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落ちこぼれからの復旧

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高校で落ちこぼれ、英語の勉強を始め、海外へ行き、帰国後英会話学校を始め、まともに収入を得るまで開業から10年かかりました。 英語に興味のある方。何か始めたい方。こんな人でも起業で…
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記事一覧

はじめに

 私は、「女の子は勉強せんでいい」という九州の家で生まれ育ちました。
そして本当に勉強しなかったので、その後高校で落ちこぼれてしまいました。
高校はなんとか卒業できたものの、「なんの取柄もない自分」に失望し、這い上がろうとしては何度も真っ逆さまに落ちていきました。

「英語との出会い」は私に前進する希望を与えてくれました。

 百貨店勤務、オーストラリア語学留学、英会話学校勤務、カナダ短大留学、カ

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落ちこぼれてしまった高校生活

中学生の時までは授業をちゃんと聞いて宿題をしていたら、テストではちゃんと良い点がとれていた。高校は進学校に無事合格した。そこ迄は順風満帆であった。

ところが、高校生活が始まり数ヶ月たった頃、授業がちんぷんかんぷんになっているのに気づいた。理数系は手遅れだった。定期テストはなんとかごまかせても、数学の実力テストは、最初にある数問だけを解き、その他90パーセントを占める計算式等は、手のつけようがなか

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暗いOLの日々

高校の進路相談室で、あまり数のない求人情報のファイルをパラパラっとめくっていたら「岩田屋」(百貨店)の求人が目に留まった。目に留まった最大の理由はボーナスが年3回という所だった。(後に春のボーナスは雀の涙である事が判明)。北九州市と福岡市の間のベッドタウンに住んでいた私は、「福岡市内の繁華街に毎日行けるなんていいな」「どんな楽しいことがあるんだろう?」と心躍らせた。とんとん拍子に私の就職は決まった

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18才、家出未遂事件後の私

両親をはじめ多くの大人から「石の上にも三年」どんな仕事も辛い事の方が多い、仕事が一人前にやれるようになって初めて人間的に成長するんだ、一つの事がやれない人間は何をやっても駄目だ、と延々と説教された。「3年とにかく頑張りなさい」と言われ、「よし、じゃあ3年間やってみよう」と気分を入れかえ、私のOL生活は再スタートした。先ずは一流の販売員を目指し、毎日真面目に仕事に取り組むことにした。

職場の皆は温

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とりあえず始めた英語の勉強

それが19才だったか20才だったかよく覚えていない。とりあえず何か身に付けようと思いたった私は、職場近くの英会話学校を二校ほど訪問し、受講料の安い方に決めた。初級クラスで教室には20人位の生徒がいた。高校のように教壇があり、生徒の机は教壇に向かい並んでいた。生徒が多いので先生と直接話せるチャンスは殆どなかった。週2回仕事の後に休まず通った。それと同時にアルクのヒアリングマラソンを始めた。通勤の往復

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憧れのオーストラリア〜屋根裏部屋と水あたり

海外は危ない所だよとさんざん皆から脅されていた私は、同僚がくれた手作りの袋にパスポートを入れ、首からさげてそれをシャツの中へしまい、オーストラリアへ旅立った。チェックインや入国カードの記入でパスポートが必要な時に取り出すのがとても面倒だった。後にそんなことまでしなくていいと気づいたが、その時はビクビクしていた。

ビザはワーキングホリデイを取得した。3ヶ月は英語学校だったけれど、残りの3ヶ月は学校

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憧れのシドニーホームステイと大旅行

シドニー滞在三ヶ月目に突入する頃、以前からジョンソン夫妻に「うちで暮らしなさい」と言って貰っていたので、もう下宿の食事にもうんざりしていた私は、お言葉に甘えてホームステイをさせてもらうことにした。しかも滞在費はいらない、と言われる。それでは申し訳ないからといくらかでも出そうとすると、いらないから、と言われる。結局1セントも受け取ってくれなかった。ありがたく申し訳なく感謝の気持ちで一杯だった。後に両

