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「バーテンダーを30年続けていられた理由」

私は現役のバーテンダーである。
キャリアは30年近くになるが、まだまだその真髄には遠く及ばない。
きっとこの仕事に満足はない。もちろん日々の達成感や充実感はある。だが、到達感のようなものは無いものと覚悟しているし、万が一にでも、それに似た感覚を得られるような淡い期待もしていない。
仕事とは、キャリアを上げていくと、能力と責任と収入のバランスが比例していくから、マジョリティーの人々は、キャリアアップをモチベーションとして仕事と向き合っているはずである。
そこから、更に欲を加えると、自分の好きな仕事でキャリアを伸ばし収入を得られたら最高だ、という考え方に至るのかもしれない。或いは、誰も成し遂げていない未知のビジネスに挑戦する者もいるだろうし、好きだから、ではなく、楽しいから、ワクワクしたいから、という考え方もまた、最近の仕事選びのかっこいい理由になっているのではないだろうか?

そういった観点から見ると、BAR経営はまるで割に合わない。

なぜかと言えば、最初からある程度の客単価が決まっているから、いくらキャリア(年数)を積んだとしても収入は変わらないからだ。
だから、大半の飲食オーナーは食事の繁盛店を目指すし、飲み屋ならクラブやキャバクラの経営を選択する。そこにビックビジネスのチャンスがあるからだ。だがBARは、とくに若くして始めてしまったお店ならなおのこと客単価は低いもので、それが10年、20年と年数を重ねたところで、工夫がなければ最初に設定した単価を上げることは不可能に近い。開業した坪数、席数、アイテム、システムがそのまま将来の収入になってしまうのである。だから収入という観点から考えると、とてもじゃないが割に合わないのだ。

つまり、BAR経営は、金だけではやっていられないのである。では、なぜ続けていられるのか?

それは、人との出会いが金以上に魅力的なものだからだ。

もちろん、残念な出会いなんていうのも履いて捨てるほどあった。故意に人を中傷する不愉快な客、理不尽な要求をしてくる客、強引に酒を強要する客、脅迫をしてくる客、ヤクザ、気の効かないスタッフ、熱心に成長しようとしないスタッフ、数えだしたらキリがない。
実際のBAR経営の苦労の8割は、人災(客だけでなく、スタッフも含む)と言っていい。残りが金災だろう。
その難解な人間問題を含めた上で、BAR経営が魅力的だと言えるようになったのは40歳を過ぎてからだし、開業からの10年以上は、「やっちまった!商売を舐めていた!さっさと辞めて違う仕事を始めなければ!!」と、BAR経営に辟易し迷宮を彷徨い続けた日々だった。

だが、いつからか、難解な客やスタッフは私に幸運をもたらしているのだと気付かされた。
難解だったのは客やスタッフではなく、実は私の弱さに由来することだったからだ。

私の弱さとは、人への苦手意識、固定概念(決めつけや思い込み)自意識過剰、許すことを知らない、安っぽいプライド、敵対意識、過剰な自己顕示欲、過剰な承認欲求、学歴コンプレックス、知ったかぶり、人間を舐めることで得られる優越感、若くして独立した自負、これまた数えだしたら止めどがない。
恥ずかしい限りだ。

これらの弱さを、気づき、克服させてもらえたのは、紛れもなく難解な人間だとスルーしてきたお客やスタッフからだった。

今ならハッキリと断言できる。BARは、人間を人間らしく向上させるためのこれ以上ない学びの場、つまり私は人間の求道者といえる。

自らの過ちに気がつき、反省し、また繰り返し、猛省し、更にまた繰り返し、自分にうんざりし、また繰り返し、大切なモノを失い、そしてまた繰り返す。
大切なモノや人を(妻子、店、仕事、金、仲間、信頼)すべて失った時、ようやく本当の気づきが訪れる。だがもはや気力や体力は残ってはいない。
だが、また死んだ気になって言うことを聞かない身体を奮い立たせ、ゼロから始める。
そして、次のステージでも、また同じことを繰り返す……。
そんな日々が、私をBARのカウンターへと駆り立てる。人の笑顔に救われるために。

気がつくと30年近い歳月が経ち、私はまだ遥か先の見えない終着地を目指している。
私は、私の笑顔とお客の笑顔を大切に、これからもカウンターに立ち続ける。






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