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連作短編「おとなりさん」season2 海の見える食堂から

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海を望む小さな食堂、花鳥風月。 特別じゃない、なんでもない日を祝いたい。 創作和食と美味しいお酒、思い切りの笑顔でお待ちしています。 これは、そんなお店のしあわせな夏の日の物語。
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連作短編「おとなりさん 〜海の見える食堂から」#2

連作短編「おとなりさん 〜海の見える食堂から」#2

第二話「看板娘」

 茹だる夏の夕、と、季節と気温以上に真夏感を感じさせてくれる歌が小さなスピーカーから届けられたのは、ある、土曜の午前十一時半。うだるって、どんな漢字だっけ。
 茹だるとまでは言わないけれど、窓から射し込む陽射しはすでに夏。床に揺れる陽だまり。
 まだ五月。まだ午前。夏でも夕でもないけれど、空調が入る前の店内清掃は充分に夏の暑さで、作務衣を着ていた私はしっかりと汗をかいていた。作

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連作短編「おとなりさん2 〜海の見える食堂から」#3

連作短編「おとなりさん2 〜海の見える食堂から」#3

第三話「手紙と再出発」

「微妙だなー」
 いきなり、とは思いながら、やっぱりいきなりこぼれてしまった弱音。弱音? 本音か。弱音は本音。本音は、やっぱり弱音になってしまう。
「なによブツブツ」
 カウンターの拭き掃除をしていた娘がちらりと僕を一瞥した。眉根を寄せた、その視線はなかなか厳しい。テーブルの隅に寄せられた皿はロスなく何も残らずきれいにされていた。
「あーいや」
 なんでもない。
 ことは

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連作短編「おとなりさん season2 海の見える食堂から」#4

連作短編「おとなりさん season2 海の見える食堂から」#4

第四話「恋文」

「よいしょ」
 年寄りくさいとは思いながら、だけど、とうにお年寄り扱いされる年齢になっているんだし、現実的に孫のいるおばあちゃんなんだから。
 なんて、しっかりと自分自身を自覚しながら立ち上がる。
 よいしょ。
 そんなかけ声で、いまから動かしますよ、と、自分自身に、その体に伝えておくのです。これだけで、それなりに怪我の可能性を減るというのだから、人の身体というのは案外、単純で、

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連作短編「おとなりさん season2 海の見える食堂から」#5

連作短編「おとなりさん season2 海の見える食堂から」#5

第五話「猫になりたい」

 吾輩は猫である。
 ので、どうしてもヒト科のような群れの生活には馴染むことなく、さりとて、生きている以上、やはり糧は必要である。かすかに残る狩猟本能を総動員しようとも、しかし、吾輩も既に老境、ネズミを追えば翌朝以降の筋肉痛と疲労感、それに伴う虚脱感にて灯火たる命の火種が尽き果てそうにて、昨今たるや、人様から配給される食糧品を待つ始末。
 嗚呼。小生、もはや捕食者に非ず。

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連作短編「おとなりさん season2 海の見える食堂から」#6

連作短編「おとなりさん season2 海の見える食堂から」#6

第六話「地図にない場所」

 どうしてお腹が空くんだろう。
 膝を抱く。ダンゴムシのように、なるべく小さく体をたたんで、ただ、目を閉じておく。何も見えず、何も聞こえないように。なるべくエネルギーを使わないように、なるべく、いまより消耗してしまわないように。そして、目だけで壁の時計をちらちらと見つめて、時間が過ぎ去ってくれるのを待っていた。
 お母さん、今日は何時に帰ってくるんだろう。
 ぼくはまだ

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連作短編「おとなりさん season2 海の見える食堂から」#7

連作短編「おとなりさん season2 海の見える食堂から」#7

第七話「振り返れば奴がいる」

「ありがとうございました。またのお越しを」
 お待ちしています、は、心のなかで、呪文のように唱えておく。
……呪文。それは直訳するなら呪いの文言。
 違う違う、そうじゃ、そうじゃない。それは呪いじゃない。
 おまじない。よろこびと慈しみをふりかけた、小さな魔法。頭を下げても、しっかり、にっこり。ふひひ。いひひ。ついでに、でへへ。
 たった一日でも、たくさんのお客様を

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連作短編「おとなりさん season2 海の見える食堂から」#9

連作短編「おとなりさん season2 海の見える食堂から」#9

第九話「夏の日 〜後編」

 晴天。今日は炎天。
 午後も三時を過ぎたころ、お日様はわずかながら傾いてはいたけれど、変わらず、まるっきりの猛暑。酷暑。気温は摂氏三十五度。そもそもが車道に設けられた飲食店ブースは、アスファルトからの照り返しで完全な蒸し焼きスペースになっていた。
 海も開放されたこの日。浮き輪を手にして、水滴を滴らせてゆく小さな子たち。日焼けた背中。お母さーん、の、呼び声。すぐに乾く

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連作短編「おとなりさん season2 海の見える食堂から」#10(最終話)

連作短編「おとなりさん season2 海の見える食堂から」#10(最終話)

第十話(最終回)「いつも隣に君がいた」

 七月の花火大会を経て、再び帰ってきた梅雨前線。連日の大雨。四国の梅雨は、それこそ、機関銃のように雨が降るのだ。曇り空の後の激しい雨、そんな季節をやり過ごして、前線がようやく遠く離れたのを確認して、どうにか、遠回りしてやってきた盛夏。
 八月になると連日の三十五度。挨拶代わりの「暑いね」「暑いですね」。
 猛暑は僕たちから言葉を奪う。四国は暑いと骨身にしみ

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