北京静男

北京に住んでいる日本人です。 旦那は北京人、7歳の息子がいます。 カエル飼っています🐸🐸

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最近の記事

⑬2014年10月 中日友好病院で出産

↑前回記事で出産までのことを書きました。 今回は実際に出産した際の事を書きます。 北京中日友好病院国際部10月19日の午前0時を回る頃に破水し、タクシーで病院へ行きそのまま入院。 午年ということで、ベッドもいっぱいで廊下にまで移動式のベットに横になる妊婦さんがたくさんいた。 次の日の朝、多少の陣痛があり分娩室の待機室の廊下へ連れて行かれるものの、3台の分娩台に対し9人の妊婦さんが待っている状態だった。 何でこんなことになっているのかと思い、後で聞いた話だが国際部に通って

    • ⑫2014年10月北京で出産するまで

      2014年4月に北京入りし、すぐに妊娠発覚、そして6月に結婚式を挙げつつ、その後タイのサムイ島へ新婚旅行へ。 とにかく今振り返るとドタバタだったが、おそらく一番ドタバタだったのは出産だと思う。 今回はそのことについて書きたいと思います。 病院にかかるまで妊娠発覚した2014年は午年で、中国では午年は人気らしく狙ってその年に出産する人も多く、そのため病院はすでにいっぱいの状態で、どこで診てもらうかを北京人旦那が友人のネットワークを使い調べてくれた。 ①外資系の病院は人気

      • ⑪2014年北京で結婚。

        2014年4月再び北京へ急に結婚するというわけではなく、一度同棲して見てから結婚するかどうか考えるということで、2008年に帰国して以来また長期で北京に住むことになった。 そして北京に住み始めてすぐに妊娠が発覚し、結局同棲期間もほぼなく入籍することになった。 今考えると30歳も過ぎていたのに、本当に無計画極まりないな…と思うが、北京人旦那を始め北京人義両親、私の父はとても喜んでいた。 母は結婚に続き妊娠発覚ということで、スピードについていけないと最初は言っていた。 お腹が

        • ⑩2014年、結婚までの道のり

          前回⑨で北京人旦那と東京で出会うところまで書きました。 今回は結婚するまでの道のりを書きたいと思います。 2013年年末、北京へ北京人旦那は北京に帰ったあと、何かに取り憑かれたかのように、毎日朝昼晩と微信で連絡してきた。 「この人本当に仕事してるのかな…」と思うくらいだった。 私は元々の予定で、2013年の年末〜正月明けにかけて北京に住む友人に会いに行くことになっていた。 うっかり口を滑らせて北京に行くことを北京人旦那に言ってしまい、北京でも会うことになった。 北京にて

        ⑬2014年10月 中日友好病院で出産

          ⑨2013年北京人旦那との出会い

          前回北京から日本へ本帰国し、都内で働き始めたところまで書きました。 今回は北京人旦那との出会いの話を書きたいと思います。 渋谷以前北京で一番最初に働いていた美容室の日本人店長から久々に微信で、「今度北京人の美容師やってる知り合いのが日本に旅行に行くらしいから、行ったら一緒にご飯でも行ってみて!」と連絡が着た。 当時そんなに気にも止めておらず、わかりました~とだけ返信し2ヶ月ほど経った頃、店長から北京人旦那の微信の連絡先を共有され連絡が着た。 北京の日系の美容室で3年働

          ⑨2013年北京人旦那との出会い

          ⑧2008年、日本へ帰国

          前回⑦で勤務していた美容室を辞めるところまで書きました。 以前②で「女に溺れる社長」との面接を書きましたが美容室を辞めることになり、その後たまたまカフェでバッタリこの社長に会った。 事情を話したところ、ちょうど日本人スタイリストの募集をしようと思っていたということで、二の舞にならぬよう契約条件等しっかり確認した上で女に溺れる社長の美容室で働くことになった。 新しい環境女に溺れる社長の美容室で働き始めたところ、なんと社長の愛人と思われる女が美容室の受付をしており、「やっぱり

          ⑧2008年、日本へ帰国

          ⑦2007年、中国人男性と初めて恋愛及び警察に連行

          ナンパ 休みの日に后海近くを一人でぶらぶら歩いていて、たまたま入った古着屋さんでナンパされた。 「日本人ですか?」と中国語で聞かれ、履いている靴がおしゃれだとか、髪型がいいとかとにかく最初から褒めまくる。 彼は北京人で同じ83年生まれだった。 最終的に友達になりたいから携帯番号を教えてほしいと言われ交換した。 ↑当時使っていたNOKIAの携帯電話 電話とショートメールしかできないので、日本人の人とメールするときはローマ字で打っていた。 この時代にスマホが使えていたら

