多面体。(父の夢をみたから固定)
夏が過ぎ、秋へ向かう。
季節の変わり目は、いつも高校2年の夏休みを思い出す。
精神は湖のように深くゆれ揺らぎ、全身を浸した水面で手足を掻き続けて底が濁る。濁らせたい訳ではないが動けば動くほど濁りは広がってゆく。同時にいつ沈むのか推測不能な不気味さに体が冷え切る。常に水の中に浸っているからか手先足先が痺れる。一歩進み出したら一瞬で溺れてしまうかもしれない恐怖と緊張と裏腹に、陸に上がり自分の体温を感じると、生きている実感を滴る雫により享受する。
あの夏の日のことを。
人生で初の不眠症になっていたが、特に苦痛でも無く、二段ベッドの上で、よしもとばななさんの「哀しい予感」を夢中になり読んでいた。多感、表立って不服を態度に出したりしない。出した所で受皿もない。この不条理は何処に向かうのだろう。ばななさんの描く世界は、現実なのか夢なのか分からない、分からないけど寛容で厳かだった。歪で苦しい心に風通しを与えてくれた。独りであってもひとりじゃない。人間は元々、孤独で、その孤独と向き合わずに終わらせることは出来ない。文章を読む度に、、、
もっとこの世界を知りたいと思った。
思春期だからというだけではなく、大人へ向かう分岐点の一つで過ぎてしまえば、痛みや色や香りすら忘れて、どのようなものだったのかも思い出せない。記憶は確かで不確かだ。若さは残酷で眩い。真っ当な答えなどないし誰も教えてくれない。定義さえ捉えられれば楽になれる訳でもない。未熟なくせに熟して完全なるものに憧れる。
痛みと甘美なものは記憶に残りやすい。
男親というものも未熟で歪だ。母が亡くなり、突然に、「父親風」から「一人娘を育てる父親」へ変貌しなくてはならないのだから波乱が起こるのも当然で、だから適当な理由を付けて、何も深く考えずに再婚をした。どんなに体裁を整えようと世間的には歪なことに変わりはないのに。わたしと父親の関係はいつまでも重なることもなく曖昧なまま。
死を隔てた今でも。
父親もあの夏は、自宅に戻り夜中まで起きていることが多かった。普段はほとんど家に居ない多忙な暮らし。一緒に海水浴に出掛けた記憶も遠くなった。うつらうつらと気怠い微睡から夜中にふと目覚めて階段を降りてゆくと、リビングに灯りが点いていることに気付いた。わたしは年頃になっても父親を特に嫌ったことは無い。何故ならずっと好きじゃなかったから。自分の悲しみを隠そうとしない未熟者。娘が「父は可哀想」と思わなければばならなかったことも知らない。同時に父親を心から慈しみたいと本気で思っていた。子供が親を守ろうとする行為は、その子供を鍛錬もするが鎖も与える。ある時、ある事実に気づいてしまう。父親ではなくひとりの男として生きている父親が許せなかった。親の責任も果たさずに、自由にしろと言いながら手放したように装い、歩き出そうと踏み出すとスカートの裾を踏んで邪魔をする。
夜更けの青白い光の下で見る父親は、とても疲れた顔をしていた。深酒してる気配もなく、深夜のテレビ放送の雑音が流れている。わたしが右手に持った"哀しい予感"に目を落とすなり、「それ、どうだったんだ?」と手を差し出した。ぎこちなく渡したら、直ぐに装丁を一瞥してから、無言で開いて読み出した。
父親の書斎は幼少期から隠れ場所で、とっておきを探すかのように本に埋もれて読み漁った。ふと、ルソーを知ったのも父親の影響だった。学校の図書館では味わえない重厚な本棚に囲まれていると、「永遠」を感じられた。この時間を何度も繰り返せば生きていけるかもしれない「希望」も。
冷蔵庫から取り出したばかりのキンと冷たいミネラルウォーターを飲みながら、父親の左側の横顔とページをめくる紙の音とを、ただ眺めながら、この深夜の静かな空間が、闇に広がる動きを感じて時がゆっくり循環する。
親子ならば、もっと違う記憶もあるんじゃないの?
でも、いい。
幼い頃から、人間は「多面体」だと感じて来た。
いろんな人達に出逢う度に、いろいろな形をみた。
父親は読後、少し柔らかい表情になって、少し明るくなった。明るくなるような小説では無いはずなのに、、、
お互いに感想を伝えることもせず、ただ、一緒の時間を過ごした。人生は不思議だ。不思議を見つけても、さらに不思議が存在していて、毎日、退屈しない。
父親の最期の顔は薄れてしまったけど、この日の表情と記憶は鮮やかで、重苦しさの先にある「希望」を、、、脳内再生で、
いつでも見つけられる。
わたしの中の「多面体」も変わり続ける。
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