ぷりぷりのカキ鍋と、いつもと違う選択
「今年は、冬が来るのが遅そうだな」
と思っていたが、立冬を過ぎると、さすがに朝晩は暖房がほしいほどの寒さになってきた。
こうなると、ますます食べたくなるのが「鍋」である。
「う~。今日は、なに鍋にしようかなぁ」
なじみの居酒屋へ着き、薄手のコートを脱いでハンガーにかけながら、私はつぶやいた。
「今日は、カキのいいのが入ってるよ。カキ鍋、どう?」
迷っている私に、店主が提案した。
「カキ鍋か…。そういえば、今年はまだ食べてないね」
私は店主のすすめに従って、カキ鍋を注文することにした。
通常は鍋料理というと「2人前から承ります」という店が多いが、ひとり客が多いこの店では、1人前用の小さな鍋がある。毎年、秋風が吹く頃になると、湯豆腐やブリしゃぶ、鶏肉とセリの鍋や豚肉を使った常夜鍋などがメニューに並ぶ。カキ鍋も、毎年の定番だ。
「やっぱり、寒くなるとお鍋ですよね」
スタッフが、私の席に小型カセットコンロをセットする。鍋の具材を待つ間、グラスになみなみと注がれた日本酒を飲みながら、心の中ではすでに、シメの雑炊をイメージしていた。
カキのうまみが出たお出汁を、真っ白いご飯にしっかり吸わせて、ふわりと溶き卵をまとわせる。なんともおいしい、シメのカキ雑炊…。
食べる前からそんなシメを思い描いていたら、具材が満載になった鍋がやってきた。
「はいよ~。お待たせ」
「おお~!今年もゴージャス!」
1人前用の小さな鍋に、ぷりぷりのカキが何粒も入っている。他にも、きのこや豆腐、ねぎ、水菜などがたっぷり入っていて「これが1人前?!」と、毎回驚かされる。
カセットコンロに火をつけ、お出汁が温まるのを待つ。この小さな鍋には蓋がないのだが、小さいからなのか、それとも金属製だからなのか、あっという間にお出汁が温まって、ぷりぷりのカキに火が通り、半透明だった部分が徐々に白くなっていく。
「もう、いいかなぁ」
お腹をすかせていた私は待ちきれずに、肉でいえば「ミディアムレア」くらいでカキを食べることにした。
左手にポン酢の入った小皿を持ち、右手の箸でカキをつまむ。ちょんちょんと、ほんの少しだけカキの身にポン酢をつけて、口の中へ。
カキは見た目通り、口の中でもぷりぷりだった。
「ん~!今年のカキも、んまい~!」
「本当にうまそうに食うよなぁ」
厨房で料理をしていた店主は、私がカキ鍋を食べる様子を見て、カウンター越しに笑った。
「だって、ホントにうまいんだもん」
カキのうまみを味わいながら、日本酒をちびちび。カキの次は、火が通りすぎないうちに水菜をいただく。そして、アツアツの豆腐を食べ、また日本酒をちびちび。豆腐の次はきのこ、きのこの次は再びカキへ…。
こうして、あっという間に1人前用の鍋は、お出汁だけになった。むろん、そのお出汁にはカキのうまみがしっかり出て、さらにおいしくなっている。
いよいよ、お待ちかねのシメである。
「雑炊セット、お願いします」と言いかけて、ふと、「あ、今日はいつもと違うシメにしよう」と思った。
この店の鍋のシメは、雑炊の他にもうひとつ用意されている。よくあるのはうどんだが、この店のもうひとつの選択肢は「焼きおにぎり」なのだ。
実は私は、カキ鍋のシメに焼きおにぎりを頼んだことはない。なぜなら、白いご飯にカキのうまみをたっぷり吸わせたいし、焼きおにぎりをカキ鍋のシメにすると、せっかくのカキのうまみが焼きおにぎりに負けてしまう気がするからだ。早い話が、「カキ鍋のシメは雑炊の方が合うでしょ」と思っていたからである。
でもなぜか、その日は「シメは焼きおにぎり」と思った。
「お?びんこがカキ鍋のシメに焼きおにぎりって、珍しいな」
「でしょ?でもなんか、今日はそんな気分なんだよねぇ」
注文すればすぐに出てくる雑炊セットと違って、焼きおにぎりは少々、時間がかかる。注文を受けてから焼くからだ。
焼きおにぎりが出来上がるまで、日本酒を飲みながら待つ。カウンターの向こうの厨房では、店主が目の前で握ったおにぎりに、自家製の醤油だれをまぶし、グリルで焼き上げている。
しばらく経つと、店主はグリルの焼きおにぎりを裏返した。カウンター越しに、醤油のこげた香ばしい匂いがする。
「はいよ~。お待たせ」
それからほどなくして、私のもとに焼きおにぎりがやってきた。三角形の手作りおにぎりは、全体が醤油をまとった薄い茶色で、表と裏には、醤油がこげた濃い茶色になっている。なんとも、香ばしい匂い。
「あ~。このまま食べても、ゼッタイにおいしいヤツ」
「もちろん、うまいよ。でも、カキ鍋のシメなんだろ?」
「そうなんだよねぇ」
私は、小型カセットコンロの上の小さな鍋に再び火を入れて、お出汁を温めた。温めている間に、やっぱりガマンしきれず、ちょっとだけ焼きおにぎりをかじった。おいしすぎて、あやうく、そのまま全て食べてしまいそうになる。いかん。ガマン、ガマン。
ふつふつとお出汁が温まったところに、焼きおにぎりを沈める。焼きおにぎりの香ばしい匂いが、さら強くなる。
「出汁茶漬けみたいな感じなんで、そんなに煮込まなくてもいいですよ」
シメの焼きおにぎりに初挑戦の私に、スタッフが声をかけてくれた。なるほど。雑炊と違って、あまり煮込まなくてもいいのか。
アドバイスに従い、ぐつぐつと煮込まれる前に火を止める。鍋の中で焼きおにぎりを崩し、お出汁と一緒に用意されたお椀に盛り付ける。
「いただきま~す」
フーフー、ハフハフ、アチチ…。
「ん~!んまい!」
カキのうまみがしっかりと出ているお出汁と、香ばしい醤油味の焼きおにぎりが、なんともいえずいい感じに合わさった、とてもぜいたくな味がした。
「カキ鍋焼きおにぎり、サイコーだね!」
「いつもの雑炊もいいけど、それもうまいだろ?」
「うん、新しいおいしさを知ってしまった!」
そう。「いつものおいしさ」は、間違いなくおいしい。だけど、いつも同じものを食べていると、そのおいしさに慣れてしまって、「いつものじゃないおいしさ」を知る機会を逸してしまう。
「たまには、違うおいしさも味わっておかないとね」
「いつもと違うおいしさがあるから、いつもの味もまた、うまいと思うんだねぇ」
「なんだか深いなぁ。人生みたい」
鍋のシメは、いつもの雑炊か、いつもと違う焼きおにぎりか。いつもと違う選択をするというのは、ちょっとだけ勇気がいる。けれど、そのちょっとの勇気が、新しいおいしさを教えてくれたのであった。
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