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今だから思う "勉強とは?"

「学校の勉強」に関してしばしば話題になること。

数学は社会に出たら役に立たない、
古文漢文なんて使わないから必要ない、など。
この教科は将来使うことが無いのだから、代わりにPCスキルや資産運用など今の時代に役に立つものを取り入れたほうが良いのではないか、
というこの手の議論。

もちろん時代に合わせてのリニューアルは必要だと思うけど、
「将来使う使わない」
という視点で学校の勉強を論じること自体は、
何も生み出さないと思っている。

だってそんなこと言ってしまったら、
体育も音楽も理科も美術もいらない。
というか大抵の教科はいらなくなってしまう。

そもそも、学校の勉強など全てにおいて無意味だし、
全てにおいて意味があると思うのです。

私は中学1年の時に初めて英語を勉強した時、
「私は英語が好きだ」と思ったことをはっきり覚えている。
その気持ちはその後の私の人生に大きな影響を与えた。

反対に「数学が嫌いだ」と思ったこともはっきり覚えている。

その「嫌い」にストップをかけたのが、当時通っていた塾の先生の言葉。
「数学は答えをだすことだけが重要なのではない。そこに至るまでの考え方やプロセス、視点の転換や発見を楽しむ勉強なんだよ」
ちょっとはっきりとは覚えてないけど、そんなようなことを教えてくれて、「あ、数学って面白いのかも」って思えた。

その先生の言葉で、嫌いな数学に価値を見出すことができたのだ。

今でも数学は苦手だ。でも面白いモノだとは思う。
もしあの言葉が無かったら、今でも私にとって数学は「なんの意味もなく、ただ嫌いなもの」だったかもしれない。それって勿体ない!って思う。

学校の勉強自体に意味があるとは思わない。
その勉強に対して子供達がどう意味付けをするのか、
どのような気付きを得るのかは、
それぞれであって、
いろんな答えがあって、
その自分なりの答えを見つけることに大きな価値があるんじゃないかと思う。

それに、何かを好きだと思ったり、苦手だと自覚することはとても尊いことで、その後の自分の世界観や価値観に大きな影響を与えることは間違いない。

でもこの考えは大人になった今だからこそ思えることで、
子供の頃にこんなことを考えながら勉強する子はいない。
今は学生時代にもっとちゃんと勉強すれば良かったって本当に思うし、
タイムマシンで過去の自分に助言してあげたい。

私が先生のあの言葉で数学の面白さに気付けたような、
あの小さな経験は宝だ。

だから「将来使わないから必要ない」という議論をするのではなく、
大人達が子供達に勉強することの意味や価値を導いて、手伝ってあげられるような社会でありたいと願う。


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