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ガチの本気で小説を書いた話

10月の下旬、僕はひとつの小説を書いていた。

月末締め切りの新人賞に向けた作品だった。

ところがどっこい。

10月初旬の段階で、物語全体の半分ほどしか進んでいなかった。

これではとてもとても、10月末の完成なんて夢のまた夢。

このままでは間に合わない!

焦った僕は10月最終週の月曜日に有給を取ることにした。

土日月の3日間を使ってラストスパート書き上げようという魂胆だ。

そしてやって来た最終週の週末。

机に向かって書き始めたが、予想していたよりも進まない。

というか、予想していたよりも自分がイスから立ち上がる。

自らの集中力を見誤っていた!

しかし落ち着きはあった。焦りは無かったと言うべきか。

なんせ、まだ明日と明後日があるのだから。

土曜に捗らなくても日曜に完成させて、月曜に推敲すればそれで充分間に合う。

結局土曜はある程度書いたところで、僕は缶ビールを開けることにした。

夜が明けた。

日曜日が来た。

まずは洗濯、買い物を済ませ、

さぁさぁいざ勝負。

机に向かった。

前日よりは進む。

しかし気付けばネットで格闘技の試合を見ていた。

いかんいかんと執筆を再開。

ある程度まで進んだところで缶ビールを開けた。

……なんせまだ明日があるのだ。

1日というのはなんと24時間もある!

夜が明けた。

月曜日が来た。

有給。

開放感を抱くわけもなく、午前中にコンビニで一日分の食事を買って家に戻り、さぁこれでもう一歩も外に出ないぞぉ、書くぞぉと執筆開始。

ガラにもなくショパンを掛けBGMにした。

すると進む進む。

クラシックはBGMに最適だった。

とりわけショパンが素晴らしい。
(僕はクラシック無知だ)

ショパンの音楽が自分のモードに情緒を与え、それが文章に反映する!

反映する!

文章が色を帯びるような感覚!

気のせいか?

気のせいかもしれない。

でも実際に執筆は捗った。それは事実。

書いているのが楽しいと初めて感じる。これもたぶん事実。

有給取って良かった。

今頃みんな仕事してんだ。

崖っぷちであることも忘れ、訳も分からぬ優越感に浸る。

でも大丈夫。カタカタ指は動いている。

小説が出来上がっていく。

そして18時。

小説はなんと本当に書き上がった。

400字詰め原稿用紙で250枚ほどの作品。

これくらいの長さの作品と周りに伝えると
「随分書いたねぇ~」
と知り合いに言われたりするけど、
実は正直それほど長い作品でもない。

長編小説ってものはもっとずっと長い、はずだ。

「そんなによく書けるね」

と言われることもある。

でも僕は遅筆だから一日に書く文章量は少ない。書いている期間も半年ほど掛かっていて、少ない量をちまちま書いているだけだ。

いつもそんな感じである。

だから「気が付いたら250枚になっていた」という感覚で、大変さは感じない。

だがしかし、今回は少し違った。

最後の月曜日。集中してラストスパートをかけたらめちゃくちゃ疲れた。

それまでさぼってた自分のせいだけど。

18時に書き終えた僕は一旦夕食を取り、一休みすると改稿に掛かった。

これが大変なのだ!

書いた小説を一から読み直して矛盾点が無いか、誤字脱字が無いかを確認していく。

本来ならもっと早めに書き終えて、じっくりと何日もかけてやるべき作業である。

それを数時間で為さなければならない。

それまでさぼってた自分のせいだけど。

自宅のコピー機で印刷し、読み返し、直し、印刷し直し、……そんなことをやっていたら深夜の3時になっていた。

翌日は仕事だ。

さすがにやべと思って3時間仮眠を取った。

朝6時。

目覚めた僕は最後の原稿確認をし、身支度を済ませ、9時に郵便局前に並んで開局一番駆け込み発送を終えた。

その足で電車に乗り会社に出勤。

3時間睡眠と執筆の疲れと脱稿による脱力感。

一日ぼーっとした頭で仕事をした。

社会人失格とはこのことである。


今回書いた小説。

実はかつてないほど丁寧に作った。

書き方もこれまでと変えた。

自分の小説のスタイルがひとつ出来上がった感覚があった。

つまり「自信がある」ということだ。


執筆スピードを考えると信じられないかもしれないけど、本当に力を入れて気合も入れて取り組んできた作品で、気に入っていたし、書き終わって何度読み返しても「あれ、この小説面白くね?」と実感した。

もしこれで全く箸にも棒にも掛からなかったら絶望だ。

そう思った。

書き終えた原稿を知り合いの先輩に読んでもらうためメールで送った。

これまでに書いた小説もその先輩に何作か読んでもらっている。

感想は毎回悲惨なものだ。

「面白くない」
「軸が弱い」
「意味が分からない」
「物語として機能してない」
「何も描けてない」
「雰囲気だけで進んでる」
「説得力が無い」
「退屈」
「しんどい」
「人物に何の魅力も無い」
「話にも魅力が無い」
「何を書きたいのか全く分からない」
「厳しいと思う」

こんな感想をもらってきた。

ただ今回の作品はさすがに面白いと思ってもらえるんじゃないか。

そんな淡い自信を持ちつつ、送信ボタンを押した。

2週間後、先輩から読了の連絡が届いた。

メールの文面を開いた。

「読みました」

お。

「面白かった」

おお。おお!

僕は内心でガッツポーズをした。

そして安堵した。

この小説までが全く通用しなかったら絶望していたからだ。自分の小説家としての可能性に対して。

本気で取り組んで、現時点の全力を出した作品は通じた。

先輩のメールの続きにはこうあった。

「確かに欠点もあった。ただそれを差し引いても面白かった。これを賞に出したら何らかの可能性はあるんじゃないかと本当に感じた」

僕はその文面を読み、再度内心でガッツポーズをした。会社のトイレの個室で。


自信作であっても新人賞に引っ掛かる自信は全くない。

新人賞の厳しさをこの何年もの敗退で身をもって知っているからだ。

しかし一つ言えることがある。

僕は今回、自分の書いた小説を生まれて初めて人から「面白い」と言われた。

本当に生まれて初めてだ。

「面白い」と人から言われるのがこんなに嬉しいとは知らなかった。

それだけ今回の作品は本気だったし、自分の全てを出したから。

おかげで書き終わった後は抜け殻のように自分の中が空っぽになっている。

次の作品も構想してはいるけど、果たして書けるのか少し不安だ。

でも、書く以外に選択肢は無いのだろう。

簡単では無いけれど。

というわけで、僕の直近での小説執筆奮闘記でした。

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