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連作短編「おとなりさん season2 海の見える食堂から」#7

第七話「振り返れば奴がいる」

〈今回の語り手〉仁茂あかり、三十歳。「花鳥風月」従業員。

「ありがとうございました。またのお越しを」
 お待ちしています、は、心のなかで、呪文のように唱えておく。
……呪文。それは直訳するなら呪いの文言。
 違う違う、そうじゃ、そうじゃない。それは呪いじゃない。
 おまじない。よろこびと慈しみをふりかけた、小さな魔法。頭を下げても、しっかり、にっこり。ふひひ。いひひ。ついでに、でへへ。
 たった一日でも、たくさんのお客様を迎えるこの食堂では、なるべく大きな声を出さないようにする接客を許されていた。喉が枯れてしまわないように、声がかすれてしまわないように。
 それでも、丁寧にお客様をお迎えして、お帰りの際はお送りすることができるように。
 私は、声にならないところでも精一杯の笑顔で感謝を伝えようとしています。
 そうは言っても、店の看板娘、若き当店ナンバー1のたまちゃんは、いつも、どんなお客様よりも大きな声だし、叫んでいるようなときだってある。そのうち、口から火を吐き出せるようになるのではないか(ほんとは楽しみ)。
 私はその都度、可愛いお隣さんに「たまちゃん、それはもはや雄叫びだよ」と忠告しておくのだ。
 たまちゃんはまだ高校生。きっと、一生のなかで最もエネルギーに満ち溢れている年代。
 あの元気さには、圧倒されて、ひれ伏すしかない。JKとは、なにせ、この世界の全生物のなかで、最強種の一つに数えられてしまう、ある種のモンスターなのだから。
 私はもう少し年配……じゃなくて大人なので、なんとか、しっとりとしたお姉さん(の色気)路線でナンバー2の座を守りたい。試されるぜ演技力。
 と、言っても、スタッフを増やすこともないらしく、私のナンバー2の座は安泰なんだけど(やれやれ)。
 ランチに来られていた最後のお客様をお送りして、そのまま、私もお店を出た。一度、のれんを外して、夕の開店に備えるのだ。朝顔のつるに引っかけてしまわないように「食事処」を店内へ。それから再び。
「おーい」
 聞こえるじゃろう、ミスター・ムーンライト。
 通称ムーは、このあたり、漁港あたりを徘徊している猫様で、最近はこの花鳥風月の軒先にも現れる。ずいぶんな老猫のようだけど、最近はもつれて汚れていた黒い毛並みにつやも戻り、食欲も旺盛なので安心。
 私は作務衣のポケットに突っ込んでおいた、あじの干物をぱたぱたさせる。
「苦しゅうない。近こう寄れ」
「なー。なー」
 残念なことにまるで可愛くない、地底から届いたような、低い呻き声で寄ってくるムー。ちなみに、ミスター・ムーンライトは、店主の豊さんの発案。加賀の銘酒、純米大吟醸「月光」が届いたばかりだったから(その切れ味、刃物の如し)。
 きっと、この猫様は招き猫。
 飲食店なので、大っぴらに猫を飼うことはできないけれど、この子の出現以降、花鳥風月は、今夏スタートのランチ営業も軌道に乗ったらしい。
 あじには真っしぐらなのに、食後の猫じゃらしには全く無関心なムー。お前ってほんとに愛嬌ないよね。
 そして、ムーに手を振って、私は店内へ戻る。
 雲の切れ間から日差し。久しぶりに感じた、夏の極彩色。手のひらに受け止めた。
 四国の夏は東京とはまるで違う。炎天下なんて言うけれど、四国の夏は炎天そのもの。炎天の下じゃなくて、炎天そのもの。熱したフライパンのなかを歩いているようなもの。
 すぐに、そんな季節になる。飛んでゆく鳥たち。週末あたり、きっと、梅雨も明けるだろう。

