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リセット症候群

 気まぐれ、飽きやすい、冷たい・・・どれも当てはまるような感じがしますが、それだけが理由でしょうか。常に焦燥感や不足を感じてしまう。これじゃない、ここじゃない。もっと他にあるのではないか・・・。それまで築いてきたものを、簡単に置き去り、新しい場所、人間関係に移っていってしまう。
 まさに若いころの私がそうでした。自分にふさわしくないというより、「自分が」ふさわしくないと感じてしまう。まわりが高い位置にあり、自分のステータスでは届かないため努力が必要だと感じてしまう。楽なものがあれば、たやすくそちらに行ってしまう。今もその傾向はあるのかもしれません。
 初めてリセット症候群という言葉を知ったとき、私はこれだった!と思い妙に納得しました。なぜ深く考えずに同じようなことを繰り返すのか、わからなかったのです。考えたつもりで行動しても、浅はかだったと後でわかるのです。
 自分のことをあまり考えずに育った私は、何を大切にしているのかすらわかりませんでした。他人の意見は概ね正しいと考え、自分を疲弊させることでも良しとしていたのです。典型的な他人軸を持ち、努力をしない自分はみじめで存在価値がありませんでした。
 
 そのような人は、ターゲットになりやすいことを身をもって知っています。少し優しくされたら、私のためにしてくれていると考えてしまうのです。本来なら相手に嫌われても馬鹿にされても、自分が嫌なものは嫌だと言っていいはずです。自分軸を持たない人は、相手の気持ちに左右され、気持ちが揺れ動いてしまうのです。
 病んだ人は病んだ人とつながるように、食い物にする人は病んだ人を見逃しません。なぜなら、搾取するポイントを押さえて理論的に攻めてくるからです。わずかなストロークを得ようと必死だった人は、相手の見せる優しさにほだされてしまいます。その優しさはこちらを安心させるためではなく、相手の欲望を満たすためだけなのに。
 
 「この状態を変えれば、もっとうまくいく」それは幻想にすぎません。私は何度も何度もその考えを持ち、新たなチャレンジ(自分なりの)をしてきました。その結果、何も得ることはありませんでした。薄い経験だけは増えていきましたが、安定とは程遠いもの。そのような状態はますます自分を不安にさせました。

 夫と知り合い結婚したのは、そのような自分と決別するきっかけだったのかもしれません。結婚すると同時に夫の実家のある田舎の里山に引っ越してきたのですから、この行動自体がリセット症候群を表しているのでしょう。

 短絡的な考えに陥りがちな私とは対照的に、石橋をたたいて渡らない気質の夫。他のことに目移りすることがなくなると、それまでの人生のことをよくよく考えるようになりました。自分のことをおさらいして、初めて気が付いたこともありました。置かれた環境で地に足をつけることは、実は自分を豊かにする一番の近道なのかもしれません。

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