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⑩2014年、結婚までの道のり


前回⑨で北京人旦那と東京で出会うところまで書きました。
今回は結婚するまでの道のりを書きたいと思います。


2013年年末、北京へ

北京人旦那は北京に帰ったあと、何かに取り憑かれたかのように、毎日朝昼晩と微信で連絡してきた。
「この人本当に仕事してるのかな…」と思うくらいだった。

私は元々の予定で、2013年の年末〜正月明けにかけて北京に住む友人に会いに行くことになっていた。
うっかり口を滑らせて北京に行くことを北京人旦那に言ってしまい、北京でも会うことになった。


北京にて

予定通り北京に到着し、約5年ぶりの北京の街の変化に驚いた。
まず、道端にゴミ箱があること、人がちゃんと並ぶようになっていたこと、見たこともないビルがたくさん建って風景も変わっていた。

友人に会い、そして北京人旦那に会い、会うなり「ママに会ってほしい、そして結婚してほしい」と言われた。
なにかの冗談かと思ったが、「もう今から行くって言ってあるから」と言われ、本当事項中で非常識な人間だなと思った。


苹果园

北京地下鉄の1号線の終着駅「苹果园」にママが住んでいるというので向かった。
パパは当時仕事で河北省に長期単身赴任して不在だった。

当時の苹果园はまだなんとなく懐かしさの残る北京といった感じだった。

家についてノックすると部屋の中から「ア〜!?」と大音量の声が聞こえてママが出てきた。

そしてドアを開けて迎え入れてくれると中華料理のいい香りがした。

私のことを見るなり「背が高いのね〜!日本人てテレビでしか見たことないけど、もっと背が低い人が来るのかと思ってたわよ。」と言われた。

私はママの髪型を見て大変失礼ながら、焼きそばみたいだな…と思ってしまった。
本当に失礼である。
お腹が減っていたのかもしれない…でも正直な第一印象だった。

ママの美味しい手料理と手作りワインを頂き、私はホテルに戻った。


日本へ

三泊四日の北京の旅行はあっという間に過ぎ去り日本へ帰る日、ターミナルと朝の飛行機で帰るということだけ北京人旦那に伝えてあったが、早朝空港まで旦那が見送りに来てくれていた。(結婚して7年たった今、朝はどんなに大声で起こしても起きない旦那)

自分で見送りに来たのにも関わらず、私が出国ゲートに入るのを見て大粒の涙を流していた。この時に「あ、悪い人ではないかも」と思った。


日本に着いてからも相変わらず結婚しよう!春節開けに日本にまた行く!と毎日連絡をしてくる北京人旦那だった。


占い

少し話遡るのですが、前回渋谷で初めて北京人旦那と出会う1週間前、8ヶ月ほど付き合っている彼氏がいたが、本当にこの人私のこと考えているんだろうか?と思うことが多々あり別れようか迷っている所だった。

ちょうど実家の茨城に帰る用事があり、
普段占いなど全く興味はないが、なんとなく今後が気になったので、千葉の成田山にある占いで占ってもらうことにした。

占い師の方の小部屋に入ると、私の個人情報や、なにがあったのかなど一切聞かず、蕎麦の束のようなものを捏ねくり回して束の中を覗いていた。

そして「今付き合ってる人は、あなたのこと一切考えていない!早く別れるのみ!すぐに大きな出会いがあってすぐに結婚するよ!」と言われた。

この占いのことを思い出して、もしかして…と思うようになった。


2014年2月

また北京人旦那が日本へやってきた。
今回は北京人旦那が北京の潘家园で買った龍の銅像のようなものを持って、私の実家に挨拶しに行くと言ってきた。

まさか急にこんなことになるとも思わず、慌てて母に連絡。
母もかなりびっくりしていたが、とりあえず会うことになった。

私は当時、東京に住んでいたので電車に乗り2人で茨城の実家に向かった。

日曜日だったので父が最寄り駅まで迎えに来てくれた。
ガチガチに緊張する北京人旦那が、なぜか父の車の助手席に乗った。
父も普段口数が多いわけではなかったが、色々と話かけていた。

実家についてから、父が「娘のどこが一番気にいっているのか?」と北京人旦那に質問に対し「性格がさっぱりしていて男みたいだからです!」と答えた。

この回答に対して父は笑っていた。

母は急に娘が中国にお嫁に行くかもしれないということで、心の準備が出来ないな…と言っていた。

私は急に結婚というわけではなく、一度北京で一緒に何ヶ月か住んでから結婚するか決めたいと思ったので、話し合い4月から北京に行くことになった。


次回は北京で再び生活するところから書きたいと思います。
読んでくださりありだとうございました。







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