「それはふつうです」ーわたしの文化人類学的フィールドワーク
博士課程の中国新疆カシュガルでのフィールドワークが終わりに近づいていたころ、現地の女性がわたしを助手席に乗せ、
「もうすぐ帰っちゃうんだねぇ。どう?日本に帰って発表できそうなことが何かわかったの?」
と聞いてきてくれたことがあった。
わたしは、世帯の訪問者数や訪問者を迎えたときの家族の様子、家族の他者の家への訪問の仕方、その男女差、家での人々の空間の使い方等のデータの結果、
ウイグル族の家は「女性の社会空間」で、そこは「男性の社会空間」とを分ける場所なのだとわかったよ、
といったところ、
それをいわれたその人は、眉をひそめ
「それは”ふっつーー”です。
そんなことしか持って帰れなくて、大丈夫?
そんなんで日本で本当に学位なんかとれるの?
帰っちゃって本当に大丈夫?」
ときいてきた。
あーーーーーー(情報量過多)、
と思ったが、あ、まあ学位はとれたのでそれはいいのですが、
そのレベルの文化交流ってしないよねぇ、というか
家庭の日常というありふれたものに注目する、というのは実はなかなか難しい、というのもあり
いまだに、あの場でなんていえば(語るべき内容過多)よかったのかわからないのだが、
「ふっつーー」を持って帰ってこれたことは、わたしにとっては僥倖で(むこうの人たちの口にもされていない「あたりまえ」をわたしはことばにしたかった)
だからこれからも「ふっつーー」とその先をと願い、ここまでやってきた。
他の文化人類学者がみているものとわたしはちょっとズレているんじゃないかと、思うこともあるんだが。
「ふっつーー」はいまこんなふうに何かを語るなにかになってます☆↓
蛇足
ウイグル族の家は「女性の社会空間」であることがわかったとき(エウレカ!)、わたしはまたしても国際電話をかけ、実家の母親に「お母さんすごいんだよウイグル族の家は「公的」「私的」じゃないんだよあーなってこーなってこーなってあーなって「女性」「男性」をわけてるんだよ!!!」と一気にまくしたてたところ
「それよりあんたいつ帰ってくんの?」
といわれ店の机に突っ伏した(そのころの中国の電話は「公用电话」(店)でかけるものだった)。
国際電話一回目(笑)↓
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