見出し画像

きっともっとずっと

自分の人生を振り返るとどんなことを思い出しますか?

私は辛かった記憶ばかりが蘇ってきます。

中学生2年生の時、起立性調節障害・パニック障害・不安障害になり
週に1度学校を早退して通院。18歳まで通いました。

完治したかと思えば、21で解離性障害に。

それはある日突然起きたことでした。
いつも通り起きて仕事にいこうとすると、体が起き上がらない。
動けない。涙が溢れる。

一人暮らしをしていて、実家まで少し距離があったため、次の日も仕事だしもし帰ったら次の日も休まないといけなくなる。
行きたいけれど行けない。休みたいけれど休めない。

6時に家族にかけた電話。みんな仕事だったためなかなか出ず、
諦めかけて最後にかけた2番目の兄が夜勤明けで出てくれたのです。
その時に私はなんて言ったのか覚えていなかったのですが、
後から兄に聞いたのは、「家に帰っていいかな」だったそうです。
いつもそんなことを聞いて帰ったことがなかったのに、そう聞いたそうです。

迎えにきてもらい、母と話している時いつも泣かないことで大号泣。
涙が止まらず、そのまま意識を失って倒れました。
救急車で運ばれ、点滴、その日に帰ることができました。

翌日、解離性障害を発症しました。

そこは真っ暗な暗闇の中。
出口が2つあって、どっちに進んでいいのかわからない。
そこで家族の声で私の名前を呼ばれ、そこへ歩いていく現実世界(?)に戻って来れる。そんな感じでした。2ヶ月毎日続き倒れ続ける日々。

病院と家だけの毎日。ご飯もお風呂も大好きな運転も1人ではできなくなり家族がつきっきりで見てくれる毎日。

なぜ私が?なんで元気だったのに。仕事にもいけたし、なんでと。原因がわからなずひたすら悩んでいました。

病院の先生に
なんでですか、こんなに元気なのに、先生私大丈夫です、大丈夫なのに、なんでこんな病気になるんですかと聞くと

「心の奥にある悲しかったことや辛かったことの大丈夫じゃないがあるのに、自分で大丈夫って見ないふりをしているんだよ。
自分の悲しみに向き合って、ちゃんと悲しんで、自分に優しくしてあげて」と言ってくれたのです。

私は言われて悲しかったこと全部笑って傷つかないようにして
それでも生きなきゃ行けないから仕事の後にアルバイトをして悲しむ暇がないように働いて忘れようとしていました。

長くなってしまいましたが、
いまこれを見てくださる方が、いま悲しいことがあるなら、
その悲しみから逃げないで、向き合って下さい。
ちゃんと悲しんで、自分を慰めてあげて下さい。
そして、その心の大丈夫じゃないというサインに気づいてあげて下さい。
自分の心に寄り添うことで、自分に優しくなれます。

辛いこと、悲しいこと、苦しいこと、それは自分にとって大切な出来事。
生きている中でいくつも訪れるもの。
しかし、必ずそこから得るものはあります。
そしてその後は必ずいいことがおきます。

大丈夫。絶対大丈夫。

この世界に生まれて一生懸命生き続けているあなたは幸せになれます。

まとまりのない文章で大変申し訳ありません、
いま同じようなことで辛い方に届いたら嬉しいです。

※解離性障害は自分の体験談であり、必ずしもこうであるとは限りません。
※私の解離性障害は別人格のでない気を失う症状でした。










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?