たまに、鏡に映る自分の顔にひどく驚くときはないだろうか。 疲れが顔に現れているとき、寝不足のとき。 年を取れば、取るほどに、その頻度は増える。いまは忙しいからと見送っていると、その時には手遅れになっているかもしれない。 だからこそ、いま始めたい。男の美容を。 ただ、何を買えばいいかがわからない。あんまり欲しいのが見つからない人も多いかもしれない。最初の一歩が踏み出しにくいのだ。 そんな方は、下記を試してみてはどうでしょうか。 ①基本の「洗顔」「化粧水」「乳液」
素直に言うと、ここ最近は不安が大きい。コロナによって、直接影響を受けているわけでもなく、収入も安定している。もとから人付き合いは少なく、ストレスも少ない。 しかし、精神的にずっと揺れ動いているのだ。まるで袋小路につまっている感覚だ。物事には出口がないといけない。ただ、最初から出口がなかったようだ。長年、逃げてきたことや見逃していたことが無言の圧力をかけてきているのかもしれない。もしくは、仕事に対して4年経っても興味が持てないことが関係しているのかもしれない。 逃げるように
ある時期、写真に関する本を読んでいた。 しっかりとは覚えていないが、たしかホンマタカシさんの本だったと思う。 その中で、写真の系譜のような話が載っていた。 決定的瞬間を撮る価値観と、決定的瞬間ではなくありふれた瞬間を撮る価値観の話があった。 決定的瞬間とは、アンリカルティエブレッソンの水たまりの上を飛んでいる写真に代表される。ある一瞬だけ生じるような完璧な決定的な瞬間、その名の通りの一瞬を切り取ることだ。 その一方で、大判カメラといった、持ち回りが機敏ではないカメラを使
週5日、会社に行くことがいつまでも慣れない。 定時になるまでに、トイレに何回行ってるだろう。手を洗ってると、よく見かける人ばかりのことに気づく。 便器に座りながら、ツイッターを見ている。 呟きが流れてくるが、この人たちも同じだろうか。匿名の世界なのに、何も知らないのに、親近感が生まれる。 毎日、見てるのは数字の羅列だ。何が費用だ。前年よりも数字が増えているかどうか、興味がないことに神経をすり減らしている。経営者に伝えることが役割らしい。その経営者と話す機会は、殆どない
本の形は少しずつ多様になっている。 kindleを代表する電子書籍もいまや一般的になり、そしてオーディオブックと呼ばれる音声の書籍も広がってきている。(書籍と呼ぶのかはよく分からない) これまで値段の高さもあり、オーディオブックを試してこなかったが、Amazonのaudibleを試してみた。 購入したのは千葉雅也さんの"勉強の哲学"である。この本は紙の書籍でも購入していたが、積読になっていた。 千葉雅也さんは硬派な文章を書くので、読み続けるのに、わりと気力と気合がいる。
最近はラジオをよく聞いてる。テレビよりも内容が入ってくる気がする。 何より、ちょうどいい。疲れた時も、のんびりした時も、ちょうどいいのだ。 テレビと比べて、パーソナリティや作家だけ話しているラジオの空間は、人となりが言葉により宿っている。それが心地いいのだ。 そんなわけで、ラジオを聞いてるのだが、いま一番好きな番組は空気階段の踊り場だ。 ひとりは借金が600万円ある。ひとりはラジオで告白して、泣いている。 そして、2人のコントはとても面白いのだ。会話も面白い。妹から拒否
その数字がどういう状態であるのかを知る為には、比較対象が必要である。 そして比較する際に、その数字の意味を把握する為には、問いを立てることが大事だ。 その問いは、基本的に『なぜ、その差額が発生しているのか?』である。 その時、どちらかの数字が異常であるのだ。 ひとつの例として、今期と前期の同月比較において、今期が+6百万円だとする。 その時、安易に今期が増えたと思ってしまうかもしれない。 ただ、よく考えると、今期が多いからなのか、もしくは前期が少ないからなのか。それと