 ほんの少し前まで、東京に暮らしていた。
 それなりに大人の三十歳なので、端折ってざっくりと話してしまうと、進学を機に上京して、卒業時には東京で就職して、私、仁茂あかりはかねてから交際しておりました一般人男性と入籍いたしましたと、ポンスタグラムで発表……ではなく、近くの役所に届けを提出し、新婚生活を始めるも、しかし、あえなく、頓挫。夫婦転覆。数年で離婚。
 人生観の違い、という、聞き飽きるくらいよく聞く理由でした。凡庸な人間は、挫折の理由だってありふれてしまうのかしら。
 でも、本当に人生に求めるものが違った。その差は少しずつ距離をつくり、やがて、それぞれの道を歩いていた。もう戻れず、かつてのお隣さんの肩には、私の頭は乗せられなくなった。
 リスタートを考えたとき、戻りたいと私は思った。この、四国の太平洋に面した、小さな町に。
 かつて、あれほど居心地悪く思った、この南風の町、それから、海。きっと、私は戻りたかったのだ。それが可能なら、野山を、海を走り回ったころの自分に戻りたかったのだ。
 いま、そのことがわかる。
 とは言え。なにせ、三十になった淑女ですので、実際には野山を走り回るような真似はいたしませぬ。そんな挙動に走ろうものなら、ここは小さな田舎町、瞬く間にお尋ね者に分類されて、好奇の視線を浴びるでしょう。
(二度目の)お嫁に行けなくなっちゃう。

