雨の季節が終わり、やっと夏本番です じめじめした季節は家のあちこちにカビを発生させ、気持ちまでどんよりさせてしまいます。 雨は好きですが、家の中を思うと本当にうっとうしくなります。梅雨明けが待ち遠しいと思うものの、ここ近年の信じられない暑さでは、日差しを楽しめるどころではありません。 梅雨時期には庭に出れないので、ほとんど放置状態でした。伸びに伸びた草は、我が物顔で庭を占領しつつあります。でも、梅雨が明ければ暑さを理由に庭に出る気力もなくなります。 この家の庭は100坪ほ
私が以前住んでいた場所は、都市に近い中核市。ほどほどに何でもあり、不便は何一つ感じませんでした。 今の住まいから歩いていける範囲には、スーパーが一件。品数はかなり少なく、空いている棚があるほどです。 コンビニは車で5分ほどのところに3件あります 買い物は隣の市まで車で行きます 週に1~2回、買いだめをしています 「田舎暮らし」なんてカテゴリをわざわざ作る必要ってあるのかなと思います。実際暮らしてみても、それほど困ることはありません。なぜなら、楽しみたいならその場所に、移
「お茶の間の皆さん」という呼びかけを、テレビで聞いたことがあるでしょうか? 最近私はあまりテレビを見ないので、様変わりしているのかもしれませんが、「リビングの皆さん」とは言わないんじゃないのかな。 「茶の間」っていい響きだと思いませんか?ザ、日本の和室とそこでくつろぐ家族の風景が見えてくるような気がします。 この家のちょうど中心部、台所との続きに「茶の間」はありました。こたつのテーブルを置き、座椅子とテレビ。電話と茶箪笥。 茶の間を囲む引き戸は昔ながらの木枠のすりガラス。
寝室はもともと和室で、床をフローリングに変えただけ。そのため桟木や砂壁がそのまま残り、収納もふすまになっています。 まだ改善の余地はありますが、とりあえずはきちんと寝る場所を決められて満足でした。 面積の大きいカーテンとベッドカバーをシンプルなものにしたので、和室の名残もあまり気にならなくなりました。夜は小さなテーブルランプで過ごしています。そのため雰囲気もとてもよくなりました。 寝室はごくごくプライベートな空間です。一日が終わって、ゆっくり過ごす時間はとても大
気まぐれ、飽きやすい、冷たい・・・どれも当てはまるような感じがしますが、それだけが理由でしょうか。常に焦燥感や不足を感じてしまう。これじゃない、ここじゃない。もっと他にあるのではないか・・・。それまで築いてきたものを、簡単に置き去り、新しい場所、人間関係に移っていってしまう。 まさに若いころの私がそうでした。自分にふさわしくないというより、「自分が」ふさわしくないと感じてしまう。まわりが高い位置にあり、自分のステータスでは届かないため努力が必要だと感じてしまう。楽なものが
所有する喜びは誰にでもあると思います。例えば家、車、家電など、生活に必要で使いこなすものは、デザインや機能において自分にふさわしいものを選ぶことでしょう。 服も同じ。着こなしやすさや自分をどう見せてくれるか、自分に合わせて選びます。 モノにも寿命はありますので、壊れたり、自分に合わなくなったりして、やがて捨て時が来ます。所有欲を満たしてくれた感謝とともに、処分をすることでしょう。 ただ、捨て時が来ているのにモノを捨てられない人もいるのです。 アメリカのテレビ番組で
家は部屋数7つ。そのうち個室として使えるのは4つ。一人ずつの部屋が余裕で持てる広さです。 2階の南の部屋の大きな窓からは眼下に広い庭と、目を上げると小高い山を見ることができます。 この部屋を夫婦の寝室にすることに決めました。7畳の広さなので、ベッドも余裕でおけます。 ベッドはシングルを二つ並べました。当初はくっつけて大きなサイズにしていたのですが、離しておいた方がベッドメイキングがしやすく、眠るときもお互い干渉せずに済みます。 寝室にはベッドとドレッサー、小さなサイ
