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#27 わたしの中にわたしじゃない誰かを見ている

こんにちわ。id_butterです。

さて、人生で最高に不幸な時に恋に落ちた話 の27話目です。
じゃじゃーん。2人目のインナーチャイルドの登場である…ひぃ。
自分の中のマイナスな何かを全部吐き出して終わりたいけど、めげそうだ。
何回か前にあと1回で終わりっていうのが、完全に詐欺だった。

前に #5 私が夫の敵になってから背中に爆弾投げつけられるまで という話を書いた。今日はこれについて深く潜っていく。
正直気が進まないけど、どっかから小さなわたしが呼んでいる。


わたしが夫の敵だったと書いた。
でも、よくよく考えたら、わたしは母にとっても父にとっても敵だった。
おそらく、それが家を出た理由(#25 心のずーっと奥の方)だった。
そして、家族の中で兄だけがわたしの敵に回ることがなかったことに今更気づいた。わたしの大したことない頭のよさにコンプレックスを抱いていたのは同じだったはずなのに。

その違いはなんなのか、がやっとわかってきた気がしている。

コンプレックスを抱えている人は、わたしに誰かを投影しているのだ。

父のコンプレックスは、高卒であることだった。
定年後も会社に残って仕事を続けていた事実を鑑みるに、父は仕事ができる人だったのだと思う。父の勤める企業は大きかったし、昭和の時代出世を目指している優秀な人間に、高卒というレッテルが重くのしかかり続けたであろうことは想像に難くない。

今でも残っている苦い記憶がある。
兄が高校を中退したときのことだ。
外から帰ってきて階段を登ろうとする兄を、父が引き止める。
リビングで長いお説教が始まる。
わたしは部屋の端で、母はキッチンで、息をひそめながら遠くにそれを聞く。本を読みながら、聞こえないふりをしなくてはならない、終わるまで。
一定の期間、それは毎日続いた。家が重かった。
男性である兄にとって、それはどんなに苦しかったことだろう。だけど、兄がわたしにその苦しさをぶつけることはなかった。

かたやわたしは家族の中で唯一、大学を卒業している。
でも父がしたことは同じだった。

「大学に行っているからって偉そうにして、行かせなければよかった。」

わたしの態度が気に食わなかった父は、何度もそう言って詰った。
大学に行っていることとわたしが偉そうであることと何が関係あるんだ、と今なら反論して殴られているかもしれない。
わたしは、その場で言い返すことが下手くそなのでできなかったのだけど、たぶん父のためにはその方がよかった。
子どものわたしが大学に進むことが父のコンプレックスを晴らすことになればよかったのに、そうはならなかった。

言っていることは、たぶん正しい。
わたしは「子どものくせに偉そう」だったのだろうと思う。
だけどその言葉の裏には、暗い何かを孕んでいた。それは、言葉以上のきつさや重さとなって現れて、子どもにだってわかるように届くのだ。
それを、たいていの大人は忘れている。
それに今思えば、正しいからって、人を傷つけていいわけがない。
正しい言葉の裏に何か後ろ暗い武器を隠して、大人のふりをして喋る人たちが今も嫌いだ。
正義を振りかざす人はだいたいの場合正しくない。

わたしと兄で状況は違うけど、結局のところ父になじられ続けたのは同じだった。兄はそれをわかっていたから、わたしに怒りをぶつけることはなかったのかもしれない。
家族の中で、味方でもないけれど敵でもない人、それがわたしにとっての兄だ。だけど、兄はほとんど家にいなかった。それどころか家にいる時間はどんどん減っていったし、いてもずっと部屋にこもっていた。
そして、たぶん外で家族ではない人とたくさん笑っていた。

それに、兄はわたしと違って、母と姉に愛されていた。
男性だったこともあり関係性が違ったし、姉と兄は年齢が近く仲がよかった。10歳下のわたしにとって兄と姉は2人目の父と母のような存在で、家族の中でわたしだけが子どもだった。

姉は優等生で、父にとても信頼されていたから、父の台風のような怒りをぶつけられることはなかった。
姉は表立って何かを主張するような人ではなく、マイペースに生きる人だった。だけど、同性だからかわたしへ向ける目が厳しく、時々辛辣に批判する時があった。お金がないときに産まれた姉が与えてもらえなかったものを、わたしが簡単に全て手にしていたから、妬まれていたのかもしれない。
でも、その信頼も離婚して実家に帰ってきたあたりから失われることになる。
わたしたちはみんな、結局エントリーしていないダービーに強制参加させられているようなものだった。失点と加点が父と母によって勝手に繰り返されるダービー。

ただ、父の一番だいじな子どもは姉で、母の一番だいじな子どもは兄であることはわたしが産まれる前からもう定まったことだった。
わたしは、家族のおまけだった。
できあがっている家族に、思いもかけずあらわれた存在。

