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【ポッドキャスト連動記事③】中国語大好き漢詩の旅:絶対に負けられないPodcast


※この記事は9/1配信の「絶対に負けられないPodcast」をより良く理解するための記事です。
記事単体でも問題なく読めますが、番組の参考テキストとして読むことをおすすめします。

また、前回の記事をまだ読んでいない方は、
先にこちらを読むと理解がより深まります。





⒊日本での知名度は低いが、個人的に紹介したい漢詩

⑴杜甫:蜀相
⑵曹操:短歌行
⑶曹植:七歩诗

⑴杜甫:蜀相


①作者・杜甫について
杜甫は諸葛亮をリスペクトしていました。
諸葛亮の主君への忠誠心をしたっています。
安禄山の乱で唐の王室が傾くなか
もし今諸葛亮のような人物が現れてくれたらと
思わずにはいられませんでした。

杜甫は49歳の時に成都に住んでいました。
2年ほどしかいなかったが平穏な生活を送ります。
私たちは現在、小説やドラマ、
ゲームで三国志を楽しんでいますが、
この時代は漢詩で、三国志への思いを
馳せていたのではないでしょうか。

陳寿(三国志著者)は正史三国志以外に、
「諸葛亮伝」も書いている。
陳寿は蜀の人間で、
魏に降伏した後執筆させられている。

なんでわざわざ降伏した国の人物を
ピックアップするのだろうか?
私の考察だが、諸葛亮の株を上げることで
司馬懿の株も上がる。

司馬懿は魏を廃し晋王朝の礎を築いた人物なので
諸葛亮に勝った司馬懿は天才!という事ををアピールしたかったのではと思われる。

三国志演義は羅貫中(元末・明初)が記した。

②書き下し文
丞相の祠堂しどういずれの処にか尋ねん
錦官きんかん城外じょうがい栢森森はくしんしん
階に映ずる碧草へきそうは自ずから春色
葉を隔つる黄鸝こうりは空しく好音こうおん
三顧頻煩さんこひんぱんなり天下の計
両朝開済りょうちょうかいせいす老臣の心
師をだして未だにたざるに身先みまず死し
長く英雄をして涙襟なみだきんに満たしむ

※祠堂は祖先がまつられている場所

③日本語訳
丞相の祠堂はどこだろうかと探していたら
成都城外のヒノキの常緑樹が繁る場所にあった

階段の前にある青々とした植物は春に芽吹き
木々の間にとまるウグイスは空しくさえずる

三顧の恩に感じては
天下三分の計を授け

二代にわたり主君を助けては
困難に遭いながらも国を維持した

魏を討たんとして軍を出し
いまだ勝利を得ぬうちに

無念やその身は病に倒れ
永く後世の英雄に
痛恨の涙をそそがせる

③中国語白文

杜甫
蜀相

氶相祠堂何外㝵Zhěng xiāng cítáng hé wài dé?锦官城外柏森森Jǐn guān chéng wài bǎi sēnsēn
映阶碧草自春色Yìng jiē bì cǎo zì chūnsè隔叶黄鹂空好音Gé yè huánglí kōng hǎo yīn
三顾频烦天下计Sān gù pín fán tiānxià jì两朝开济老豆心Liǎng cháo kāi jì lǎo dòu xīn
出师末捷身先死Chūshī mò jié shēn xiān sǐ长使英雄泪满襟Zhǎng shǐ yīngxióng lèi mǎn jīn

参考のため拼音も評価していますが、読み方が異なる字があるため、実際の発音と異なる場合があります。

※漢詩の読み方のコツ!
五言は上2文字・下3文字、
七言は上2・中2・下3で区切って読むと
上手に聞こえます!


