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とりあえず始めた英語の勉強
それが19才だったか20才だったかよく覚えていない。とりあえず何か身に付けようと思いたった私は、職場近くの英会話学校を二校ほど訪問し、受講料の安い方に決めた。初級クラスで教室には20人位の生徒がいた。高校のように教壇があり、生徒の机は教壇に向かい並んでいた。生徒が多いので先生と直接話せるチャンスは殆どなかった。週2回仕事の後に休まず通った。それと同時にアルクのヒアリングマラソンを始めた。通勤の往復
もっとみる憧れのオーストラリア〜屋根裏部屋と水あたり
海外は危ない所だよとさんざん皆から脅されていた私は、同僚がくれた手作りの袋にパスポートを入れ、首からさげてそれをシャツの中へしまい、オーストラリアへ旅立った。チェックインや入国カードの記入でパスポートが必要な時に取り出すのがとても面倒だった。後にそんなことまでしなくていいと気づいたが、その時はビクビクしていた。
ビザはワーキングホリデイを取得した。3ヶ月は英語学校だったけれど、残りの3ヶ月は学校
憧れのシドニーホームステイと大旅行
シドニー滞在三ヶ月目に突入する頃、以前からジョンソン夫妻に「うちで暮らしなさい」と言って貰っていたので、もう下宿の食事にもうんざりしていた私は、お言葉に甘えてホームステイをさせてもらうことにした。しかも滞在費はいらない、と言われる。それでは申し訳ないからといくらかでも出そうとすると、いらないから、と言われる。結局1セントも受け取ってくれなかった。ありがたく申し訳なく感謝の気持ちで一杯だった。後に両
もっとみる残り2ヶ月 クージービーチとアパート暮らし
3キロ太ってシドニーへ戻った私がまず最初にしたことは引っ越しだった。引っ越しといっても、大きなバッグ一つしかなかったので、バスに乗って引っ越し先に行っただけだったが…
旅行に一緒に行った久美子が間もなく帰国するということで、そのアパートに空き部屋がでる。見てみるとクージービーチまで水着のまま歩いて行け、楽しそうなお店なんかもある町で、一目で気に入った。ジョンソン夫妻の所で居候するのも少し気が咎めて
岩田屋へ舞い戻り、カナダへ旅立つ
帰国するとすぐ、岩田屋へ出勤した。半年前にはちょうどよかった制服が、ボタンがややはちきれそうな位ピチピチだった。まず人事に行き復職する部署を聞かなければならなかった。誰にも言わなかったが内心私は期待していた。海外買い付けとか、英語を活かせる部署だとか…その期待は玉砕された。私はハンカチ売り場に戻された。今思えば当たり前の事だ。気を取り直し、休職扱いにしてくれた上司の為にも、暫くは頑張って働く事にし
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