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現代のノマド達が選んだ“自由に生きる”という意味。映画『ノマドランド』

ひさしぶりに、心にささる映画をみた。

『ノマドランド』である。

アカデミー賞3冠を獲ったことで、最近さらに話題になった映画だ。

映画自体は派手な演出はなく、多くを語らない淡々としたロードムービーなのだが、映像を通じて心の奥底に語りかけてくるような、そんな不思議な映画だった。

あらすじ
アメリカの大西部。果てしない大自然の中を、ボロボロのキャンピングカーを改造し、車上生活をする一人の女性がいる。
彼女の名前はファーン。
愛する夫に先立たれ、住む家も土地も失った彼女は、60代にして体力的にも厳しい季節労働に従事しながら、アメリカ大西部を渡り歩いていく。
行く先々でであう同じ車上生活者(現代のノマド)達と、時には助け合いながら交流を徐々に深めていく。
やがてファーンは彼らとの交流の通じて、「自分のいるべき場所とはどこか?」見出していく…。

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この映画は、ジャーナリストであるジェシカ・ブルーダー自らが車上生活者となって、現代のノマドとして暮らす人々を3年の歳月をかけて取材し書き上げた「ノマド: 漂流する高齢労働者たち」が元となっている。

そして、劇中には実際に取材をうけたノマド達本人が出演しているのだ。彼らの口から語られるのは、脚色のない本人たちの生の声である。

彼らは強い意志をもって、ノマドという生き方を選んでいる。

季節労働だって必ず就けるという保証はないだろう。健康や体力の心配だってある。それでも、彼らは前を向いて自由に生きている。お互い困ったときは助け合いながら、各々の選んだ人生の旅を続けている。

彼らの姿を見ていて感じたことがある。

わたしは、ある程度自分のお金は自由に使えるし、食べるものも着るものだって自由に選べる。何不自由なく暮らせている方だと思う。

それでも、自分自身がときどき窮屈に感じることがある。

人間にとっての自由というのは、物理的に何不自由ない状態を指すのではなく、心のあるがままに生きることを指すんじゃないだろうか?

しかし、心が本当に欲している自由を、物理的に手にしてしまった自由が邪魔をすることがある。

今の私も、新しい人生に踏み出したいと心では強く思っているが、今手にしている安定した生活を捨てられずにいる。

だから、アメリカの大自然を背景に映し出されるノマド達の強く、そして美しい姿がたまらなく眩しく見えたのだ。

私もいつかファーンのように、自分にとっての本当の自由を選択できる日がくるだろうか?

いまは、その選択をできる勇気がほしい。


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