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神奈川のこと

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2020年9月の記事一覧

【神奈川のこと20】天理ビルの苦くて甘い思い出(横浜駅西口)

この頃、「横浜駅西口が色々と変わってきている」と聞くことが多い。ただ、ここ一年以上降り立っていないので、自分の目では確かめていない。

それらのニュースに触れる度、反射的に「天理ビルはどうなっているのだろうか?」と考えてしまう。よって、このことを書く。

天理ビルは、昭和47年(1972年)、私が2歳の時に建った。母がよく「神奈川で一番高いビルよ」と興奮気味に言っていた。母の実家は浅間下なので、横

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【神奈川のこと19】苦手なBBQ(鎌倉市津)

世の中で苦手なこと3つ挙げろと言われたら、この3つだ。

①DIY系(Do It Yourself):犬小屋作るとか、家の中に棚を付けてみようとか、本棚作っちゃおうとか、見事に苦手である。大きなホームセンターなんか行くと、専門的な商品がたくさん並んでいたりするが、チンプンカンプンである。できたらいいなという憧れはある。コーナン大船店の店員と専門的なことを通路で立ち話しているなんて、ちょっとかっこい

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【神奈川のこと18】FIRE STATIONでついに迷子(横浜市中区根岸台)

【神奈川のこと18】FIRE STATIONでついに迷子(横浜市中区根岸台)

最近、「思い込みが激しいな」と感じることが多いので、このことを書く。

あれは、昭和49年(1974年)、4歳ごろの話だ。

母と2歳下の弟と横浜駅に出かけた。多分、髙島屋にでも行ったのだろう。

その帰り道での出来事。

横浜駅から帰るときには、いつも市営バスの103系統に乗る。終点の「根岸台」というバス停で降りれば、自宅マンションまで約100mの距離だ。

その日、根岸台のバス停で降りた私は、

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【神奈川のこと17】佐野元春と楽屋で握手(横浜市中区/県民ホール)

今年、令和2年(2020年)は心から敬愛するアーティスト佐野元春が、デビュー40周年なので、このことを書く。

佐野元春は、昭和55年(1980年)にデビュー。私は、平成2年(1990年)から熱烈なファンとなり、以来、ずっとファンである。今から5年前の平成27年(2015年)ぐらいまではファンクラブにも入っていた。

そんな佐野元春の楽屋に入らせてもらい、握手をすることができた経験が一度だけある。

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【神奈川のこと16】母校は県民の「るつぼ」(小田急線/小田急相模原駅)

本日は雨の中、所用で母校、東海大相模高校を訪れたのでこれを書く。

昭和61年(1986年)~平成元年(1989年)の3年間通った。

我が母校は、神奈川県のあらゆるところから生徒がやってきており、まさに、県民の「るつぼ」の様相を呈していた。

やれ、小田原線だ、江ノ島線だ、浜線だ、相鉄線だ、田園都市線だ、はたまた相模線だと各線乱れてのメルティングポット。中には、「おいらはチャリ通だ、忘れるな!」

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【神奈川のこと15】太古の丘にたたずむ蕎麦処(海老名市)

平成22年(2010年)頃から、毎年のように通っている蕎麦屋がある。

母校、東海大相模高校陸上競技部OBOG会の幹事会が開かれる場所。

13期上のOBOG会長、10期上の会計担当の両先輩と共に年に1,2回訪れる。

その名は、「国分寺そば」。

海老名駅から徒歩15分ほどの丘の上にある。

場所、料理、酒、人、皆良い。

行き始めた頃は、慣れぬ海老名という土地に少々まごつき、駅からの道を間違え

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【神奈川のこと14】地元の耳鼻科(鎌倉市西鎌倉)

今日は遅い夏休みを一日だけ取った。

朝一番で、自宅から歩いて5分ほどの「にしかま耳鼻咽喉科」に行った。

2年前から花粉症の「舌下療法」というのをやっている。毎朝、スギの花粉の入った錠剤を舌下に入れて、1分ほどしてから飲み込むという療法だ。

これを3年ぐらい毎日続けると、10年間、症状が出なくなるようだ。

20代半ばの平成8年(1996年)頃から発症し、かれこれ四半世紀に亘って花粉症に苛まれ

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