最近、サニーデイサービスのbaby blueをよく聞いてる。 意味が掴めているかと言われたら、よく分からないと笑いながら答えるだろう。 ただ、旅に出たくなる曲だなと感じる。 特に好きなのは、歌詞だ。 "どこかでだれかとだれかが恋におちる そんな風景を見に行こうか" 世界遺産や絶景が見たいわけではなくて、こういう風景が見たいのだ。 どこかでもそこに生きる人がいることを見れるというのは綺麗なことだと思う。 自分の写真に、その考えが少し写っていればいいなと思う。
わりと離れた所からいいなと思って、何気なくボタンを押した写真が好きだったりする。 犬に引っ張られてるおじさんなどシュールでいいなと思ってしまう。子供の姿勢もよく分からない。 キザな歩き方にも惹かれしまう。 ポツンと立つ姿に力強さを感じる。
青山ブックセンター六本木店が閉店する前日、3万円程本を買った。 大学を東京で過ごした訳でもなく、何も思い入れがない本屋である。 ただ、話題に上がっていて、写真集などが安くなってるかもしれないと期待したのだ。 大概の洋書の写真集は買い尽くされ、残っていた定価の写真集を欲望のまま買った。 石川直樹さんの写真集やポラロイドの写真集。 それに、昔に開催された日本のファッションの展示本と、奥山由之さんのアンリアレイジの写真集だ。 働き始めてから、私服へのこだわりなど擦り減って
最近、学生の時に触れたこと・興味があったことがリバイバル的に欲望として湧き上がっている。もしくは、単なる暇つぶしかもしれない。 例えば、2年ほど前からカメラにハマっている。 元々は高校生のときに少し興味があった。 しかしあまりお金もなかったので、ヴィレヴァンでlomographyのトイカメラを買ったのだが、映りも微妙で、結局はあまり興味が持てなかった。 ただし、働き始めてから、それなりのカメラを買うと何とも言葉にしにくい面白さを感じるようになった。 また、最近はミニギ
映画や本、音楽、写真といった趣味がある人にとって、何度も味わう・繰り返し理解しようと試みる作品に出会えることは、とてつもなく幸せなことだ。 これに関しては断言出来る。 その為に、数多くの作品を試し、お金を使ってるとも言える。 その幸せな出逢いがあった。 いま上映している"君の名前で僕を呼んで"である。 自分の近しい友達には、土下座して、見てくれないかとでもお願いしたくなる作品である。 あなたも見て下さい。 出来れば、感想も教えてくれると嬉しいです。 昔、自分が居て欲
自分の仕事は、会計的な定量的情報の作成・その情報を元にしつつ、定性的情報を取得して、分析していくのが主な仕事だ。 これは過去・現在の姿をみていく仕事である。 完璧に全容を捉えられないが、ある側面からの姿は理解できる。 例えば、保管料が前年と比較して増加している。(何かの基準がなければ、傾向は分からない) 調べていくと、それは春先の売れ行きが悪く、在庫が溜まってるらしい。おまけに年一回、大きな仕入れをする慣習なので、在庫が増えてるからといって、仕入れを大きく減らすことも出来
昔は、周りの友達が知らないモノに価値があると思っている節があった。 それは、誰か遠くのセンスの良い人の言葉を信じていたのだ。高校生の頃は、その言葉はあらゆるところにあった。TSUTAYAやタワレコなどもそうだ。 自分がそれを本当に良いと思っていたのかは置いておいて、そのおかげで幅広い作品に接することが出来た。 一方で、今は自分にとって、もう遠くのセンスの良い人は見つけられなくなった気がする。 代わりに、季節や流行りモノに、抵抗なく接したいと思うようになってきた。 何故
色んなカメラを試したくて、お金を稼いでは使っていた。 だけど、そんな生活を望んでいないことだけは確かだった。 今あるもので何が不満なのだろうか。あと、何があればマシになるのか。 自分の手元には何があるだろうかと確かめることは大切なことだと気付いた。 カメラの話だけど、それだけに限ったことではないなと思った。
何かがあるということに注目するよりも、何かがない。その不在に着目すべきなのかもしれない。 そこにこそ、魅力が隠されているのかもしれない。 ないものは、人が選び取ったものでなく、そうせざるを得なかった結果である。 それは、どうしようもない不条理なものかもしれないが、そこにしか確からしさはないのかもしれない。