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大抵の事は30秒で「こたえ」が出る ~それを踊りと呼べるまで⑩~ 

30 Seconds dance【無音・即興・原点回帰】
「コロナと子育てでなまった身体を立て直すべく、今年は毎日踊ります」

そう銘打って去年の正月から始めたインスタアカウントに、一日30秒の踊りを投稿し続けて一年が経った。

Tomohiko Kyogoku 京極朋彦(@tomohiko_kyogoku) • Instagram

一年間で投稿出来た動画は328個。
一日たった30秒。
簡単そうに思えても、投稿できない日が37日あったことになる。

ダンサー・振付家として活動してきて、今年ではや18年。
国内外、様々な場所で、踊る毎日を過ごしてきた私だが、東京から兵庫の田舎町に移住した6年前から、人前で踊る機会は減り、2021年からはコロナと育児が重なって、トレーニングをする暇すらなくなった。

そして最近は一件のメールの返信をするだけで、一日が終わることもある。
(子供が出来るまで全く想像できなかったことの一つが、この「一日すぐ終わる現象」だ)

それだけ田舎での、夫婦二人きりでの育児と、仕事の両立は困難で、一日30秒の踊りを一年間、続けるだけでも相当大変だった。

しかし私は懲りずに、今年もまた、この試みを続けてみようと思っている。
なぜならこの試みには、多くの発見があったからだ。

去年の大晦日。一年を締めくくる奇跡の30秒

まず、この動画を撮ること自体が、創作・出演活動から遠のき、忙しい日々の中で消え入りそうになる私のクリエイティビティを、ギリギリのところで支え続けてくれた。

さらにコメントをくれるダンサー仲間や、全く知らない人から送られてくる「いいね!」が、大げさでなく日々を生きるモチベーションになった。

そしてこのインスタがきっかけで、古くからの友人と繋がり直したり、コラムの執筆依頼が舞い込んだりした。

そして何より、この試みは途中から我が子の成長記録としての機能も果たし始めた。
これも後で見返すと、やってよかったなぁと思える要因の一つである。

<「こたえ」はどこからやってくるのか?>

育児と仕事。そして家族。
全てをうまくやって行くのは本当に大変だ。

ただ忙しいというだけでなく、辛いのは、それぞれの立場からそれぞれを「ノイズ」に感じてしまうことがあることだ。

育児がノイズで仕事が進まない。
仕事がノイズで家族との時間を楽しめない。
家族の問題がノイズとなって、仕事のパフォーマンスを落とす。

どれも大切で、どれも愛すべきモノたちを、憎んでしまう事。
それが育児と仕事の両立で、一番つらい事だ。

特に私の仕事なんて、世間一般に比べたら、よっぽど「自分の好きな事に近い」はずなのに、それすら「ノイズ」に感じてしまう事があることも、自分をどんどん辛くさせていく。

動画はいつも無加工の撮って出し。散らかった部屋もそのまま投稿している。

近くに両親がいたら、保育園に預けたら、もし子供がいなれば。
あらゆる「たられば」が脳裏をよぎる日もあった。
私がダンサーでなければ、夫婦でダンサーでなければ、生活にもっと余裕があれば。そう思う日もあった。

一日たった30秒。
迷いながら、もがきながら、「こたえ」を探し続けた一年。
そしてそれは、踊りが「こたえ」をくれた一年でもあった。

その「こたえ」は、いわゆる世間一般的な「正解」や「回答」、「解決策」としての「こたえ」ではない。
どちらかと言えば「手ごたえ」や「歯ごたえ」といった類の「応え」に近い、身体の応答としての「こたえ」だ。

それは案外、真新しいものではなく、どこかで忘れてしまっていた懐かしい「こたえ」だったりする。
かつての自分が出した「こたえ」を、身体が“やまびこ” のように返してくれることもあった。

それらの「こたえ」は、迷った時に直接的ではないけれど、何かしらのヒントを与えてくれる。
そして、本当に大切なものは何かを思い出させてくれる。

「こたえ」は身体が知っている。
だから踊りは身体に聴け。

これは私のダンサー・振付家としての信条だが、この言葉は、どうやら人生にも当てはまるようだ。

人生の「こたえ」は身体が知っている。
だから迷ったら身体に聴け。

<30秒の踊りがくれたもの>

迷った時、悩んだとき、「こたえ」は身体の奥底からやってくる。
頭で考える癖がついてしまった私達大人は、病気にでもならない限り、身体に耳を澄ますということを忘れがちだ。

子供の頃の感覚を思い出すために、久しぶりにグローブを付けてキャッチボールをするように。
捨てずに取ってあるボロボロの縫いぐるみと、久しぶりに会話するように。

一日たった30秒でも、童心に返って、全ての責任や役割から降りて、踊る。

そんな時間が取れれば、あらゆる「ノイズ」は「福音」に変わる。

とはいえ去年一年、上手くいかない日も沢山あった。
怒涛の日々を何とか乗り越えられたのは、私一人の力ではない。
私の周りの家族や友人、知人達のお陰である。

妻とは何度も喧嘩し、娘には何度も泣かれたが、そんな二人に、結局、何度も何度も救われた。もちろん我が家の、手のかかる猫にも。

オミ(1歳5ヶ月)、ビヤ(2歳9ヶ月)

むしろ、これだけ多くの迷いや悩みがあったからこそ、その一つ一つに「こたえ」を持てたし、毎日わずかでも踊ることで、その「こたえ」を信じることが出来たと思う。

「家族というチーム」

去年はそれを本当に実感した一年だったように思う。

そして私はこの一年で、こうも考えるようになった。

大抵のことは30秒で「こたえ」が出る。
問題は、それを受け取れる「心と体」でいられるかどうかだ。

人生が無数の「ほんのわずかな事」の積み重ねであるとしたら、一日30秒×328日=9,840秒の踊りは、一年の長さに比べたらわずかだが、それでも私の人生の一部である。

そして、この9,840秒の踊りが教えてくれる「こたえ」から、次の行動を如何に導き出せるかは、
1年31,536,000秒から9,840秒の踊りを引いた、
残りの31,526,160秒をどう過ごすかにかかっている。

「こたえ」は既にそこにあるのに、この残りの31,526,160秒が、問題をより複雑にしてしまっていることもある。

既に直感的にわかっているはずの事。
本当に大切なものは何か。

毎日たった30秒の踊りがくれる「こたえ」は、確実に私の人生を少しずつ変えて行っている気がする。

それは寧ろ、人生から余計なモノを取り払って、シンプルな元ある姿に戻してくれているのかもしれない。
そして、踊りとは本来、そうあるべきモノなのかもしれない。

2023年もそんなことを思いながら、誰に頼まれるでもなく、毎日踊ろうと思う。



京極朋彦の記事はこちらから。
https://note.com/beyond_it_all/m/mf4d89e6e7111


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