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おでんと原稿

その日も、私は家で原稿を書いていた。

締め切りが翌日、というほどには切羽詰まっていなかったけれど、何しろ年末である。あれこれやらなければならないことがあるので、早めに書いてしまおうと、気持ちはちょっと焦っていた。

だから、その日のお昼ごはんは簡単に済ませた。つくりおきの焼きおにぎりとインスタントの味噌汁という、お湯さえあればできる自作の食事を済ませると、使ったお皿とお椀と箸を持って、キッチンへ向かった。

流し台でお皿やお椀を洗っていると、ふと、近くにあった大根と目が合った。

あ、そういえば、この大根、そろそろ使わなくっちゃ。

冷蔵庫に、スーパーで半額のときに買ったがんもどきがあるなぁ。

軽くあぶってお酒のおつまみにしようと思ってた練り物もあるし。

こんにゃくは、いつも冷蔵庫に入ってるし。

……ということは、おでん、かなぁ。

おでん、時間かかるんだよなぁ。あ、でも、ウチで仕事してるんだから、仕事している間に煮ておけばいいか。

そう思った私は、先ほど目が合った大根を手に取り、ゴシゴシとたわしで洗った。自分が食べるだけだから、皮をむくのも面取りするのも省略して、洗った大根をとにかく輪切りにした。その方が生ごみも出ないからエコだしね、と自分に言い訳もした。

ザクッ、ザクッ。ザクッ、ザクッ。

おでん用に分厚く切った大根を、大きめの鍋に並べる。顆粒だしをふる。水をひたひたに入れて、ガスコンロの火をつけた。とりあえず中火にして、タイマーを5分にセット。

たった5分では、落ち着いて原稿に向かえない。それでは、コーヒータイムにしますかね。

ポットのお湯でコーヒーを淹れ、マグカップを両手で包むようにしてパソコンの前へ戻った。戻ったといっても、わが家は1Kの小さな家なので、キッチンからパソコンのある部屋まではほんの数歩の移動である。

コーヒーを飲みながら、さっきまで書いていた原稿を読み返す。

ピピピッ、ピピピッ。

あっという間に5分が経ち、キッチンへ呼び戻された。今度は、できるだけ弱火にして、タイマーを30分にする。

30分もあれば、まぁ、少しは進むでしょ、原稿。

そう思って、再びパソコンに向かう。自分の頭の中を「読み返しモード」から「書き進めるモード」に切り替える。

ピピピッ、ピピピッ。

しばらくすると、またタイマーに呼ばれた。キッチンから大根が煮える匂いがする。私はキリのいいところまで原稿を書いて、再びキッチンへ向かった。

鍋のフタを開けると、さっきよりも大根が少し透明っぽくなっている。箸を1本、大根の中心にさしてみる。

箸はスッと、大根の中まで通った。うん、いい感じだ。

大根の煮え具合を確認すると、がんもどき、練り物、こんにゃく……冷蔵庫から他の材料を取り出した。それぞれのパッケージを開けて、ゆっくりと鍋に入れる。おっと、こんにゃくだけは三角形に切らなくっちゃ。

材料を入れたら、醤油をふって、フタをする。タイマーをまた30分にセットして、パソコンの前に戻る。

しばらく原稿を書いていると、キッチンからいい匂いがしてきた。さっき、大根だけ煮ていたときとは比べものにならないくらいの「おでんの匂い」である。だけど、まだタイマーは鳴らない。

鳴らないから、原稿を書こうと思うのだが、もうムリだ。私はたまらず、キッチンへ向かう。鍋のフタを開ける。がんもどきがお出汁を吸って、フワフワになっている。

うお~!今、食べたい!そう思ったときのことである。

ピピピッ、ピピピッ。

タイマーが鳴った。煮込んでから30分。そりゃ、今、食べたくなる。けれども、ここで焦ってはいけない。私は鍋のフタを閉じて、ガスコンロの火を止めた。

もう、タイマーはかけない。原稿を書き終わるまで、放っておく。

よく「一晩おいたカレーはおいしい」というけれど、あれはおでんも同じだと私は思う。だから私は、コンロの火を止めた。

今アツアツのおでんが冷めきったころには、大根にもこんにゃくにも味がしみているはずだ。そのおでんに再度、火を入れてあたためる。

できあがったばかりのものよりも、一度冷まして、再度あたためた方が、いいものができる。

あれ?

そういえば原稿も、一晩寝かせた方が、デキがいい感じがするよなぁ。

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