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連作短編「おとなりさん season2 海の見える食堂から」#8

第八話「夏の日 〜前編」

〈今回の語り手〉沢渡たまき、十八歳。高校生。居酒屋「花鳥風月」看板娘。

 七月になりました。
 梅雨明けはすぐそこだよ。
 なんて、真っ青な空を、かすめちゃうくらい、人の近くを滑空してゆく、つばめたちが噂をしている。そんな気がした。
 遠回りして、あじさい通りの商店街へ、それから、買い物を終えてたどり着いた、輝く我が名ぞ、花鳥風月。
 春を迎えようが、夏が暑かろうが、秋に黄昏れるわけでもなく、冬だからといって、特段、いつもと変わらない。太平洋の近くの町の、海を眺める、いつものお店。
 やっぱり、相変わらずの、食堂、花鳥風月。
「ただいま。父ちゃん、にらときゃべつ」
 テーブルにどすん。軋む古いその木足。買い忘れも、ひとつひとつは軽いけれど、たくさんになるとなかなか大きくて、重い。
「おお、サンキューサンキュー」
 それから、お店の窓を開け放した。ランチ営業のにおいがお店のなかに残らないように。これから店内清掃。ほこりを外に追い出したい。
 私は、ほうきとちりとりを携えて、臨戦体制。
「あるじぇ……じゃなくて。アルゼンチン人って、言いにくいですよね」
 テーブルの拭き掃除をしていたあかりが顔を上げる。視線は厨房へ向けられていた。
 なんだなんだ。なんだその問い。言いにくい以前に言えてないし。
 途中加入の私はそう思う。
 けれど、その質問は私に向けられたものではないようなので、こっそりと首だけひねっておく。あかりって変わってる。可愛いけど。
 何を慌てたのか、そのあかりは、テーブル用のふきんで額の汗を拭ってしまっていた。
 そのテーブル! 揚げ物と炒め物だったよ!
 そう言いかけて、思わず口を塞ぐ。知らないほうが幸せなことだってある。
 嬉しそうに笑っている、あかりを見ていると、私まで嬉しくなる。ほんとにあかりって変。色っぽいけど。しっかり、油のてらてらが額に乗り移っていた。
「それなら。タガログ語のカタログも難しいかもしれない」
 厨房で調理道具の清掃と片付けをしていた、父からの返答は、問いかけのあかり発言にも引けを取らず、むしろ、なおのこと、理解不能な単語を混じらせていた。いろんな意味で、あかりとちゃんと会話できるようになった父に安堵とひと安心。
 そもそも、なんだろう、タガログゴーって。ヒロミゴー的な何かなんだろうか。ヒロミゴー的な何かってなによ。自分自身に首をひねる。顔を上げた父は厨房から満面の笑顔。
 いったい、あの二人は、何について話し合っているんだろう。
「だったらだったら。アゼルバイジャン人じゃん、も、ハードル高いです」
 それはそれで言えちゃうんだ。ますます、わけがわからない。
 じゃなくて。それ、いつまで続けるの。あかりの返答に、うーん、と、眉根を寄せて、それは確かに、と、小首を傾げ、困惑した顔を浮かべる父。
「学生時代、僕はクラスメイトに中務翼(なかつかさつばさ)って奴がいてね。フルネームで呼ぼうとすると、みんな、途中で間違えてたな」
 フルネームで呼ぶ機会なんてそんなにないでしょ。と、もはや、二人の不思議な会話に尖る耳。隣でそよぐ扇風機。趣旨不明。
 いったい、あの二人は何について理解を求め合っているのやら。
 だけど。
 大人って、思っているほど大人じゃないものなんだな。そんなふうに思う。私が知る大人は、学校の先生たちと、友達の両親、それから、父。一応、あかり(この人を大人にカウントすべきかどうか、かなり迷った)。
 先生は仕事をしているときの顔になっているのだろうし、友達の両親は、親の顔になっているときなんだろう。あかりはともかくとして、父ちゃんって、あんなふうに笑うんだ。きっと、私は、憶えていない。
 でも、わりと、悪くもない。むしろ、笑顔のお裾分けだってもらってしまう。
 嬉しそうなお隣さんたちの顔を眺めるって、意外と、嬉しいものなのだ。でもね。それはそれとして。ねえ、あかり、
「まだ終わんないの?」
 さくっと仕事(と、その、訳のわかんない早口言葉合戦)を終わらせて、銭湯に行こう。気づけば首筋に汗。鎖骨にたまりそう。前髪の先から落ちそうな一滴。作務衣のなかもぐっしょりしていた。
 窓の外は真夏の炎天。降り注ぐ太陽の効果音のように、全方位からその存在を叫ぶせみ。
 君が元気なのはわかってるから、もう少し静かにしてくれたらいいのに、と、思っていたら、すぐ近くで震える何か。
 あれ。ひょっとして、ポケットの中にせみ?
 まさかと思って、引っ張り出すとラインが届いていた。
「あっ」
 右京くん。思わず、声にしかけて、慌てる。
 とくん。とくん。緊急災害情報より、高鳴る胸。
 右京くんって、呼びかけるだけで頬が熱くなるくらいには、私だって、しっかり女子なのでした。
 右京くんは、つい先日、お付き合いすることになったばかりの、私の恋人。四国に移住してくる前、お付き合い未遂で終わってしまった人がいたので、右京くんは、初めて、正式に恋人としてお付き合いすることになった人なのでした。
 沢渡たまき、高校三年生。ついに初カレ。思ってたより遅くなってしまったけど、そんなの別にかまわない。ようやく始まるのよ黄金時代。周回遅れと笑われたって、これから全速力で追いつけばいいんだから。
「沢渡さんへ。七月の南風海岸の花火大会が三年ぶりに開催されるんだって。知ってるかな」
 し、し、知ってる。知っておるぞ、お主。やばい、誰か憑依した。
 うちのお店は、地元の商工会議所と商店街にお願いされて、当日は屋台で、出店として、真夏の夜の花鳥風月、花火の夜のバーベキューを開催することになってますっ。
「もし、良かったら、一緒に花火大会に行きませんか」
 一緒に。花火大会に。そう書かれていた。間違ってないよね、と、思って、慌てて読み返した。間違ってなんて、いない。
 花火デート! 大会デート!
 あかりって、浴衣の着付けなんてできるのかな。……それ怖いな。いまから探して見つかるかな。勇み始めてドキドキが走り出す胸。
 行きたい。一緒に、花火大会。うん、行きたい。一緒に行きたいです。そう書いて、送信しようとして、指が止まる。
……うん?
 花火大会の日? 頭の片隅に、いや、思い出すと、それはもはや中心あたりに立ち込める暗雲。
 いっそ、数秒前、その花火大会の日の予定について、しっかり思い出してしまっていたではないか。その日。よりによって定休日のその日。我が花鳥風月は、地元のあれやこれやにお願いを受けたせいで、居酒屋バーベキューを出店することになっていたのでした。