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残り2ヶ月 クージービーチとアパート暮らし

3キロ太ってシドニーへ戻った私がまず最初にしたことは引っ越しだった。引っ越しといっても、大きなバッグ一つしかなかったので、バスに乗って引っ越し先に行っただけだったが…
旅行に一緒に行った久美子が間もなく帰国するということで、そのアパートに空き部屋がでる。見てみるとクージービーチまで水着のまま歩いて行け、楽しそうなお店なんかもある町で、一目で気に入った。ジョンソン夫妻の所で居候するのも少し気が咎めて

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岩田屋へ舞い戻り、カナダへ旅立つ

岩田屋へ舞い戻り、カナダへ旅立つ

帰国するとすぐ、岩田屋へ出勤した。半年前にはちょうどよかった制服が、ボタンがややはちきれそうな位ピチピチだった。まず人事に行き復職する部署を聞かなければならなかった。誰にも言わなかったが内心私は期待していた。海外買い付けとか、英語を活かせる部署だとか…その期待は玉砕された。私はハンカチ売り場に戻された。今思えば当たり前の事だ。気を取り直し、休職扱いにしてくれた上司の為にも、暫くは頑張って働く事にし

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恐怖の魚釣り

カナダについて間もなく、JacquiとJacquiの彼Edがキャンプに連れていってくれた。目的地に着き、夕食の準備までには時間があったので、湖で魚釣りをしようということになった。カナダの湖は海のようだった。

Edは私にやり方を教えてくれた。それじゃあ、と釣り竿をふり、釣り糸と重りを投げ込んだ。魚釣りはあれが最初で最後だったので、なに釣りか等は全然わからない。とにかく遠くをめがけて竿をふった。次の

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わからない英語

日本の新学期は4月だが、カナダの新学期は9月だった。意欲に燃えまくり大学へ行った。やはり自分で貯めたお金で通うのは、重みが違う。が、始まって間もなく非情にも先生方はストへ突入した。しかも数日、とかでなく、それは2ヶ月近く続いた。勉強する為に遥々海を渡っていった私にとっては、非常事態だった。JacquiとBettyは仕事があるし、他に誰も知っている人もいないし、やることもないし、お金は使えないし。私

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6ヶ月目の奇跡

6ヶ月目の奇跡

大学生活6ヶ月目に入った頃、突然みんなが何を言っているのかわかり始めた。そしてトントン拍子に、グループの中での話も結構できるようになっていった。一緒に授業を受けている子達も話かけてくれるようになって、その中の5才年下のCorinaと仲良くなった。

週末にはよくCorinaの家に泊まりに行った。すると彼女のお父さんがご馳走を作ってもてなしてくれた。Corinaとも今でもメールで近況を報告しあってい

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カナダの夏休み

カナダの夏休み

夏休みは長かった。二ヶ月とちょっとはあったような気がする。そんなに長くてもやることがないので、私はトロントで夏休みを過ごそうと決めた。

最初はオンタリオプレイスという遊園地みたいな所でアルバイトが決まっていたが、ビザが間に合わず研修だけ2日受けて結局バイトはできなかった。

そこで夏休み中プラプラする事に決めた。トロントはキッチェナーに比べるとすごく都会で楽しかった。日本人も沢山いた。久しぶりの

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極貧生活

カナダに留学する時、岩田屋時代にケチケチ生活に徹し貯金したお金が全部で200万円位あった。2年間の授業料が120万円で残ったお金は80万円だった。

私は無謀にも、その80万円で2年間を乗り切ろうとしていた。1年間で40万円、1ヶ月で3万3千3百円の生活費ということになる。そこからJacquiとBettyが格安にしてくれた家賃と、食費2万円を支払うとお小遣いは1万3千3百円だった。

自転車は思い

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