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決定的瞬間と等価的価値、そしてインスタ映え

ある時期、写真に関する本を読んでいた。
しっかりとは覚えていないが、たしかホンマタカシさんの本だったと思う。

その中で、写真の系譜のような話が載っていた。
決定的瞬間を撮る価値観と、決定的瞬間ではなくありふれた瞬間を撮る価値観の話があった。

決定的瞬間とは、アンリカルティエブレッソンの水たまりの上を飛んでいる写真に代表される。ある一瞬だけ生じるような完璧な決定的な瞬間、その名の通りの一瞬を切り取ることだ。

その一方で、大判カメラといった、持ち回りが機敏ではないカメラを使って、ありふれた一瞬を撮るのが等価的価値として紹介されていた。
等価的価値は、決定的瞬間を切り取るのではないからこそ、逆説的にあらゆる瞬間が価値があることとして見ている態度であるのだ。

そのようなことが確か書かれていたように記憶している。この後者の考え方に惹かれた為に、数年前に読んだ本だが、この話を覚えている。

ただ、一般的には、決定的瞬間を好んでいるように思える。というよりも、決定的瞬間のようなものが何だか良いのでしょと思っていそうだ。

*の・ようなもの(監督:森田芳光)という映画は最後まで見たのに、ちゃんと記憶に残っていない。風呂場のシーンだけは覚えているけども。気になる人は、この映画も見て欲しい。

だからこそ、決定的瞬間を疑似的に作成するようなスポットが出来ているのだろう。
ふと思ったことだけど、そんな気がした。

それが空虚で、こだわりの薄い人達に思えるといった話ではなくて、立ち位置を知る為にはこういう話も大事な気がしただけだ。



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