「たま」
 あかりの声さえ聞こえていなかった。
 根菜を洗うように髪を洗う。もはや、がしがし。じゃがいもも、ごぼうも、だいこんもにんじんも。こびりついた泥を、うっすらの芽まで、表皮まで洗い落としてやるのです。
「ちっくちょー」
 叫びたくなるタガログゴー(意味不明)。
 なんで、花火大会なのよ。花火大会にバーベキューデートなんて最高なのに、なんで、お店やってる側なの。
 言い慣れたはずの簡単な言葉を発音できず、口の中に侵入した泡にむせて、げぼげぼと吐き出して、そして、その、おそらくホラーめいた惨劇に、他のお客さんたちが困惑した表情で私たちの様子を睨んでいた。もとい、私を睨んでいた。不審者Aでーす。おとなりは不審者Bでーす。
「おいおい、お主、大丈夫か」
 いつも、あかりは隣にいてくれた。
「みなさーん、大丈夫でーす。この子、恋をしてるだけでーす」
 浴場に響く声。
 あっさりとんでもないことを公表しつつ、それでも、フォローしてくれた。そして、二人並んで、やっとこさ、湯船に入水(ざぶん)。
「ぐふー」
 思わず漏らす感嘆。死んだことなんてないのに、生き返った気がした。風呂は命の洗濯だっけ。
「ザクとは違うのだよ、ザクとは」
 隣から、いつも通り、あかりの理解外発言。問いたださずスルーする。
「たま。あんたね」
 左斜め上からお隣さんの鈴みたいな声。
「んー」
 口まで浸かって、湯肌にぶくぶくと泡立てていたら、お隣さんから首根っこにチョップ。
「ぎゃん」
 身長が違うの。手の長さが違うの。遠心力(と体重)が働くから、本気でダメージ食らうのって、何度、言っても、あかりは打撃をやめてくれない。早く、かめはめ波を出せるようにならないと。
「誘いなよ、右京くん」
「えっ?」
「だって、適当な理由をつくって、お店を休んでデートしたって、そんなの楽しめないでしょ」
 ですよね。私は、ぶくぶくをやめた。
「たまのお父さんって、理解のない人じゃない。あんたがいつか、彼氏を連れてくることくらい、想像してるよ」
 ちらりと横目にあかりを伺った。白くてでかい胸がお湯のなかで流れずに揺れていた。うらやましい。やっぱり大人なんだな。
「でも」
 目の前に富士山。洗面器がかぽーんと鳴る。夏でもお風呂は最高だ。きっと、大人は、こんなときにビールを飲むのだろう。
 私も大人になったら、ビールを飲もう。いま、隣にいる大好きな人と。
「お店はその日はバーベキューでしょ。そこに来てもらえばいいんじゃん。手伝ってもらえば、彼の印象も良くなるしさ」
「右京くん、やってくれるかな」
 きっと、やったことないよな。デートに誘ってくれたのに、労働で迎えようなんて。
「やってくれるよ。たまを見ている彼を見ていたら、わかる」
「ほんとに?」
「うそ」
「おいこら」
「人のことなんて、わからない」
 ちらり覗く横顔。
「うん。そうだね」
「わからないってことだけは、わかっているつもり」
 わからないってことを、わかる。
 こんなに近くで、いつも肩を並べて笑っている私たちだって、ほんとはわからないことだらけなのだ。あかりのことをもっと知りたい。私のことをもっと知って欲しい。これからのことだって知りたい。
 その気持ちはきっと、彼女と過ごす時間を大切にさせてくれる。
「でもさ。たまのことを好きになるのは、私にだってよくわかる。私が男だったらって、そんな仮の話はどうでも良いってことはなくて、やっぱり、私が男だったら、たまみたいな彼女が欲しい」
「あかり」
「だから、たまのことを好きになった、彼のことを信じてる」
「うん」
 あかりは顎を上げ、たぶん、富士山の山頂あたりをじっと見ていた。松の湯の富士山の山頂には、未確認飛行物体のような円盤が浮かんでいて、その向こうに月も浮いている。その上の白い壁には何も描かれていない。これから何か描かれるのだろうか。それとも、白いままなのだろうか。
 おとなりさんの横顔を伺うと、頬をつたって、細い顎からぽつんときれいな雫が落ちた。それが聞こえるくらい、しばらく、私たちは黙っていた。目を閉じて、音だけを聞いていた。
 ぽつん、ぽつん、は、しばらく終わってくれず、私たちはきっと、肩を寄せてその音を聞き続けたのでした。