⑵曹操:短歌行


①作者・曹操について

曹操の悪役イメージは、
演義の影響が大きいです。
「目的のためなら手段を選ばない」
という人物という印象があるかと思いますが、
今回は漢詩をテーマに話しているので、
曹操の「詩」から人柄を考えてみます。


『冬十月』
戦のあと民家に一泊しようと
とある家を訪ねたときの詩。

そこで見たのは、
シーズンを終え収穫された農作物が
しっかり整頓されている様子。
(客人が宿泊できるように)
これを見て、何と美しい風景だろうか
と言っています。
さらに、私(曹操)が願うのは、
政治と経済が安定し民が安住できる統一国家だ、
と続けます。


虽寿』
曹操の晩年の詩になります。
虽はいえどもの簡体字です。
「亀は長生きといえども」
という意味のタイトルかと考えられます。

『龟虽寿』は、自分自身(曹操)は歳をとった
千里馬よりも身体は衰えているが、
胸の中には千里を駆け回る
雄大な志があることを伝えている詩です。

この二つの詩の内容を聞いて、
曹操についてどう思ったでしょうか?
曹操は本当に悪人だったのかな?と
思う人もいるかもしれません。

三国時代の詩は【建安の風骨】と呼ばれ、
なかでも三曹七子は特に優れているといわれる。

三曹は
(曹操・曹丕・曹植)
七子は
孔融こうゆう王粲おうさん劉楨りゅうてい陳琳ちんりん阮瑀げんう徐幹じょかん応瑒おうとう

この詩は四字で構成されています。
古詩や五言律詩とは別の【楽府】という形式です。
曲にのせて詩を読むスタイルで、
三国志のドラマでは太鼓や笛にのせて
曹操が詩を読んでいたりします。


②書き下し文
酒に対してはまさに歌ふべし
人生幾何いくばく
たとへば朝露あさつゆごと
去る日ははなはだ多し
がいしてまさに以ってこうすべし
幽思ゆうし忘れ難し
何を以ってか憂ひを解かむ
杜康とこう有るのみ

酒を飲みながら歌おう、
人生は朝露のように
短いのだから。
心を埋め尽くす不安は、
酒が解放してくれる。


青青せいせいたるえり
悠悠ゆうゆうたる我が心
だ君がため故に
沈吟ちんぎんして今に至る
幼幼ゆうゆうと鹿は鳴き
野のよもぎを食ふ
我に嘉賓かひん有らば
おおごとしょうを吹く

まだ若い学生たちよ、
私は悠々と君たちを待っている。
私を慕ってくれる者がいるなら、
琴を弾いて笛を吹いてもてなそう。


明明めいめいたること月のごときも
いずれの時か採るけんや
憂ひは中より来たる
断絶すべからず
はくせんを渡り
げてって相存あいぞん
契阔けいかつ談䜩だんえん
心に旧恩きゅうおんおもはむ。

空に浮かぶ月を、
私はいつ掴むことができるのか。
焦りや憂いは断ち切れない。
しかし君はあぜ道を超えて
はるばる逢いに来てくれた。
久しぶりに語り合おう。


月明らかに星まれ
烏鵲うじゃく南に飛ぶ
じゅめぐること三匝さんそう
何れの枝にか依るべき
山は高きを厭わず
海は深きを厭わず
周公はを吐きて
天下心をせり

星が霞んでしまうほど月が明るい夜、
カササギが南に飛ぼうとするが、
木を三度まわり
どの枝に止まろうか迷っている。
山は高いほどよく、
海は深いほどよい
古代・周の聖人周公旦は
食べかけのものを吐き出し
客人を迎え人々はその心に
感動したというではないか。
(私のもとに留まってほしい)


③中国語白文

曹操
短歌行

对酒当歌,人生几何Duì jiǔ dāng gē, rénshēng jǐhé
譬如朝露,去日苦多Pìrú zhāolù, qù rì kǔ duō
慨当以慷,幽思难忘Kǎi dāng yǐ kāng, yōusī nánwàng
何以解忧?唯有杜康Héyǐ jiěyōu? Wéi yǒu dùkāng

青青子衿,悠悠我心Qīngqīng zi jīn, yōuyōu wǒ xīn
但为君故,沉吟至今Dàn wèi jūn gù, chényín zhìjīn
呦呦鹿鸣,食野之苹Yōuyōu lù míng, shí yě zhī píng
我有嘉宾,鼓瑟吹笙Wǒ yǒu jiābīn, gǔ sè chuī shēng

明明如月,何时可掇Míngmíng rúyuè, hé shí kě duō
忧从中来,不可断绝Yōu cóngzhōng lái, bùkě duànjué
越陌度阡,枉用相存Yuè mò dù qiān, wǎng yòng xiàng cún
契阁谈宴,心念旧恩Qì gé tán yàn, xīn niànjiù ēn

