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連作短編「おとなりさん season2 海の見える食堂から」#10(最終話)

第十話(最終回)「いつも隣に君がいた」

〈今回の語り手〉沢渡豊、四十六歳。調理師。居酒屋「花鳥風月」板前。
 沢渡たまき、十八歳。高校生。居酒屋「花鳥風月」看板娘。

 七月の花火大会を経て、再び帰ってきた梅雨前線。連日の大雨。四国の梅雨は、それこそ、機関銃のように雨が降るのだ。曇り空の後の激しい雨、そんな季節をやり過ごして、前線がようやく遠く離れたのを確認して、どうにか、遠回りしてやってきた盛夏。
 八月になると連日の三十五度。挨拶代わりの「暑いね」「暑いですね」。
 猛暑は僕たちから言葉を奪う。四国は暑いと骨身にしみて知ったはずだったけれど、今年の夏は本当に暑い。
 お盆期間は忙しかった。
 旅行客もいたし、帰省も多かった。おじいちゃん、おばあちゃんが孫を連れて来店、なんて。その都度、いつか、そんな日がくるかもしれない、たまきの結婚やら、出産だとか。
 早い早い、うちの娘はまだ大学も決まっていないから、なんて、誤魔化しては、「うちの孫が」「うちの息子は?」なんて、プレゼンまで受ける有様。
 よく憶えている。
 小さかったたまきが、父ちゃん、父ちゃんと歩み寄ってくれた日のことを。
 なあ、たまき。まさか、こんな遠くの、四国の、太平洋側で一緒に暮らして、みんなで笑う日々がくるなんて。
 すべて、君がくれたギフトなんだよな。
 年頃の娘を持つ父親なんて大変な役回りは初めてだけれど、意外と悪くもなかった。こんなに幸せな人生になるなんて。
 それは、たまきが真っ直ぐに育ってくれたからこそ。頼りない父母を見上げて、きっと、がっくりだってしただろう。そのうえ、君の居場所さえ危うくさせる親だった。
 あの日の君に答えなくてはならない。
 この、花鳥風月に来てくれてありがとう。君と笑って、騒いだ、美しい日々。みんなで花火を観るなんてさ。僕は本当に、お礼を述べるしかできない、情けない父親なんだろうな。笑う君の隣にいる、よろこび。それは、生きているよろこび。
 あの日。
 たまきは、店を手伝ってくれた青年、右京くんと、すてきなお付き合いが続いているとあかりさんに教えてもらった。君とお付き合いできる彼は、本当に幸せな男だと思う。
 窓の外は晴天。透き通るほど青く澄み、高くからお天道様に微笑まれているようだ。
 若いって、夏のようだな、なんて、よくわからないことを思う。わからないけど、わかるでしょう?
 人生で一番、暑いのは青春期だろう。とうにその時代を終えた、僕たちは、夏が訪れるたび、そんなことを思うんだ。
 お盆も終わり、暑いながら夏もその最盛期を終えたらしい。ここのところ、またもや、遠のきつつある客足に恐れ慄く日々。看板娘は二人がいいのかな。
 今日も、花鳥風月は間もなくランチ営業の時間。新なのか旧なのか、新だけどやや旧なのか(こういう発言に厳しい昨今なので事情については察していただきたい)、ともかく、看板娘がのれんをかけてきてくれて、「お客さんが待ってますよ」と、頬の横にピースサイン。すっかり馴染んだ作務衣。頭に巻きつけたタオル。どんな秘訣があるのか、訊ねても教えてはくれない、真冬のように白い頬。慈愛の微笑み。
「じゃあ、始めましょうか」
 僕は言う。
「花鳥風月、行っきまーす」
 あかりさんが思い切り戸を引く。いまだ真夏の外から、室内に流れ込む光。その眩さに思わず目を細めた。
 昨日によく似た夏空。昨日も並んでくれていた、昼ごはんを待つお客さんたち。
「大将、暑いね」
「ほんとですよね。お変わりないですか」
 なんて、返しながら、それ、昨日も同じこと言ったぞ、なんて、微笑ましい南風の人々。
 最近は、たまき目当てだったお客さんも、すっかり、あかりさん目当てに変わっていた。
 これが、推し変ってやつなのかな。
 たまき。
 早く戻って来ないと、看板娘の座をとられちゃうぞ。なんて、どうでもいいことを考えたりもする。父ちゃんは、どっちを推せばいいんだろうな。推しは一人だけ、なんて決まってるのかな。
 だとしたら、僕はたまきを推す。たまきが、あかりさんを推してくれたらいい。すでに人生も後半。そんな季節に、こんな嬉しい、楽しい日々が続いてくれるなんて。僕は、君たちに何ができるのだろう。
 もちろん、感謝を。
 それから、これからの毎日を丁寧に。一日でも多く、君たちの笑う顔を見ていられるように。
 このお店を守らなきゃな。いつか、たまきにリレーしなきゃならない。僕たちの世界の、希望は、光は、リレーしてゆくものなんだ。
 僕たちは、光を探すように生まれてきた。差し伸べた手のひらは、いつだって、光に向けられてきたはずなんだ。
 太陽を、星を。
 それから、花を、ゆく鳥を、通り過ぎてゆく風を、僕たちを見守ってくれるように静かにたたずむ、あの月を。
 そんなふうに生きてゆこう。
 生きる、よろこび。僕にそれを届けてくれたのは、いつだって、君だった。
 いつも、隣に君がいたんだ。
「大将ーっ!」
 あかりさんが僕を呼んでいる。天照大神とかね、大日如来やら、太陽や神様なんてさ、いつも、光は女の人が連れてくるものなのかもしれない。
 たまき。
 君が僕の娘で、本当に良かった。いつも隣に君がいてくれたんだ。

