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「死」について、考えてみた

こんにちは、ヒトミです。

去年母方の祖母を亡くしてからまだ一年も経っていませんが…
今でも悶々としていることがあるので、それを書いていきたいと思います。


祖母は重度の認知症

どのくらいかと言いますと、、
孫の名前も顔も覚えていませんでしたし、西暦も日にちも、昼夜もわからない状態でした。
排泄も一人ではうまくできず、介護がないと生きていけない状態でした。


少し前には大腿骨を骨折してしまったので、補助付きでは歩けますが、階段を登ることはできない状態でした。

脳梗塞になって、病院へ

もうけっこう長く生きていたので歳のせいもあるかとは思いますが、

ある日突然、入居していた老人ホームで脳梗塞で倒れてしまいました。


幸いすぐに病院へ搬送してもらい、できる限りの治療を受けられましたが、
入院して寝たきりになっているうちにどんどん弱っていきました。


看取りを考えるきっかけ

「もう口から栄養を摂ることはできないから胃ろうを考えているのですが、どうでしょうか」

もう看取りを考える段階に入ったと、お医者さんから提案があり、
当時、母は大変困惑したみたいです。


というのも、
ベッド上の本人は、決定権があっても認知症でちゃんと判断できないし、

母も代理で決めることができるとしても、
それが本人にとっていいのかどうかがわからないのです。



ただ、ひとつだけはっきりしていたのは、

「私は、死にたくない。
死ぬなら、病院は嫌。家で最期を迎えたい」

これだけでした。


胃ろうをして、チューブで栄養を摂れば、数年くらいは長生きできる。

でも、胃ろうをするには病院で最期を迎えなくてはいけない。(自宅でもできるそうですが、家族の負担が大きく、現実的ではありませんでした…)

それに、母は
「チューブに繋がれながらベッドの上で長生きするのは見ていられないし、もし母が望んでいたとしても、私はいたたまれない」
と言っていました。


一方自宅で過ごすことにすれば、寿命はもう伸びない…。



「どうするべき?」


私の元にメッセージがきました。(当時私はチェコの大学で普段通り勉強していました)


母は大変頭を悩ませていました。
私が義務教育を終えたあたりから長年認知症の祖母の面倒を見てきたので、その苦労は大変なものだっただろうなぁと思います。



「はやく介護から解放されたい」
こういう気持ちがあったかもしれないです。


声にして言えることではない、というかむしろ出せないことではありますが、


ご飯を部屋まで持っていって、終わったものも部屋からキッチンまで運ぶ、
着替えさせる、
トイレに連れて行く、
飛び散った糞尿を掃除する、
服を脱がせてお風呂に入れる、
毎回おんなじ話を聞かされるけど、話し相手になる、…


何年も何年も認知症の人間を介護をしているとこういう気持ちになってしまうと思うし、


だからこそ、世の中で
実の親と無理心中を図るご家庭があったり、
介護をする側の子供が自殺・親を殺害してしまったり、、するのではないでしょうか。


「とりあえず、うちに帰そう」

たしかに、病院で胃ろうしながら長生き、もいいかもしれないけれど、
それのせいで、と言っては難ですが家族の負担が大きくなって別の問題に発展してしまうのはあまりいい案ではないと思いました。


それよりかは、私は、
うちで最期を迎えたい
という方を尊重したいと思いました。


「そうしてみるね」

私の案はあっさり受け入れられちゃったので、なんだか重い気持ちになりましたね。


自宅に帰った。が、間違いだった?!

無事に帰宅することができて、ホッとしていたのも束の間…


「死にたくない!!いやだ!」

祖母は叫び、
毎日まるで鬱になったように暗い暗い、顔をしていたようでした。


「間違いだったのかなぁ」

「私、どうすればいい?」

母は限界に来ていました。
自分の選択が、間違っていたようにしか思えないのです。

私も、良くないことをしてしまったかなと自省しました。


でも、なぜ家に戻ったのにそうなっているのか不思議だったので、

母に何か変わったことはないか聞いてみました。


すると、、、

「病院で先生からもう看取りを考えなくちゃいけないと言われてから、『お母さんもう死ぬんだ』って思って、そういう雰囲気が言動に出ていたのかもしれない」



それを聞いて、ハッとしました。


「おばあちゃんは多分、死ぬのが怖いから、死にたくない!って言ってるんだよ、
死が怖いものじゃなければ、そんなこと言わないよ」



母が普段通りに過ごすことを心がけてから数日で、祖母の様子は落ち着きました。



そして、2週間くらい経った後、


祖母は自宅で安らかに眠りにつきました。



「あなたが言った通りだったわ、本当にありがとう。おばあちゃん綺麗な顔だったよ、若い時みたいな」



よかった〜と、ホッとしました。






祖母はどう生きたかったのか?

本当はどうやって最期を迎えたかったのか。

双方の意見を尊重して看取ることができましたが、未だにわかりません。


どう看取るか、って正解がないので難しいですね。






これからの社会3人に1人は介護をする側になるそうなので、益々問題が深刻化していくだろうなと思います。

将来、看取りについて沢山悩むと思うので、このような経験があって良かったです。



死について、考えてみた。


青木新門さん著の、「納棺夫日記」を読みました。

今時の女子大生でこんな本読んでる人っているんですかね…笑


私の価値観では元々、
死について考えること=どう生きるか考えること
だと考えていたので、
一番死に近い人を題材にした本は興味がありました。



「死」は日本では古くから「穢れ」とされ、忌み嫌われてきた。
政治、性、お金同様、タブーなのだ。


人間は、産まれたときから死ぬことが決まっている。
だから、忌み嫌っていてもいつかは死について考えなければいけない。


亡くなった人を美しくする、納棺師。
その納棺師の側の視点で物語が描かれています。

とても共感できるし、勉強になる読みやすい本でした。


私たちは自分がどう生きたいか、どう死にたいか、もっと考えなければいけないなぁと思いました。





ところで、もう某ウイルスの話はうんざりです。

「ワクチンをうつと死ぬ」
「殺人ウイルス」
「生物兵器」
「ワクチンをうちましょう」
「今日は○人の陽性者が」
「変異が」
「クラスターが」

ものすごい量の情報が飛び交っていますよね。



でも、感染しようがしまいが、接種しようがしまいが、

変な話、食べ物を食べていても人間死ぬんです。

水も毒になりうるのです。

医学を学んでいると、肉も発がん性がある、魚も、果物も…って全部やないかい!って気持ちになります。


基本的に生きてる間食べるものは、すべて人間の寿命を縮めます。



死ぬときは死ぬ。



そう思います。



とは言っても私は最低限の対策はしつつ、気持ちは平常運転でいこうかなと思います。

長距離の移動を自粛する
マスクを室内ではかならずつける
外から帰ったら手を洗う
具合が悪くなったらかならず全てキャンセルして休む
etc.





最後は好きな動画で締めたいと思います↓

↓フルバージョン(英語)


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皆さん良い1日を!

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