月明星稀,鸟鹊南飞Yuè míngxīng xī, niǎo què nán fēi
绕树三西,何枝可依Rào shù sān xī, hé zhī kě yī
山不厌高,海不厌深Shān bùyàn gāo, hǎi bùyàn shēn
周公吐哺,天下归心Zhōugōng tǔ bǔ, tiānxià guīxīn


『短歌行二首』は、後漢の末年に政治家、
文学者の曹操が楽府の古題で創作した
2首の詩である。
最初の詩は宴会の歌を通じて、
穏やかで頓挫した筆致で詩人の渇きを求める
思想感情と天下統一の雄志を叙述した。


短歌行には2番がある!
2首目の詩は周文王、斉桓公、晋文公が
臣節を守った史事を礼賛。
自分には漢室を助ける志しかなく、
決して代漢自立の心がないことを明らかにした。

2つの詩は珠繋ぎで、荘重で典雅で、内容は深く、
感情は十分で、その政治内容と意義は
完全に濃厚な叙情的な境地の中に溶け込んで、
曹操の人格、学養、抱負と理想を全面的に現して、十分にその雄大で雅健な詩品を示している。
ただこの2番はいつ詠まれたのかも分からず、本当に曹操の詩なのか疑う説もある。




⑶曹植:七步诗


①作者・曹植について
曹操の五男(母は下夫人)、享年41歳です。
(前妻の丁夫人は二人子供がいたが早逝)
幼い頃から文才があり、曹操に
「誰に書かせた?」と言われてしまいます。

曹植の返答は
「私は言葉を発せば論となり、
筆を持てば章を自然と綴ります。
試験しても構いません」
と答えて曹操は、曹植の才能は本物だと信じたという逸話があります。

★曹丕は曹操の後を継いでからも
何かと理由をつけて曹植を排除しようとする。
ある日七歩歩くうちに詩を作れと命令する。
「兄弟」という言葉をを使わずに、
兄弟がテーマの詩を作れという難題
だったそうです。


②書き下し文
豆を煮て持てあつもの
し以って汁と
まめがら釜下ふかに在りて燃え
豆は釜中に在りて泣く
もと同根どうこんより生ずるに
相煎ること何ぞはなはだ急なると


③日本語訳
豆を煮て汁物を作る
味噌は漉されて汁物となる
まめがらは釜の下で燃え
豆は釜の中で泣く
元々は同じ根から生まれたというのに
なぜまめがらはそこまで酷く
豆を煎り付けるのか

豆は曹植、まめがらは曹丕を比喩しています。

③中国語白文

曹植
七歩诗

煮豆持作羮Zhǔ dòu Chí zuò gēng
漉菽以力汁Lù shū yǐ lì zhī
萁在釜下燃Qí zài fǔ xià rán
豆在釜中泣Dòu zài fǔ zhōng qì
本自同根生Běn zì tónggēn shēng
相煎何太急Xiāng jiān hé tài jí


諸葛亮リスペクトの杜甫ですが、
曹植も絶賛しています。
恵まれない運命にありながら詩を読み続けた
姿勢に自分を重ねていたのかと考えられます。

跡継ぎ争いが収束しても曹植は冷遇され続けます。
戦の前線に出してほしいと何度も曹丕に上奏文を送っていました。

意外なのは曹植は詩文よりも戦で功績をあげ、
政治で民を慈しむべきと言っている。
曹丕は逆で文学こそ国を治める上で重要と話した。

曹丕の後を継いだ曹叡は、
曹植の残したすべての文章を都の蔵に保管した。
だから今詩を読むことができている。
もし曹丕が長生きだったら曹植の詩は
残っていなかったかもしれません。




今回は、ポッドキャストの放送範囲に
合わせているため、以上になります。
先行してこの記事をお読みいただいた方も、
ぜひ9/1配信の放送を聴いてみてくださいね。


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「絶対に負けられないPodcast」
に興味を持ったという方は、
私の個人的なおすすめ回をまとめているので
こちらもよろしくお願いします。

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ちなみに
HSKに合格できた私の中国語勉強法は
こちらにまとめています。
中国語を勉強してみたいけど
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という方は参考にしてみてくださいね。

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