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①2004年、中国に初めて降り立った日のこと。



今年で中国に住み始めてトータルで10年目になり、今までの振り返りの意味をこめてnoteに書いていこうと思います。

今回は中国に初めて降り立つまでのことと、上海での出来事です。


東京で美容師

18歳で上京し美容学校に通いながら働き、東京で美容師として何年か働いていた。
当時勤務していた美容室では色々なことを学ばせてもらったが、なんとなく「このままここに居てもいいのかな…」という気持ちで働いていた。

そんな時、何気なく見ていた求人広告に、「中国で美容師として働きませんか?」という文字を見つけた。
「そういえば母が、これからは中国語できたら強いよ!これからは中国だよ!」と言っていたのを思い出した。
当時21歳で若いうちに海外で仕事するのも、いい経験になるかもしれないと思い、その日すぐにその美容室に電話して次の日に面接に伺った。

他にも探せば出てくるもので、上海で1か所、北京で2か所募集していて、「これは行って自分の目で見るのが一番早いな!」と思い、次の日に働いていた美容室に辞職願を提出した。
有給が残っていたため実質その日で退職という形にしてもらった。


いざ上海へ

仕事を辞めた2日後、上海へ行くために空港にいた。

今考えると本当に若さと勢いしかなかったが、「你好」と「再见」しかわからず取り急ぎダイソーで購入した【トラベル中国語会話】だけを持って上海へ。
まぁどうにかなるだろうという気持ちと、それよりもとにかく早く行って自分の目で見てみたかった。


しかし海外へ行ったことはあるが、初の1人海外旅行で右も左もわからず困っていた。
その時たまたま飛行機で隣に座った中国人女性が日本語のできる方で、事情を話したところ空港に着いた後タクシーの乗り方等教えてくれて本当に助かった。


上海到着

中国人女性の助けで無事に予約しておいたユースホステルに無事に到着したが、中国語が全くわからず受付の人がデポジットの話をしている事すら聞き取れず、英語で何度か話してもらいやっと理解できたが受付の人達に失笑されていた。

とりあえず日本の両親が心配しているだろうと思い、空港で買ってきた国際テレホンカードで電話をかけたくユースホステルの公衆電話で何度か試みるも全く電話がかけられず…
何もわからない私は、「この公衆電話自体に問題があるな!!」と勝手に思い、外に出て道端にある公衆電話を片っ端から試してみた。

泊まっていたのが外滩付近のユースホステルで、东方明珠を横目に見つつ焦りながら歩き、「あ…もしかしてこのテレホンカード公衆電話に挿すんじゃなくてなにかダイヤルしなきゃいけないのでは?!」とやっと気づいた。
やっと日本にいる両親に電話をかけられ、無事を伝えたがきっとあの時両親はかなり心配していたと思う…。
でも「頑張っておいで!静ならできる!」と言われ気持ちを奮い立たせたのを覚えている。
そしてその日はユースホステルに戻り、薄茶色の生ぬるいお湯でシャワーを浴びて眠った。


上海の日系美容室面接

事前に日本で面接の約束をしていた日系の美容室に伺うため、早起きして地下鉄に乗った。
面接先の日系美容室に到着し、受付の人が日本語を話せる方だったので事情を説明したら奥の方から偉そうな年配の日本人男性スタイリストが出てきた。
「はっ?誰?あんた?日本人?」第一声がこの言葉で、内心「いや、あんたが誰や」と思った。

 私:「私〇〇と申します。本日〇〇様に面接をしていただく予定で伺いました。」

相手:「あ~本当に来たんだ!それなんだけど、俺さぁ撮影で忙しくて時間ないから帰ってくれる?」

 私:「面接してくださる方は日本からいらっしゃると聞いていましたが…」

相手:「あ~来てないんだよね、とりあえず帰ってくれる?」








こんなやり取りをして、来る場所を間違えたし時間の無駄だなと思い帰ることにした。

ドアを出たところで、1人のおばちゃんが手招きしていた。
そのおばちゃんは中国人で日本語が少し話せて、「かわいそうにね…お昼ごはんたべよう!」と言われた。
私は最初は断ったものの、おばちゃんの熱烈な誘いを断りきれずお昼ごはんをいただくことに。
たくさん食べてね~と言われたものの、おばちゃんの話が止まらず実際はあまりいただいていない。
おばちゃんは美容室スタッフの食事担当の方だそうで、美容室の裏情報まで教えてくれた。
帰る頃にはすっかり仲良くなっていたが、面接担当者も来ていないし、働いている日本人スタイリストの人間性に疑問を感じ、その後担当者に事情を説明し断りのメールを送った。


北京行きの切符

上海で結局面接ができず、予定ではあと何日か上海に滞在しようかなと思っていたが、もうさっさと次へ行こうという気持ちになっていた。
そのままとりあえず上海駅へ向かった。
航空券は成田ー上海で帰りも上海から帰る予定で航空券を取っていたが、上海から北京へどうやって行くのかは全く考えていなかった。
本当今考えると自分の行動に寒気までしてくる。

とりあえず上海駅へ向かったが、人の多さと視線が気になった。(当時中国人女性は黒髪ロングストレートヘアが一般的で、私は奇抜な頭をしていたからかも…)
「ダイソーのトラベル中国語会話」を持ってきたが実は実際あまり使っておらず、紙とペンのほうがよく使った。
幸い漢字なので見れば大体の意味はわかる。
でも一切話せないためとりあえず紙に日付と「上海ー北京」とだけ書いて切符売り場っぽいところに並んだ。
だが、現在のようにマナーが良いわけではなく割り込み当たり前だった。

ようやく私の番になり、紙を見せたら物凄い早口で怒られてるのかと思ったが何を言っているか分からず、窓口の人もイライラし始め申し訳なくなってきた。
ただ「ワンシャン!ワンシャン!スリープ〇〇〇〇‥」と力強く言っていたのは覚えていて、あとでダイソーのトラベル中国語を見て「晚上好」はこんばんはだから、夜のことだとわかった。
最終的に窓口の方が紙に汽車の時間を書いてくれて、OK?OK?と聞かれ無事に切符が買えた。
値段は覚えていない…。

切符の日にちと時間を確認したら、なんと希望の日にちではなく当日夜の21時過ぎの汽車だった。
慌てて荷物をユースホステルに取りに帰り、ユースホステルのパソコンで北京で泊まるユースホステルだけ急いで予約した。

バタバタしながらまた上海駅へ向かい、なんとか寝台列車に乗り込むことはできたが、「软卧」(一等寝台)の下の段で私以外は2人のおじさんと1人のおばさんだった。
切符を買うときのスリープはこれかと思い、寝ていけるなんて非常にありがたいと思ったが、私の上の段の人(おばちゃん)がなぜか私のベッドに座りずっと茶をすすっていた。
寝る時間になったら何事もなかったかのように、おばちゃんは自分のベッドへ戻った。



次回は寝台列車で北京に到着してからのことを書きたいと思います。
読んでくださりありがとうございました。












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