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振り返り

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記事一覧

マレーシア留学記録〜地獄のロックダウン後編〜

前編はこちら

学生寮には本来食堂やジム、キッチンなどの共用スペースがあるのだが、ロックダウン中はそれらも全て閉鎖されてしまった。頼りはグラブフードと夕方5時に閉店してしまう寮内のファミリーマートだけだった。

日本に帰国する選択肢はあったにはあったが、大学に長い準備期間を経て入学したのにも関わらずたった1ヶ月半で帰国するというのは非常に悔しかった。また、外国人の新規入国も禁止されていたので、1度

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マレーシア留学記録〜地獄のロックダウン前編〜

無事にFoundation Yearという、大学の学部の準備期間にあたるプログラムに入学できた私は、新生活や学業に戸惑いもありつつも充実した日々を送っていた。(私の大学の学部は3年であり、その前にカレッジで半年から1年ほど基礎知識をつけることが割と一般的だ。)

しかし、それは突然やってきた。渡航から1か月半ほどたった2020年2月半ば、新型コロナウイルスの感染者がいよいよマレーシアでも確認された

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マレーシア大学進学準備編

私がマレーシア留学を決めた理由

マレーシアの大学進学には、IELTSという英語の4技能の試験を受けるのが一般的らしい。普通の公立高校を卒業しただけの私にとっては、リーディングとリスニングは基準に達していたものの、スピーキングとライティングが壊滅的であった。日本の英語教育の典型例である。そこで、まずは現地の語学学校へ2ヶ月ほど通うことにした。高校卒業後はバイトをしながら試験の勉強を進めつつ、学校や

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私がマレーシア留学を決めた理由

私は東南アジアが大好きだ。幼い頃から旅行好きな両親にインドネシア、タイ、マレーシア、シンガポール、ベトナムなど、東南アジア諸国に連れて行ってもらっていた。日本とは全く違う気候、宗教、食文化、建築、排気ガスの匂い、無視された交通ルール、人々のおおらかさにすぐに夢中になった。訪れる度に私の中の常識は破壊され、日本の「普通」とは何かを考えさせられた。

高校の希望者限定の海外研修がマレーシアだと知った時

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高校生編

箸が転んでもおかしい年頃とはよく言ったもので、私の通っていた女子校は常に笑いで溢れていた。今考えると何がそんなに楽しかったのかよく分からないが、とにかく一日中笑っていた。先生たちの個性も爆発していて、特にお気に入りだったのは古典の先生だ。カエルのような顔、ちからった髪の毛、変なメガネを装備した似顔絵がとても描きやすいおじさんで、古文の恋愛系の話になると教科書そっちのけで恋愛論を熱弁し出す愉快な先生

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中学校編

私の通っていた中学校は、周辺地域の3つの小学校から進学してくる生徒が多かった。学級崩壊が起こった小学校ということで噂が立っていたらしく、「○○小ってやばかったんでしょ、、、?」と恐る恐る尋ねられることもしばしばあった。学校側も徹底した対策を取っており、1年生の担任団として、厳しめの先生が集められた。その効果もあってか、割と落ち着いた学校生活が送れたと思う。部活や学校行事ではたくさんのいい思い出をつ

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小学校編

さて、今回は人生振り返り小学校編といこうと思う。

4年生くらいまでは、正直記憶がない。特筆すべきことといえば、2年時の担任が結構最近になって女児の下着を盗んだ容疑で逮捕された事くらいだ。

記憶が無いと言うことは、良いことも悪いこともそれほどなかったということだろう。しかし、4年生中盤くらいから、荒れてきた。先生に反抗する、というか先生たちが完全に舐められていた。5年生にもなるとついに私のクラス

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幼稚園編

私はお寺が経営する幼稚園に通っていた。1学年が20人弱という比較的規模の小さいところだった。花まつりや涅槃会など、お寺ならではの行事も多くあったと記憶している。園内にある本堂に週一回集められ、全園児が正座でお経を唱えるという光景は今振り返ると少し不気味ではある。

正直、幼稚園時代で1記事書けるほどの記憶が残っていない。唯一強く記憶していることと言えば、片足立ちである。そう、片足立ち。私は片足立ち

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最古の記憶

日記と言いつつ、最初の数回は人生の振り返りを交えていこうと思う。

皆さんは最古の記憶は?と聞かれたら何歳くらいまでさかのぼれるだろうか。研究によると平均で2.5~3歳の頃の記憶がもっとも古いらしい。

私が覚えてる限り一番古い記憶は、弟が生まれた時だ。三歳年下の弟が生まれた翌日か翌々日に父に連れられて病院に行った。新生児室にピンクの毛布に包まれて並べられているたくさんの赤ちゃんのなかに、一人青い

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