 そして、七月の終わりの、ある土曜日のこと。
 今年も無事に梅雨が明け、気温は午前から三十度をゆうに越える炎天。まさに盛夏。
 チーム花鳥風月、父とあかりと私は、南風海水浴場近くの、普段は車道になっている海岸沿いに設けられた、イベント会場の出店ブースで、出張居酒屋花鳥風月の設置作業に追われていた。
 それぞれに、「花鳥風月」のネームプレートを首から下げている。プレートはもう一つ、用意されていた。
 昨夜のうちに搬入された鉄板やプロパンや、レジカウンターがテントの下に展開されていて、調理器具や、使い捨てられるお箸やお皿も揃えられていた。そろそろ、食材が届く時間。
 地元の精肉店が安く卸してくれるという話があって、農家さんからも「お祭りだから」と、にらやきゃべつやもやしを送り届けてくれたのだ。サーバーは持って来ていないので、今夜は瓶ビールと缶ビールがしっかり冷えています。
 あかりは、開店を前に集まり始めたお客さんに、お主ら、お酌してやらんでもないぞ、だって。烏龍茶とジンジャーエールも、キレキレの冷え冷え。
 それに、今夜のお通しは、初めて、あかりと私が手作りしてきた、ごま油香る冷製豚キムチ。先着三十名様限定なので、きっと、すぐに売り切れちゃう。
 あかりと話し合って、浴衣は着ないことにした。きっと、動きにくいし、着崩れしても困る。普段以上に接客機会が多いだろうと考えたのだ。それを告げると、父ちゃんは残念そうに、でも、安心した顔だって、交互に浮かべていた。
 また、みんなで浴衣を着て、小さな花火大会をやればいい。
 私たちは、いつも通り、作務衣。汗や油を吸い込んで、何度も洗濯して、くたびれて、肌に馴染みきった、作務衣。これこそ私たちの勝負服。
 それから。
 この日までに、父には、彼氏ができたことと、この夜、店に誘っていることを話しておいた。あかりがそこにいてくれたせいもあって、うまくはなくても、ちゃんと伝えられたと思う。
 ぱん。
 音に振り返ると、水平線のほうに立ち上がる煙。手首の腕時計を確認した。そろそろ、打ち上げのテスト時間。
「いよいよだね」
 あかりは眩しげに見上げていた。故郷の花火大会は十二年ぶりだと言う。そのころ、六歳だった私は、この日、十八歳。
「こんにちは」
 まだ聞き慣れない、なのに、懐かしい声。
 そこに立っていたのは、真新しい作務衣に身を包んだ、右京くんでした。

つづく
artwork and words by billy.
#創作大賞2023
#ほろ酔い文学

さて。
夏の一大イベント、花火大会に挑む、おとなりさんたちの奮闘は、次回、第九話の「後編」へ続きます。
みなさんの今年の夏の思い出に、この物語が加わってくれますように。
それでは、また。ビリーでした。

©️ビリー

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