そのおまけは、小さい存在にも関わらず、安定していたはずの家族の感情を不意にかき回して、表に出させてしまったのかもしれないと想像する。
勉強のできるわたしがいなければ、高校を中退しても兄はそこまで責められなかったかもしれない。わたしがおもちゃを買ってもらわなければ、姉は嫉妬を知らないままで穏やかにマイペースを貫けたかもしれない。
わたしは、いろいろなものをメッキに変えてしまったのだ。


母はというと、わたしの中に母をバカにする父や自分ができなかった進学を果たした自分の姉や母自身を見ていた。

「〇〇ちゃんは頭がいいから、わたしをばかだと思ってるの?」

子どもだったわたしは困惑した。
わたしは誰かをばかだと思ったことがなかった。当然、自分が頭がいいと思ったこともない。(家族の中で相対的に、ということはあったのかもしれない。)
なぜかといえば、塾にはわたしより頭がいい子がいっぱいいて、わたしはむしろ劣等生だったし、それは私立の中高に通っていた頃も大学に入ってからも会社に勤めはじめてもずっと同じだったからだ。
むしろ、「中途半端に頭がいいことなんて何も役に立たない」とコンプレックスに近い感情を抱いていた。

実際のところ、頭が中途半端に良くて、理系出身で、顔もスタイルも並の自信も自己肯定感もない女なんて攻撃するにはうってつけだっただろう。
それに、何もないわたしにあった唯一の武器が、この頭だったことは事実だ。就職の際に、書類審査で撥ねられる確率は低かったと思う。

ただ、受かった後に会社でうまくやって行くには別の頭のよさが必要だ。
就職した会社で人事の人に「本当にこの会社でいいの?本当はこの仕事たいくつじゃない?」と何度も聞かれたり、面接で今日の日経平均株価を聞かれたのに答えたら目をむいて驚かれた後不採用通知が届いたり、ということで気づいた。

うまくやって行くには、エステやジムに通って女子力を磨いたり、流行を取り入れたりしながら、適度に仕事をこなしているくらいがいいのだった。
しゃかりきに仕事を覚えて業務をこなしたりせず、納得がいかないことに目を瞑って、上司ににっこり微笑んでいる方が場に馴染む。

母はそういう女の子たちを憎んでばかにしていたけど、違う。
そういう暗黙のルールを理解していないわたしたちの方がばかなのだ。
社会は、誰かが決めた暗黙のルールに基づいて運営されているゲームなのだから、ルールを理解して戦うのはあたりまえなのだった。
だけど、周囲の女の子たちが息を吸うように自然にやってのけているたくさんの小さなことがわたしにはできなかった。
空気中に潜んでいる見えない無数のルールを理解することも難しかったし、わかってもできなかった。

「〇〇ちゃんは頭がいいから、わたしをばかだと思ってるの?」
という母のことばは一例だけど、例えばこの言葉は人をばかにするような人間になるな、という教えだ。
もちろん、それは正しい。
だけど、母の教えだけで生き抜いていくことはできない。
実際、母はいつも、自分の正義を貫いて小さな社会に戦争をしかけては傷ついていた。
母の教えに反することや母の意に沿わないことを覚えてやっていかないと、社会で生きて自分を守り抜くことはできないのだ。
母は一般的ないい子を求める。それは、社会で「勝て」と同義だ。
さらに、母の教えを守れという制約をつける。
矛盾があった。
母の教えをわたしが守っても、母も母の教えもわたしを守ってくれない。

それでも極限まで守ろうとした。
父と母がわたしの頭の中ででいつまでもあのフレーズを連呼するから。
ひとをばかにすることのできないわたしは、自分を貶め続けた。
当然だ、周囲の誰もばかでも悪くもないのだ、問題が起こるのは全てわたしのせい、わたしだけが常にひたすら悪なのだった。
わたしはわたしの形をどんどんゆがませ続けた、もはやわたしの原型を覚えていないくらいに。
意味はわからないが、生きていくために。


夫も同じだった。
夫もけんかの度に、「ねぇ、なんでそんなに俺をバカにするの?」と言っていた。結婚前は、頭のいい女性が好きといっていたように記憶していたけど、きっと今は言わないだろう。
わたしが夫を愛していたのは、必死だったわたしの憂鬱を思いもよらない形で煙みたいに消してくれるところだったのに、その価値は彼にはわからなかったんだろうか。
「頭のいい〇〇さんにはわからないだろうけど」と前置きする上司にも何かコンプレックスがあったのだろうか。
わたしは、ちょっと頭がいいことより一流企業で執行役員をやっていることの方がすごいと思うのだけれど。
わたしには、わからないことだらけだった。
わたし以外の人はみんな価値があるのに、と思っていたから。


