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食の価値観 ~最後に何を食べたいか~

少し前に見た某国営放送のドキュメンタリー番組

番組名は失念したけど
若い末期がんの患者が宣告から亡くなるまでの姿を追いかけていた

僕よりも遥かに若い
未来のある若者(男性)が
愛する家族(妻・小学校入学前の娘)と自宅で過ごした軌跡に
涙を流したと記憶している

末期がん患者と食事

食事は殆どとる事が出来ず
流動食をたべていた男性
旅立つ一か月前には様々なサポートを受けながら自宅で生活をしていた

おそらく最後になるであろう思い出の地へ旅行に行く家族
夕食には土地の魚をはじめとした豪華絢爛な御馳走
「食べられないんじゃなかったかな?」
そう思いながら見ていると
お刺身を口に付けて箸をおく
天麩羅を口に付けて箸をおく

この行為を繰り返していた

食事の楽しみ方

この行為は僕にとっては今までの概念を変える事を余儀なくされた

口から食べられなかったとしても
【眼】で食べていた行為は
この上なく美しい光景だったからだ

家族で楽しむ食事
たとえ口から食べられなくても
同じ献立を同じ食卓で愛する家族と共にする行為を
誰が卑下するのだろうか

食事は生きるための源

お風呂に入らなくても人間は生きていけるが
食事をしないと生きてはいけない

「人生で大事なことは、何を食べるかではなく、どこで食べるか、である。」
ミッシェル・サラゲッタ

王様のレストラン



最後に何を食べるか
最後にどこで食べるか
最後に誰と食べるか
例え施設にいたとしても
好きなものを旅立つ前に食べたい

それを叶えることが
それを叶えるために知恵を出すことが介護の専門性

このドキュメンタリー番組を見た事で
僕の魂が動いたのは確かだ

※この旅行の2週間後に荼毘に付された男性
 子どもの小学校入学式に間に合わなかった


自分だったら最後に何を食べたいか?

余談だが
僕は最後の晩餐は
愛する家族と
妻が作ったご飯を最後に食べたいと思っている

でも家族に負担はかけられないから
出来る範囲でお願いしたい

愛する子供たちの負担にならない程度に


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