してしまったのである。しかも、2回観に行って2回とも号泣した。ストーリー自体に感動して泣いたのではなく、「どうすればこのような物語が閃いて、それを映像で表現できるんだ……!」という、ある種の嫉妬にも近い、言葉では到底処理できない感情に襲われて、それが涙となって溢れ出したのだった。

 やはり、感動とは予想や期待を超えたところに生まれるのである。3ヶ月前に錦糸町の銭湯「黄金湯」について綴った時にも似たようなことを記しているので、きっと今後もこの考えが変わることは無いだろう。

 そんな僕が、まさか再び銭湯で驚きと興奮に震えることになるだなんて全く予想していなかった。今日は4月15日(木)、仕事で外出の予定ができた僕は電車に乗り込み、鶯谷駅へと向かったのであった。

ーー後編に続く

(written by ナオト:@bocci_naoto)

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