          ⑦2007年、中国人男性と初めて恋愛及び警察に連行

          ⑥2006年、北京初一人暮らし。

          前回北京で美容師を始めて1年ほど経過した話を書きました。 今回はその後北京生活で体験したことなどを書きたいと思います。 东三环陥没2006年早々に勤務していた美容室のすぐ近くで道路陥没が起きた。 当時はもう生活にも慣れて自転車を購入しそれで通勤していたが、勤務先付近が封鎖されてしまい帰宅するまでに5時間かかった。 勤務していたビルの屋上から陥没した道路を見たが、こんなにスカスカだったらまたいつ陥没してもおかしくないな・・・と思った。 そして3日もして何事もなかったかのように

          ⑥2006年、北京初一人暮らし。

          ⑤2005年1月、北京で美容師

          2005年1月、いよいよ北京の美容室で働く事になりました。 初めての北京での生活と仕事で感じたことを書きたいと思います。 北京へ成田空港から北京へ出発する日、両親も空港に見送りに来てくれたが、とても心配そうにしていてなぜか両親がとても小さく見えた。 飛行機で約3時間半で北京首都空港へ到着し、直接お店に来るように言われていたのでタクシーで向かった。 空港からタクシーに乗るのは初めてで、並んで順番を待っているのに割り込んでくる人がいてなかなか自分の番にならない。 やっと自分の

          ⑤2005年1月、北京で美容師

          ④北京から上海へ、そして日本へ帰国

          前回は北京で働く予定の美容室の見学も終わり北京の街をブラブラするところまで書きました。 今回は、北京から上海へそして日本へ帰国してからのことを書きます。 ユースホステルへ美容室の見学も終わり、ブラブラしながらユースホステルへ帰った。 何日も同じユースホステルに泊まるのは面白くないなと思い、フロントで別のユースホステルを予約してもらうことにした。 例の日本語のできるおじさんとも仲良くなり、「あなた若いから三里屯の近くのユースホステルに泊まってみたら?」と言われるがまま

          ④北京から上海へ、そして日本へ帰国

          ③北京での出来事

          前回までの話2004年、北京では2つの美容室と面接する予定で、既に1つの美容室は社長は女に溺れているということがわかり早々に退散しました。 本命の美容室を見学へ女に溺れる社長との面接が終わったその足で、もう1つ日本で既に面接をしてきた美容室が最後に本命として残っていたため向かった。 本命美容室は朝阳路付近だったため、そのまま歩いて向かうことにした。 国贸から出発して东三环を北に向かって歩いていたが、とにかく埃っぽくDVDを台車で推して売る人、痰を吐く人、道端にゴミ箱がなく

          ③北京での出来事

          ②寝台列車で上海から北京へ

          ↑前回上海から寝台列車で北京に向かう所まで書きましたが、今回は車内でのことと北京に到着してからのことです。 寝台列車にて夜21時過ぎに上海駅を出発し、予定では14時間後に北京に到着する予定の寝台列車に乗った。 软卧(一等寝台)に乗れたものの、一緒の部屋になった人たちがなかなか寝ず、私は下の段で上の段のおばちゃんが私のベッドに座って茶をすすり、向かいの2人のおじさんたちは小さい小瓶(白酒)を持っていて、2人で座って喧嘩しているかのような大きい声で話していた。 既に酔っ払ってい

          ②寝台列車で上海から北京へ

          ①2004年、中国に初めて降り立った日のこと。

          今年で中国に住み始めてトータルで10年目になり、今までの振り返りの意味をこめてnoteに書いていこうと思います。 今回は中国に初めて降り立つまでのことと、上海での出来事です。 東京で美容師18歳で上京し美容学校に通いながら働き、東京で美容師として何年か働いていた。 当時勤務していた美容室では色々なことを学ばせてもらったが、なんとなく「このままここに居てもいいのかな…」という気持ちで働いていた。 そんな時、何気なく見ていた求人広告に、「中国で美容師として働きませんか?

          ①2004年、中国に初めて降り立った日のこと。