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1300年前から存在した言葉【ただし美女に限る】その漢詩から想像する詩人・王維の人物像とは?


言葉は、日々生まれ続けています。
時代が進む中で「発言に対しての炎上」は
日常になりつつあります。

今から約1300年前、中国・唐の時代には
漢詩が発展しました。
教科書でお馴染みの李白や杜甫も
この時代に活躍した人物です。

中国では唐诗三百首と呼ばれ、
多くの詩人が多くの漢詩を残しています。
今回紹介する「王維」もその一人。

唐诗三百首は言うなれば日本版の掛け算九九。
小学生の定番暗記学習です。
小学生が学ぶ教材の中に、
女性の容姿をとやかく言うような
詩があるなんて信じられないですよね…。

今回はそんな漢詩を紹介したいと思います!

ひそみにならうこといずくんぞこいねがうべけむ
【ただし美女に限る】

白文【效颦安可希】…
素質もないのに、優れた人の真似をしても効果は期待できないという意味。

詩の背景

中国の春秋戦国時代の美女、西施が元になった詩です。
ある日、西施はとある事で心を痛め
顔をしかめていました。
それを醜女が見て「美しい」と思い、
自分も真似して顔をしかめ村中を歩き回ります。
すると金持ちは家にかくれ、
貧乏人は妻子を連れて逃げ出しました。

「美人」が顔をしかめたからこそ「美しい」
のであり、むやみに人の真似をするものではない
ということを表現した王維の漢詩の一節です。


私は女性の1人として、なんだか腑に落ちません。
確かに、言っていることは間違いではないです。
女優さんと同じ化粧品を使ったからといって、
その人になれるわけではありません。

でも、この詩を書いた王維に対して
醜女(この言い方もどうかと思う)
西施の真似をして顔をしかめている
ということを知っていたのなら、
「西施の真似をしているんだな、可愛らしいな」
くらい心を広く持っても良いと思うのです。

わざわざ詩で表現して全世界に発表するなんて
ひどい!と思ってしまうのは私だけでしょうか?

この詩の全文や、
失礼な言葉を詩にしてしまう王維が
他にどんな作品を残しているのか知りたい方は、
この後もお付き合いください。

【王维】西施咏

朗読音声はこちら↓

【白文】
艳色天下重,西施宁久微。
朝为越溪女,暮作吴宫妃。
贱日岂殊众,贵来方悟稀。
邀人傅香粉,不自著罗衣。
君宠益娇态,君怜无是非。
当时浣纱伴,莫得同车归。
持谢邻家子,效颦安可希?

【書き下し文】
豔色えんしょくは天下重んず、西施あに久しく微ならむや。
あしたには越渓のじょたり、暮には呉宮の妃とる。
賤日せんじつあに衆にことならむや、貴来まさまれなるを悟る。
人をむかえて香粉をけしめ、自ら羅衣らいを付けず。
君寵くんちょう嬌態きょうたいを益し、君憐れんで是非する無し。
当時浣纱かんさともがち、車を同じゅうして帰るを得るをし。
持って鄰家りんかの子に謝す、ひそみならうこといずくんぞこいねがうべけむ。

【日本語訳】
美女は天下の宝もの
西施ほどの美人が埋もれている筈はない
朝には越の谷間にきぬ洗い
夕には呉王の妃となる
貧しいときは人と違ったこともなく
高貴となれば世に稀なその身に気づき
肥粉おしろいをつけるも人手により
うす衣着るのも自分では着ぬ
かごに馴れてはますますあだっぽく
愛をうけては過ちもとがめられぬ
昔一緒にきぬを洗った仲間たち
誰とて同車して王宮に行けるものはいない
世のむすめたちよ
西施の美貌もないくせに
ひそみにならうことはすまいぞ




ほんとうに美しいものを備えていれば、
必ず結果としてあらわれる。
その美も才能もないのに、無駄に人の真似をして
高く変われようとするものたちの詩です。

ここまでで既に
多くの女性たちを敵に回している王維ですが、
他にはどんな詩を詠んでいたのでしょうか?
【谓川田家】という作品を見てみましょう。


【王维】谓川田家

朗読音声はこちら↓

【白文】
斜阳照墟落,穷巷牛羊归。
野老念牧童,倚杖候荆扉。
雉雊麦苗秀,蚕眠桑叶稀。
田夫荷锄至,相见语依依。
即此羡闲逸,怅然吟式微。

【書き下し文】
斜陽虚落きょらくを照らし、窮巷きゅうこうに牛羊帰る
野老やろう牧童をおもい、杖によって荊扉けいひ
いて麦苗ばくびょう秀で、蚕眠って桑葉稀なり
田夫でんぷ鋤を荷ないて至り、相見て語依依いいたり
此れにいて閑逸かんいつを羨み、悵然ちょうぜんとして式微しきびを吟ず

【日本語訳】
村里に入り日さし
貧しきこみちに牛羊帰る
老父は牧童の身を案じ
杖をついて柴の戸に待つ
雉鳴いて麦の穂の伸びる頃
蚕は眠り桑の葉もまばら
鋤をなって帰る農夫は
人に逢うて語ってやまぬ
羨ましきこの静けさ
嘆きつつ「式微しきび」をうたう




田家の夕暮れの様子を詠った、
一枚の絵画のような美しい詩です。
牧童は牛羊を追って帰り、農夫は鋤をかついで帰る。
この静かな田園風景を見て、自分も早く田園の生活に帰りたいと願う心を表現しています。

少し、王維という人がわからなくなりましたね。
普段は強がっているものの、
心の中ではふるさとに帰りたいという
想いを持っていたのかもしれません。 

しかしおそらく谓川田家に描かれた農夫たちは、
王維のことを羨ましく思っているでしょう。
なんだか現代にも通じる感覚です。


また、詩中に登場する「式微」には、
「衰える」という意味があります。
何が「衰える」ことによって
田園生活に戻れることを想像していたのでしょうか?
「自分」か「国」か…。 

王維のふたつの詩に触れて、その人柄が
とても複雑であることがわかりました。
次に王維の経歴を見てみましょう。


王維の人物像

王維…
唐の時代の人物。
詩・絵画・音楽に精通した、多彩多芸の文化人。
官僚として順調に出世し、
公務の合間には長安郊外の別荘で
自然に囲まれて過ごした。熱心な仏教信者。

なんだか非の打ちどころがなく、
悔しい気持ちになりました。
李白のように、お酒の失敗で
朝廷の官吏をクビになった…
ような、人間らしいエピソードが欲しいものです。

最初に「西施咏」で王維に対し、
あまり良いイメージを抱きませんでしたが
「谓川田家」の哀愁漂う詩で印象が変わりました。

なんでもできるからこそ、完璧な人を演じる
重圧もあったのかもしれません。

初対面で人を判断してはいけないと言いますが、
ひとつの漢詩で作者の人物像を決めてはいけないと
改めて感じています。

私は王維に対して、
官僚としての厳格な一面とは別の
内面に葛藤を抱えた人物であると想像しました。

あなたはどう考えますか?


参考書籍
中华书局经典教育研究中心:唐诗三百首诵读本(插图版) (Chinese Edition)
河田聡美:心を励ます中国名言・名詩

この記事を読んで、
漢詩に興味を持ってくださった方は、
ぜひこちらも見ていってくださいね。

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