 お店のランチが終わると、今度は私たちがお昼ごはん。
 平日の今日は、たまちゃんは学校なので、店主の豊さんと私の二人。さてさて、今日のまかないは何かな、なんて、すっかり慣れて、にこにこアンドるんるんでカウンターテーブルへ。軽い足取り、しかし、いくらか重くなった体。JKたまきと同じもの食べてちゃ太るってもの。
 ちくしょうJKめ。あらあら、淑女にあるまじき発言ですわね。
「今日は、中華風肉野菜炒め丼です」
 しっかり食べて、と、優しい店主は夏バテ予防に丼ごはん。まだ、お昼だし大丈夫だろ、と、美味しいにおいに抗えず(一瞬で折れる自制心)、丼二つを受け取って並べた。
「これ、大将の少なくないですか」
 私のは、どどんと、丼。豊さんはお茶碗。これはすでに大食いだと認識されているのだろう。まったくその通りだけど。にゃー。餌付けって、人にも有効なんだ。
「僕は若くないから、それくらいで充分なんです」
 だけど、老け込んじゃダメですよ。あかり心配。
 ともあれ、二人並んで、お昼。最初のうちは迷った。テーブル席に行こうか、それとも、近くにいるほうがいいのか。結局、移動や運ぶ手間を考えて、厨房の目の前のカウンターに並んで食べるようになったのだけど、たまちゃんのいない日が不安に思えたときもあった。
 人と人の距離。近すぎず、遠くならず。近寄りすぎず、離れすぎず。私はそれについて、思いを馳せることにおいて、国内でもトップランカーだという自負があるのだ(実績なし。あくまで個人の見解です)。
 お肉。もやし、にら、にんじん。たっぷりの油、強火で一気に火をいれられた具材たちが光沢を放つ。めんつゆの甘みにごま油。辛味噌が隠し味。香りづけ程度に唐辛子。白いごはんとの相性は、
「うま。これ、バルバトス(・ルプスレクス)とグシオン(・リベイクフルシティ)が肩を並べた、あの、最終決戦レベルです」
 と、興奮気味に、自分でもさっぱりわからないことを口走ってしまって、隣の豊さんをきょとんとさせた。私へ届く熱視線。
 ではなく、何度かまばたき。顔の周囲に浮かぶ「?」。
 窓の外からカラスの鳴く声。平和だな。美味しくて、平和だなんて。きっと、帰ってきて良かった。故郷にこんな幸せが残されていたなんて。まかないでもここまで思える私はきっと、本当に幸せなのだと思う。
 ふふん。たまき、残念だったな。お主は何を食ったのだ? 
 私は肉丼だぞ。肉と白いごはんに適うものなど、この世界にありはしない。肉と飯。それは既にこの世界の理。満腹。ラインしてやろっと。
 あー。ビール飲みたい。欲求に素直なのです。いっぱい食べる君が好き、お口に米粒。たまきも早くビールが飲めるようになったらいいのにな。楽しみだな。
……いや。たまきがお酒を飲める年齢になったときの自分のトシに思いが至って軽く吐き気(いずれの泥酔)。オーケー、レッツ・思考放棄。背伸びをすると伴うあくび。
 時計はそろそろ三時。たまちゃんはあと少しで学校が終わる。ちゃんと勉強してるかな、なんて、大きなお世話。もうすぐ、滝のような汗をかきつつ、「ただいまー!」の咆哮が、引き戸を開ける前から放たれるのだ(口からかめはめ波)。
「おかえりー」
 そう声をかけて飛びつきあって、私たちは再会をよろこび合うのだ。今日もお隣さんがいるよろこびについて、私たちはきっとたくさん知っている。
 それから、今日は何を話そう。
 最近なら、お父さんの豊さんにはまだ秘密だけれど、たまちゃんに彼氏ができました。ある通り雨の帰り道、津波避難タワーで雨宿りをしていたときに居合わせた、近くの高校の男の子らしい。
 この前、紹介されて、本人にも会ってきました。
 お父さんごめんね。たまきの彼は、ひょろんと細長くて、優しい声の人だった。たまきを見つめる愛おしそうな眼差し。絶対に言わないけれど、きっと、お父さんの豊さんに似ている。だからか、二人はとてもお似合いで、微笑ましくて、照れる二人に、お姉さんは悶え苦しむしかなかった(私も、口からかめはめ波)。
 まだ、お付き合いは始まったばかり。
 たまちゃんは看板娘というアイドル・ポジションのお仕事もあるし、あんまりデートはできていないらしい。
 でも、もうすぐ夏。
 夏は、南風海岸の花火大会がある。いいなぁ。私も混ぜてくれないかな。南風(まぜ)だけに。よし、また、余計なことを思いついたよ。
 いつも、夕の仕事の前には、二人で近くの銭湯でひとっ風呂。女子ですもの。たまちゃんは銭湯巡りが趣味らしく、町の内外、市の内外のあちらこちらを二人で巡るようになった。定休日は私の運転で市外のカフェへ、それから、お買い物。ひとっ風呂して、「あーーー」を言う。欠かせないのは「ひまわり牛乳」。
 ここんとこ、たまき部屋に泊まるようにもなった。そもそも、花鳥風月は、先代まで民宿だったらしく、二階の三部屋は客間。そこに豊さんとたまちゃんは暮らしていて、私は仕事が遅くなった日や、たまちゃんとおしゃべりをしたい日には、泊めてもらうようになった。
 近道系の女性アイドルグループや、そのSNSのチェックに余念のないたまちゃんと、(主にバトル系の)アニメ好きの私。年もひと回り違う。
 共通点のほうが少ないけれど、私たちは、本当にお互いの幸福を、生きるよろこびを分かち合えるお隣さんになったのだ。
 一緒にお風呂に入って、一緒に食事をして、一緒に眠る日もある。そんな友達になれた、お互いの幸運と幸福について話せるし、バカなことで一晩だって笑っていられる。
 家族のようで、友達だもんね。私たちは共に生きる、おとなりさん。なんて、肩を並べて笑ってられる。
 時計を確認。あれ、もう、こんな時間なんだ。
 私は食器を片づけて、買い物にゆく、と、声をかけた。頼まれていたのは、買い忘れたにらときゃべつ。
「気をつけてくださーい」
 厨房から豊さんのかすれた声。
「はーい、行ってきます」
 帽子の代わりに、花鳥風月と絞り染めされたタオルを巻きつける。なんていなせなんだろう。なんて粋なんだろう。と、自分では思っているんだけど、このハイセンスは南風の住民たちには伝わらない。
 もともとアパレル関連の出身なのに。信用されないこのセンス。
 それからそれから。握ったままのスマートフォンに通知あり。
 たまちゃんからラインが届いていた。
「あかりちゃん、塩だいふく好き? 買って帰るよ」だって。
 やっぱり、持つべき者はおとなりさん。
 卑しい私は、即座に「汝、塩だいふくを所望する者なり」と返信する。
 スマートフォンには、あの日の花束。
 あの日、夢に描いた、幸福は手放すことになったけれど、いまの私には、故郷での新しく、美しく、よろこびに満ちた日々がある。
 かつて、なにもないと思って、逃げるように離れた故郷には、こんなにも多くのものであふれている。生きている、私たちは、すぐ隣にある、たくさんのよろこびを見つけられるのだ。
 さあ、たまちゃんが降り立つ駅へと迎えに行こう。私たちの海を目の前にする、南風駅へ。おとなりさんが帰ってくる。
「視界良好。進路、オールグリーン」
 またがる愛機。装備したヘルメット。愛用のサングラス。左足に体を預けて、右足を浮かせる。
「仁茂あかり、行きまーす!」
 私はペダルを踏み込んだ。

つづく。
artwork and words by billy.
#創作大賞2023
#ほろ酔い文学

 さて、本日の「おとなりさん2」は、第3話ゲスト、第5話の語り手で、いまや、花鳥風月には欠かせなくなった、あかりさんを語り手にお送りしました。
 次回(6月30日予定)、第8話と第9話は、前後編にわけて、夏の一大イベント、花火大会に挑む花鳥風月の奮闘を描きます。語り手は主人公のたまきさん。
 物語もいよいよ佳境。お見逃しなく。

©️ビリー

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