 花火の日。あの夜。
 私は、自分でも思いがけなかった告白で、父に未来を宣言したのです。
 あんなこと、考えていたっけ。きっと、ずっと、考えていたのだと思う。
 この一年間。たくさんのことがあった。たくさんの人を見てきた。父に寄り添われ、美しい時間を過ごしたけれど、生きるというのは、美しいばかりではないのだと、痛感だってした。
 だけど。
 どんなときだって、一緒に笑って、一緒に泣いてだってくれる、たくさんのお隣さんがいてくれた。父ちゃん。あかり。右京くん。それから、それから。この南風に住む、たくさんの人たち。
 ずっと、この町で、私は暮らしてゆきたいのだと、思うようになっていました。
 父ちゃん?
 大げさだからなー。だって、単なる塾の夏季合宿、たった一週間のことなのに、「たまき、まだ帰ってこないのかな」なんて、毎日、言ってるって、あかりがラインしてくれたよ。報告というか、それってもはや、密告だよね。
 だけど。
 私も、父ちゃん、元気にしてるのって、ラインしても良かったのに、なんか、照れくさくって、しないまんまでした。
 あの花火の日。終わった後。
 あかりは私に、パールのピアスをくれたのです。ちょうど、その日は、十八歳の誕生日でした。父ちゃんも右京くんも、そのことなんてすっかり忘れていて、忙しくて、私だって忘れていたけれど、あかりは忘れてなんていなかった。
「おい、たま」
 そんなふうに手を引かれて。
「お主にこれをくれてやろう」
 そう言って。
 外したばかりの、きっと、汗にまみれて、においそうなそれを、私の手に握らせてくれたのです。それは、あかりが十八歳の誕生日に、お母さんから貰ったものなんだって。
「いまのたまなら、私より似合う」
「いいの。こんな大切なもの」
 だって、そんなの貰っていいのかなって、怖くって。震える声で答えたのです。
「うん。たまは私の」
 友達かな。妹かな。娘みたいに思うときもある。でもさ、私たちは。
「お隣さん」
 あかりは声を震わせて、私にそう言ってくれたのです。
 肩を並べて歩いてゆける、これから、人生を共にする、特別な人。それはきっと、お隣さん。知り合って、仲良くなってから、私たちはずっとお隣さんだったのです。
 パールは、海からの預かり物。
 私たちは、海の近くで暮らしているのです。あかりは海の近くで、生まれて、育った。私は、海の近くに暮らしたいと願った、海の近くに生まれた、父を頼って、この四国にたどり着いたのだ。
「たま」
 パールを握って、目を閉じた、私のことを、あかりが抱きしめてくれたのです。
「大好き。愛してる。出会ってくれてありがとう。昨日も今日もありがとう。明日も今日みたいに隣にいたい。君に伝えたいことは、いつだって、それしかない」
 きっと、真夏の外の仕事のあとで、いつものようにお風呂に入っているわけでもない、私たちは、しっかり臭かったのではないかと思う。
 だけど、あたたかかった。真夏なのに、あたたかく思ったのです。
 大好き。
 愛してる。
 言葉にするのは容易いのかもしれない。けれど、それを使ってでしか、伝えられない気持ちがある。私たちのくらす世界は、そんな気持ちがたくさん、溢れてもいるのだ。
 大好き。
 愛してる。
 どうして、それを言えなくなってしまうのだろう。いつだって、はっきりと、真っ直ぐに伝えられる人でいたい。
 たくさんのお隣さんたちと同じように。鼻をすする声が、重なった。
「私も」
 ねえ、あかり。
 父ちゃんとかさ、右京くん。クラスの子たち。それから、南風町の人たち。漁師さん。農家さん。猫さん。お寺さんとかさ、大好きな人がたくさんいる。離れられるのかな、この町を。この海を。
「ほんとは、離れたくないよ」
 父ちゃんから。右京くんから。それから、大好きなお隣さんから。私たちの花鳥風月から。
「ここで待ってる。お主は安心して、勉強してくるがいい」
 いつか、きっと。
 これからずっと。
 分かち合おう、幸せを。美味しいものや、いつかきっとの乾杯ビールを。大人の時間は、美味しいビールに決まっている。
「たま。行っておいで」
 花鳥風月のことは任せておくがいい。
 それから、私たちは、一晩を使って、それでも、話し尽くせない気持ちを、それから、あれこれを、ビールとハイボールと、私は、ジンジャーエールと烏龍茶で、夜が明けて朝になるまで語り明かしたのです。
 そのとき、やっと、里を離れて旅立つ決意がかたまったのでした。
 気づくと夜明け。私たちのお店に、朝日が差し込んでいました。

