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④北京から上海へ、そして日本へ帰国

 

前回は北京で働く予定の美容室の見学も終わり北京の街をブラブラするところまで書きました。
今回は、北京から上海へそして日本へ帰国してからのことを書きます。


ユースホステルへ

美容室の見学も終わり、ブラブラしながらユースホステルへ帰った。

何日も同じユースホステルに泊まるのは面白くないなと思い、フロントで別のユースホステルを予約してもらうことにした。
例の日本語のできるおじさんとも仲良くなり、「あなた若いから三里屯の近くのユースホステルに泊まってみたら?」と言われるがままに予約してもらい次の日移動した。

当時まだあった工体体育馆(現在再建築中)の中にあるユースホステルに泊まった。
部屋は綺麗だったが、シャワーのお湯がチョロチョロしか出ずビニール袋にお湯を溜めてから頭を流した。
水のありがたさを再認識した。

どこに行ってもパンフレットや地図をもらうのが好きな私だが、今回もフロントでいろいろパンフレットをもらっていた。

フロントの横のソファでパンフレットを見ていたら、なんとあの見たこともないようなイスラエルのイケメンがチェックインしてきた。
一瞬運命か!?と思ったが、あの日本語ができるおじさんに「あの日本人の女の子はどこに行った?」と聞いて、ここに泊まっていると聞いて追いかけてきたと言われ、若い私は相当浮かれていた。

特にもう用事もなかったので一緒に食事に行くことになったが、私の中学生レベルの英語でなんとかやり取りして内容はほぼ覚えておらず、雅秀の上の階にあるフードコートのような場所で、脂っこい麺を食べたことと顔がかっこよかったことだけ覚えている。

ユースホステルに戻りメールアドレスを聞かれ、イケメンからはメールアドレスが書かれた紙きれをもらった。
それが最後だったが、イケメンと食事できてよかった。


上海へ

行きは寝台列車で来たので、飛行機で上海へ移動した。
上海で泊まったユースホステルの「船长酒店」では、岡山から一人で旅行に来ている青年と四国から上海にフェリーでたまに遊びに来るという60代のおじさんとロビーで仲良くなった。
海外に出ると普段出会わないような面白い人に出会うなあと思い、まだ中国に足を踏み入れてから何日も経っていなかったが、またすぐに戻ってこようと思っていた。


日本へ

上海から日本へ戻る日になったので空港へ向かった。
タクシーのおじさんに「チュージーチャン(去机场)」と言ってみたが、通じず結局紙に書いて見せたら通じた。
日本に着くと、本当に私さっきまで中国にいたんだっけ…という不思議な感覚があった。
空港に母が迎えに来ていてくれていて、顔を見た瞬間ものすごくホッとした。
「よく帰ってきたね!あんたならできると思ってたよ!」よ母が言った。

実家に帰ると父も帰宅していていて、「いやぁ、本当無事に帰ってきてよかった。」と言われた。
父が働いていた会社にも何人か中国の人が働いていて、その中国の人から父が「よく一人娘を一人で中国に行かせましたね、あぶないよ!!だいじょぶか?」と言われたと言っていた。
私も今息子が居るので両親の気持ちが少しわかるようになったが、とにかく心配しかなかったと思う。


東京へ

何日かして一人暮らししている東京のアパートへ戻った。
北京で見学してきた美容室の経営者2人と連絡を取り、何月から北京で働くのか契約内容など確認する面接をした。
2005年1月から北京に行くことになったので、2004年12月ちょうどアパートの契約が切れるのと同時に実家に戻った。



次回はいよいよ北京で仕事を開始するところから書きたいと思います。
読んでくださりありがとうございました。










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