私は自分の家というものを持ったことがありません。 今住んでいるのは夫の実家ですし、その前は長く賃貸住宅に住んでいました。自分の家は大人になれば手に入れることが出来て、家族で幸せに暮らすことができると思っていました。理想からは程遠い生活をしていましたが、たとえ賃貸でも工夫して居心地よくしようとしてきました。 子どもの頃、家のチラシを見るのが大好きでした。外観もさることながら、間取りをみては、玄関からただいまと帰ってきて、まずここにバッグをおいて、自分の部屋はここで・・・
居心地というと何を思い浮かべるでしょう。 安心感、暖かい思い出、ふかふかのソファなどなど・・・。 柔らかく、ぬくもりのある風景や感情だと思います。 年齢を重ねると、子どもの頃の記憶も次第にあいまいになります。それと同時に、感情の起伏も穏やかになってきます。 今、私はそれがとても心地いいのです。 私が育った家庭は、居心地がいいとは言えませんでした。何か自分が落ち着かない、不安定な存在だったのです。その理由は、家の造りではなく、明らかに家族関係によるものでした。
キッチンにあった古いテーブルは大理石模様の8人がけでした。新築時に購入されたもので、当時6人で生活していたそうですが、それでも十分な広さだったと思います。 ただ、終盤は夫と夫の母との二人暮らしで、テーブルの上には食品や雑貨などが所狭しと置かれ、食事をするスペースは角の方に追いやられていました。大理石模様はシート状のもので、天板に張られていたのですが、隅の方から剥がれている状態でした。また、かなり汚れと痛みが目立っていました。 家具といえばテーブルくらいで、あとはワゴ
壁は緑色の壁紙を貼った石膏ボードで、その上に自分たちで白い漆喰を塗ることにきめました。漆喰はホームセンターに売っているDIY用の、練られていてすぐ使えるものを使用しました。 広さ役10畳程の壁は、初めて漆喰を塗る練習にうってつけでした。幸い石膏ボードの壁なので、壁紙を剝がさずに直接その上に塗ることにしました。これが砂壁だったら、固める処理などが必要でさらに手間がかかったと思います。マスキングテープを張り、思い切り大胆に塗っていきました。コテの跡や塗りむらがあっても、それも
昭和に生まれた私は、昭和の時代をよく知っています。人生における大きなイベントを、男性主体で進めることが当たり前だという考えが、まだ根強く残るのを見聞きしてきました。 田舎に住む女性が、家の建築やデザインなどについて口をはさむことはなかったと思われます。大工さんのセンスに任され、今みたいに機能的な建材も乏しかったのでしょう。 半世紀前にタイムスリップしたような台所は、そんな思いをほうふつとさせるものでした。 台所は北向きにあり、日中でも少し暗い感じがします。黄土色の床の
夫の実家に住むことが決まった時、昭和50年代に建てられた田舎の大きな家を見て、ワクワクしたことを思いだします。 ゆとりのある部屋数、お座敷と次の間をぐるりと囲む廊下、緑豊かな日本庭園。 高いビルはひとつもない山里の盆地で、第3の人生をスタートしました。 古くて広い家なので、全てリフォームするには大変な費用がかかります。 最低限の手入れだけにして、あとは住みながら考えようという事になりました。 幸いなことに夫の友人が協力してくれて、ウッドデッキの増設や二階の床の
毎日の暮らしの中で、たまに訪れる大きなことがあります。 年が明けてすぐに日本でも大きな災害や事故があり 「もう何も起こりませんように」と思ったところに父が倒れたとの知らせが入りました。 意識が回復することなく、父は他界しました。 日経平均株価がバブル期以降最高値を超えたと、知らせを聞いて病院に向かう車の中のラジオでしきりに言っていました。 現実ともうこの世にない魂と、なんだか不思議な感覚になったのを覚えています。 大きなことが起こると、とてつもなく体と心が疲弊します その