 昨日によく似た一日の始まりを告げる、あの、黄色い列車が駆け抜けてゆく。
 父ちゃんが言っていた。あの黄色い列車を見かけたら、その日はきっといい日になるって。
 今日はきっと、昨日よりもいい日になる。
 私は呟く。
「輝く我らぞ」
 そして、愛機の自転車へ。
 いまから行く。昨日よりずっと、高く、遠くへ。新しい明日に向かって。
 お客様へ。
 私、沢渡たまきは、しばらく看板娘をお休みいたします。でも、もう一人の可愛い看板娘と、相変わらずの板前がみなさまをお待ちしています。
 今夜、いつものように元気に笑えた、一生にたった一度の今日の日を、私たち、花鳥風月でお祝いなんていかがでしょうか。
 美味しい料理と美味しいお酒、そんな、小さいけれど、確かな幸せを持ち寄って。
 海辺の食堂、花鳥風月は、いつでも、みなさまのご来店をお待ちしています。
 いらっしゃいませ。
「よーし。行くぞ」
 黄色いラッキー号は東へ東へ、朝日のほうへ駆けて見えなくなっていました。
「視界良好。進路、オールグリーン」
 私は、大好きな誰かの真似をするのです。耳たぶには海から借りたパールのピアス。ペダルに乗せた利き足。いよいよ、離陸。
 あの、可動橋が立ち上がっている。その先には、広がる太平洋。昨日によく似て見えたとしても、たったの一日だって、同じ日はない。まだまだ暑いけれど、秋の色彩を持ち寄って、立ち上がる波を見て思うのです。
 それから、昨日と同じように、それでも昨日よりもっと、新しく走り出すのだ。
 数秒先へ踏み込むペダル。走り出す愛機。ほら、すぐそこに明日が待っている。
 さあ、発進しよう。
「沢渡たまき、行きまーす」
 未来へ。

「おとなりさんseason2 海の見える食堂から」
おわり

artwork and words by billy.
thank you for all readers,
and all noters and note,and need more sun.
#創作大賞2023
#ほろ酔い文学
#私の作品紹介


 さて。
 第一話から約一か月、今回の第十話で、この夏の「おとなりさん」は最終回になります。
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 来週から、「おとなりさんZ」として、新たにドラゴンボ〇ルを巡る冒険の旅……ではなく、とりあえず、今回はこれで終了です。 
 たまきの卒業や進学、冬から春にかけての花鳥風月、豊とあかり。それから、南風にくらしている、たくさんのお隣さんたち。
 その物語は、また、いずれ(夏が終わってからにしましょう)。
 それでは、また。

相変わらずのビリーでした。

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