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連作短編「おとなりさん 〜海の見える食堂から」#1


©️ビリー
今回の「おとなりさん」は、
この二人、父娘の営む食堂が舞台です。

〈あらすじ〉
 母の再婚を機に、父のいる四国の太平洋へやってきた、高校生のたまき。父の営む、食堂・花鳥風月は、常連さんや観光客、猫やら幽霊やら、さまざまに、訳ありの人々と織りなす「おとなりさん」の毎日。
 夏の日のひかり。柔らかな笑み。のどかな田舎の美味しい食事と至福の一杯。
 この物語は、まかないを目的に実家を手伝う娘、たまきと、父の豊、そして、食堂「花鳥風月」に集まる、この街の人と、この街に訪れた人々が織りなす、ささやかで幸福な一杯の時間と、それにまつわる小さな思いたちの物語なのです。

第一話「海の見える食堂から」

〈今回の語り手〉沢渡たまき、十七歳。高校生、居酒屋「花鳥風月」看板娘。

 出入り口付近に立ったまま、進行方向の右側に目を凝らす。窓の外に水平線が広がる。突き刺さる陽射しに、一瞬、目を細めて、昨日と同じように太平洋を見つめた。波飛沫に注がれた光を受けて、弾けて、跳ね返す。開け放たれた窓から、かすかに届く潮風。今日から夏服。おろしたての真っ白な半袖シャツ。その気楽さ。開放感。夏の自由な気配。夏の長いこの地域は、夏服の開始が早いのだ。
 私が乗る一両編成は、電車ではなくて汽車だと呼ばれている。電力ではなく、ディーゼルらしい。だから、車両の上に電線がないのだ。詳しくは知らないけど、とにかく古い。そのせいかどうかは知らないけれど、とにかく、よく揺れる。台風が直撃しているニュースで見かける地域なのに、いままでよく高架下に落ちずに運行してるな、なんて、とんでもないことで感心してしまったりもする。
 カーブで左右に軋んで、首を揺さぶられて、短くしたばかりの髪が顔の前で揺れた。それから、間もなく駅につくというアナウンスがされて、私は胸ポケットに突き刺しておいたカードをつまんだ。その所在を指先が確認する。
 大丈夫。ちゃんと持ってる。失くしていない。
 それから、スカートのポケットの携帯電話を引っ張り出して、通知の有無も確認しておく。残念なのか気楽なのか、誰からのメッセージも留守電も入っていなかった。扇風機が風切音をたてて、左右に吹き下ろす。やんわりの生温い風が髪をなでた。窓から潮風。
 駅につく。降りたのは今日も私一人だけだった。ホームから階下を眺めて、階段を降りると海の近くの街が始まる。私は高架下に停めていた自転車にかばんを載せて、日なたに出る。駅舎のなかのたこ焼き屋からソースの焦げるにおいが届いて、思わずお腹が鳴った。午後四時。夕食はまだしばらく先。今日のまかないはなんだろうと考え始めて、自転車に乗る。
 駅から砂浜までには道の駅があって、観光客の人向けのお土産物屋や飲食店がいくつか並んでいる。校舎より高く育ったヤシの木々が海水浴場へ続く歩道の左右に立ち並んでいる。
 私は大きく息を吸い込んで、吐き出した。白い愛車のペダルを立ちこいで、サイクルロードを走り出した。草いきれ。新しい季節のにおい。
 ねえ、夏だよ。思わず叫び出したくなる。
 夏が始まる。この海の町に。
 この町で過ごす二度目の夏。初夏を迎えるのは、今年が初めて。
 夏だー、と、声に出そうになって、それを飲み込む。私のすぐ前をとんびの影が過ぎてゆく。Tシャツ姿の少年たちが、ボールを持って駆けて行く。
 夏が来る。
 いざ始まってしまうと、アイスをくわえて、ただただ、暑い暑いと唸って、涼しいところを探すだけなのに、いまだって、きっとそうなるだろうと気づいているのに、だけど夏の始まりは、なにか特別に美しくて楽しい、すてきなことが起きるんじゃないかという、よくわからない気分が目覚めて騒ぎ始めてしまう。
 私は右手に太平洋を眺めながら、自転車を走らせる。陸橋を渡る、欄干の下には青く澄んだ波が繰り返されて、風にスカートが揺れた。日焼けて褪色した食事処の看板と、焼肉屋、理髪店のくるくる廻るトリコロール、ガソリンスタンドには退屈そうなお店の人が大きなあくび、テイクアウト専門の焼き鳥屋、そんなふうにいくつかのお店が点在して、やがて、古い民家の立ち並ぶ地域へ。
 その入り口には、珍しい可動橋がある。漁港に停泊している船が出入りするために、定期的に橋が立ち上がるのだ。道路が直角に立ち上がっているように見える、そのSF映画的な景観は、写真映えしてくれるらしく、観光にやってきた人たちが撮影に集まっている時がある。ハッシュタグで検索すると、何万枚も出てくるくらいなのだ。
 漁港は湾の周囲をぐるりと囲んで、その地域のお家は表札には、名字とそのお家の主が乗る船の名前も刻まれている。「龍神丸 依光」みたいに。そのなかに、私が住む家がある。駅から自転車で十分。漁村の外れにある、食堂「花鳥風月」。創作料理が自慢の、居酒屋で、食事処なのだ。