子どもだったころも今も、わたしはあまり変われていないのかもしれない。
わたしのどの言葉が彼らをそんな風に思わせてしまうのかわからない。
同じ世界を見ている。
だけど、わたしにはわたしフィルターを通した世界しか見えない、彼らの目で見える世界が見えない。
だから、わたしはわたしに見える世界から受け取った情報をことばにして説明しているだけだ。
「これがおかしいのではないか」
「こうしたらうまくいくのではないか」
仕事だから、お金をもらっているから、その人が大変そうだから、うまくいったら誰かが幸せになれるから、言ってみる。
結果として、大体は相手もわたしも傷つく結果になる。
それくらい、わたしに見える世界は異質らしい。
わたしにとって、こちらの世界とあちらの世界に上下や大小はないけれど、受け取った側の解釈としてはあるらしいのだからしょうがない。

思ったことをそのまま口に出すと誰かを傷つける、というのがわたしの特性のようだとわかって、わたしは思ったことを言わなくなった。
自分の中の井戸にアイディアも鬱屈も全部放り込んで行った。
言うのではなく、自分でやればいいのではないかと思うこともあったが、わたしにはその才能がない。ただわかるだけだ。
除霊はできない、ただ見えるだけの役立たずだ。
だったら、そこにあなたを呪う霊がいるなんて言わない方がいいのだ。
もしその人が呪われて死ぬんだとしても、わたしには何もできないのだから。

誰かがわたしを敵にすることの原理を今わたしは理解できたように思う。

わたしを、勝手に鏡にしているのだ。
ひとがわたしの中に「なれなかった自分」を映す。
なれなかった自分は、そのひとの隣にいる敵だ。
敵はそのひとの欲しかったものを全部持っている。
敵から与えられたダメージを、鏡にやり返す。
鏡はなにもいわないから、いくらでもできる。
攻撃で一瞬気分がまぎれるけれど、鏡を攻撃しても実際にそのひとの隣にいる本体からの攻撃は続く。
結果、鏡への攻撃も止めることはない。
鏡を見るたびに剣をつき刺し、爆弾を投げつけ、気分を紛らわす。
それは鏡が壊れるまで続く。
気分を紛らわすためなのに、鏡から思いも寄らない攻撃が飛んでくることもある。鏡なので、強く攻撃すれば、返ってくる攻撃も自然強くなる。

だれも、わたし自身を見ていない。
鏡であるわたしに映ったなれなかった自分しか見ていない。
だからわたしを心配しないのだろう。
人ではなく鏡だから。

これは、わたしの住んでいた二つの家の中で起きていた話だ。
普通のご家庭はきっと違うんだろう。
子どもが思ったことをいっただけで戦争が起きるはずがない。
わたしはどうしたらよかったのだろう。と今でも思ってしまうことがある。
逃げ出す以外に何か方法があったのだろうか。

今なら、彼らの顔の前でパンと手を叩き、「違うよ、わたしその人じゃないよ。鏡じゃなくてわたしを見て。」と言えるかもしれない。
でも子どもであったわたしにこんな複雑なこと理解できたはずがない。
払拭できないコンプレックスなんて大人しか持ちようがないのだ。
わけがわからないまま彼らのサンドバッグにされた小さなわたしに同情する。

わたしは、わたしの好きな人は兄に似ていると思っていた。
兄はわたしの救いだった。兄だけは、わたしの批判をしているところを見たことがなかったから。
だけど、少し違う。

わたしの好きな人は、初めて聞く珍しい話を聞くようにわたしの話を聞いてくれる。
わたしの中にだれも見ていない。
わたしのことを怖がってもいない。
誰かと似ているとも思っていないようだ。
彼はわたしの話を聞いて、わたし自身と話している。
わたしは、井戸にもう自分のカケラを放り込まなくていいのだ。

たったそれだけのことと思う人もいるかもしれない。
だけど、わたしには初めての、そして最高のギフトだ。
本当は彼にありがとうってお礼を伝えて、今すぐ抱きついてしまいたい。
でも、これは彼には言えない、普通の人には重すぎるとも思う。
かわいそうだと思って欲しくないし、感受性が強い人はこういう話に一緒に傷ついてしまう。
伝えるという難しさに恐れおののく自分が全身で後ろから引っ張っている。

でもそれは彼を信じていないということなのかもしれない。
わたしは彼の強さも優しさも信じているから、いつかこの話をするかもしれない。
でも正直、今は迷っている。
これは、わたしが彼を鏡にしてしまっているということかもしれない。



(ひとりごと)
夫婦でずっと一緒にいたのに、あらためて見てみたら、こんなにすれ違ってたんだということに驚く。
夫のことは全部わかっていると思っていた。
家族から離れて問題を解決しようとして、結果家族に帰結するんだなと思うと、、なんだかなぁ。
そして今更なんですが、アカウントのid_butterは井戸端なんでした。





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