見出し画像

⑬2014年10月 中日友好病院で出産


↑前回記事で出産までのことを書きました。

今回は実際に出産した際の事を書きます。


北京中日友好病院国際部

10月19日の午前0時を回る頃に破水し、タクシーで病院へ行きそのまま入院。
午年ということで、ベッドもいっぱいで廊下にまで移動式のベットに横になる妊婦さんがたくさんいた。

次の日の朝、多少の陣痛があり分娩室の待機室の廊下へ連れて行かれるものの、3台の分娩台に対し9人の妊婦さんが待っている状態だった。
何でこんなことになっているのかと思い、後で聞いた話だが国際部に通っていた患者さんも出産場所は全部同じだそう。
先に言って欲しかった。


とにかく看護師さんたちは大忙しで、話しかけることもできず、結局その日は夕方になってしまい陣痛を止める点滴を打たれ終了した。

そしてまた次の日、朝から陣痛促進剤を打たれるが分娩台が開かず1日終了してしまった。

そしてまた次の日、私のイライラもすでに爆発しそうになっていたが、それよりお腹の赤ちゃんのことがとにかく心配だった。
また陣痛促進剤を打ちしばらくすると、前日前々日とは違う痛みがありヒーヒーのたうち回っていた。

そこへ担当の先生がやってきて、「今のうちにご飯食べなさい、何食べる?」と聞いてきたので、「红烧茄子,宫保鸡丁‥」と頼んだ。
先生はハッハッハ!とどこかへ消えてしまったが、ご飯だけは注文してくれていたようでしっかり届いた。

そのあと夜の20時くらいには生まれるでしょう…と看護師さんから言われた。

ただ素人の私でも赤ちゃんの頭の位置が明らかに変わって、逆子状態になっていたのがわかった。
すでに破水してから3日経っていたため、巡回に来た別の先生に、当時の私の精一杯の中国語で、おかしいから早く切って赤ちゃんを出してくれ!ということを伝えた。

そしてその先生が診た瞬間に大声で、
「あなたたち!何やってんの!早く手術の手配して!!!旦那さんどこ!あなた日本人なのに…なんで1人なの…よく頑張ったわね、もう大丈夫だから!」と先生が大慌て。

やはり逆子状態になっていて、臍の緒も首にかなり巻き付いていて危険な状態だった。
緊急帝王切開で看護師さんの言った通り20時過ぎに生まれた。

でてきて息子の尻を見せられ「男孩,有点黑」と言われたのはしっかり覚えていた。
皮膚が黒かったらしい。

そして麻酔の先生も帝王切開の先生方の技術力の高さと速さに驚いた。


次回は退院するまでのことを書きたいと思います。

読んで下さりありがとうございました。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?