 私は、父が営むお店の、 その二階に暮らしている。花鳥風月は決して新しくはなく(むしろ、あばら屋に見える)、狭いし(カウンター四席とテーブル席三つ)、天井が低くて(大柄な父は鴨居によく頭をぶつけている)、どことなく貧相だけど、でも、地元の人たちや釣り客、観光客の人たちのおかげで、なかなか人気があるのだ。
 昨年夏。
 ある事情で、父の暮らす四国に移り住むことになった私は、どうせならおしゃれなカフェとかやってくれていたら良かったのに、と、声にはせずにかすかな抗議の気持ちでいたけれど、生まれも育ちも、顔立ちだってきっと田舎の高校生にしか見えない私は、きっと、古くさい食堂で良かったのだろうと思っている。
 そもそも、このあたりにはカフェなんてない。あったとしても、きっと流行らない。カフェに行くような若い人が少なくて、漁師さんや農家さんや、釣りにきた人たちは、きっと、カフェより居酒屋に行くだろう。
 港近くでおじいさんがかもめに何か食べるものを投げていた。このあたりは、コンビニスナックやお弁当でも食べていようものなら、上空からとんびがそれを狙って周遊を始めるし、野良猫だって近寄ってくる。木炭みたいに日焼けしたおじいちゃん、おばあちゃんたちが、ベンチに腰かけてトマトやきゅうりをおつまみに、午前さまからチューハイなんて飲んでいたりもする(缶詰など肉っ気のあるものだったら、物陰の猫が静かに照準を合わせて狙っている)。なんでも聞けば、アルコール消費量が日本一の県なんだって。
 だから、きっと、居酒屋さんで良いのだと思う。父のつくる料理は華やぎこそいまひとつなものの、実直で不器用な性格によく似て、映えないけれど、きちんと、しっかりと、美味しいのだ。
 カーブを曲がる。
 発泡スチロールの箱を積んだ白い軽トラックとすれ違う。開いたままの窓から、運転席のおじさんが「おかえり」って、日に焼けた手を振ってくれた。髪のように馴染んだHB101のキャップ。
 きっと、我が家、花鳥風月に鮮魚を届けてくれた帰りなんだろう。書道教室のおばあちゃんが軒先に並べた花壇に水を撒いている。その隣の小さなお好み焼き屋さんが早くも打ち水をしている。夕方の開店に準備をしているのだろう、ご主人は店名が染め抜かれたエプロンをしていた。港に向かって、漁船たちが帰路に向かっていた。その周辺から釣りを終えた人々が(釣果は顎の上がり方、下がり方を見ればわかるようになっていた)、街へ向けて歩き始めていた。
 間もなく、夏の始まりの日の夕。
 色を橙にして、空と海を焼き始めた、この世界の片隅、けれど、私にとっての世界のすべてを仰ぎ見る。
 ただいま、と、私は声にしてみた。
 南風海岸。南風と書いて、「まぜ」と呼ぶ。南風漁港。南風可動橋。振り返ると南風駅、そして、南風海水浴場。
 私がくらす、この街。自転車を降りて、海を眺めた。そのとき、ポケットの携帯電話が震えていることに気づいた。
「悪いけどもやしときゃべつ頼む」
 簡潔にして明快なライン。父ちゃんからのおつかいだった。きっと、買い忘れたのだろう。引き返して、道の駅で買おうか。それとも、八百屋まで行ってみようか。
「連絡遅いって。引き返さなきゃダメじゃん」
 一応はそう返しておく。
 きっと、「いやー悪い悪い」と、たいして悪いとも思っていない、父ちゃんのいい加減な返事が返ってくるのだろう。時間を確認する。そろそろ夕。五時になると、小学校からのチャイムが響いて、カラスたちも家へと急ぐ。
 いまごろ、父は、太平洋をちらりと望む窓辺の台所で仕込みをしているのだろう。小学校からのチャイムが聞こえたら、さあ、そろそろとのれんをかけるのです。
 それからは、大人たちの時間が始まる。まだ大人じゃない私は、大人になった大人と、大人になりきれない人たちの姿をこっそり眺めていたりする。
 私たちの生きる世界には、たくさんのよろこびが、同時に苦しみや悲しみも、それから、たくさんの不思議に満ちて、海は凪いで、雨上がりの空は昨日よりもきっと青い。それから、私たちは明日のために食べて、飲むのだ。
 再びペダルを漕ぐと、いよいよ夏が始まった。そんな気がしました。

 私は、学校を終えると、作務衣に着替えて、南風漁港近くにある、食堂「花鳥風月」の看板娘に変身するのだ。
 店主で、料理人の口下手な父と、元気と大きな声が取り柄の高校生の私、二人で切り盛りしている小さな食堂、花鳥風月。
 この物語は、私、沢渡たまきと、父、沢渡豊、そして、食堂「花鳥風月」に集まる、この街の人と、この街に訪れた人々が織りなす、ささやかで幸福な一杯の時間と、それにまつわる小さな思いたちの物語なのです。

つづく。
artwork and words by billy.


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