見出し画像

「いらない子供」#4

 育った家は裕福な家庭だった。国立大の精密工学部を主席で卒業したエンジニアの父と、銀行員だった母との間に生まれた。とても仲の悪い夫婦だった。監視、管理を好み、人の価値は学歴と勤める会社がすべてと言い切る父だった。絵や音楽や芸術なんて、入る隙すらなかった。
 僕は趣味嗜好から食べるものまで、父の管理下に置かれた。好きなスポーツチーム、読んでいる本、仲の良い友達。すべて、管理されていた。僕に電話をしてきてくれる女の子の素性さえ調べるような男だった。好きなスポーツも自分の好みに修正させようとする父だった。そして、僕はいつも彼とは違う道を選んだ。父は母に怒鳴った。「おまえの教育が悪いから、息子がクズになった」と。気分次第で発言は変わり、臆病なので、外では笑顔で頭を下げる男だった。そして、家に帰れば、その鬱憤を家族で晴らすのだ。性格破綻者で、人格異常者だった。それを隠すための笑顔を作ることにも長けた男だった。
「大学進学は当然。しかし、自分より高学歴は許さない。世間に誇れる程度の学歴で、しかし、自分より高給は取らない程度。自分より社会的地位の高い人間になると、親を尊敬しなくなる」
 そう言っていたそうだ。しかし、僕は、自分の両親に尊敬心など抱いていなかった。
 いつしか、僕は慣れてしまった。クズ、生ごみ、負け犬と罵られて育ったのだ。母はいつも僕を呼び、「あんたら二人(僕と妹)がいなければ、すぐにでも離婚できるのに」とこぼした。クラスメイトのみんなも、こんなふうなんだろうか。それを我慢して笑っているのだろうか。自分だけじゃないと思いたかった。
 怒鳴る父と、金切り声で叫ぶ母。耳をふさぎ、自室にこもって、やり過ごそうとする幼いころの小さな膝のことをよく覚えている。
 そして、当時、妹は斜視で入院、手術を受けることになっていた。母は言った。「あんたなら良かったのに」と。小学生だった僕はそろそろ気づいていた。僕なら斜視でも良かったのだと言った。女の子がこんな手術をすることになるなんて。そうだよな。僕なら、斜視のまんまでも良かったんだよな。
 学校から帰宅すると、玄関戸に張り紙がある。「○○さんの所に行きなさい」と。鍵を渡せないと思ったのだろう、行き先は近所のおうち。そこで自分の帰宅まで待てと言う。僕はそのおうちには行かず、ひとりで海に行くようになった。友達がいるわけでもない、誰かのおうちに長くはいられない。
 小学生は、「なぜ、生まれてきたのだろう」と考えるようになっていた。いっそ、生まれて来なければ良かったのに。
 行く場所がなかった。遠くに海があった。
 早く大人になりたい。大人になれば、自分の好きなところで、好きに生きればいいのだ。不自由な子供の自分が憎かった。
 僕はもう気づいていた。自分は「いらない子供なのだ」と。悔しくもなかった。そのころ、すでに僕は自分を諦めようとしていたのだから。

photograph and words by billy.

#振り返りnote

この記事が参加している募集

サポートしてみようかな、なんて、思ってくださった方は是非。 これからも面白いものを作りますっ!