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打ち上げ花火を見られなかった夏に。

映画『リリィ・シュシュのすべて』『PicNic』しか、まだ岩井俊二の作品は見たことがないのに生意気にも「岩井作品は私にはハマらない」と思ってしまっていたことをここに謝罪したい。
今回45分ほどの短い映像作品の『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』(1993)を鑑賞した。


恥ずかしながら、99年生まれのなんちゃってサブカル大学生を気取っている私は、2017年のアニメーション化のときに、原作の存在を知った。
声優には広瀬すずと菅田将暉、主題歌はDAOKOと米津玄師という2010年代のブームを詰め込んだ面子だ。
そういったイメージが先行したまま、原作映画を鑑賞したため、作品内でのノスタルジーな要素に心を掴まれた。


99年生まれにとっての90'sカルチャー

私は1999‐2000年生まれなので、いわゆる世紀末に生まれた。
大学生でアルバイトをするようになると、一緒に働く2000年以降生まれの子たちが「おぉ!若いね!」と周りの大人たち言われているのをよく目にした。
一方で、1999年生まれは西暦で生年月日を言っても、千の位と百の位が同じなのもあり、比較的おじさんやおばさんにも衝撃が少ないらしい。
それに加え、私達99年生まれにとって、90年代のカルチャーは生まれる前の話ではありつつも、親や年上の兄弟を通して触れ合うことが多い。
だから私達にとって90年代カルチャーは実感はないものの、馴染みのあるカルチャーというなかなか不思議な感覚がある。

そういった99年生まれ特有の感覚を持ってこの作品を見ると何とも言えない懐かしさを感じたのだ。
登場する小学生の服装は、自分の記憶にある、幼い頃一緒に遊んでくれた近所の小学生のお兄ちゃん、夏休みに会える親戚の年上のいとこたちの当時の服装と重なる。
映像のフィルム感にしても、1993年の映像作品ということで、私達が幼稚園生のころ見たテレビや、おばあちゃんの家で見た少し古いビデオの質感を思い出させるのだ。
私自身の実際の小学校時代を思い返すと、高学年の頃には子ども用携帯電話が普及していたし、テレビゲームよりもプレーステーションポータブルや任天堂DSといった個人で遊ぶゲームが増えた。
そういった、実際に自分が体験したわけではないけれど、”自分にとって特別な思い出の一部として記憶されている空気感”というのが
私にとっての90年代カルチャーであり、それがふんだんにこの作品には詰め込まれているような気がした。


小学校高学年くらいの のりみち、ゆうすけの視点で基本的にこの物語は語られていくが、彼らはまだまだ「男の子」という体つきと振る舞いであるのに対し、第二次性徴の時期が早い女の子は、同じ学年の男の子と比べてどこか大人びた感じがあり、作品内でのその対比が微笑ましい。特に、ヒロインのなずなは家庭の複雑な事情を抱えているからこそ、その戸惑いや怒りがより彼女を大人びているように見せている。

わたしは90年代感の強い映像から「実際に経験したわけじゃないけど、なんだか懐かしい」というぼんやりしたノスタルジーに包まれながら観ていた。
だからこそ、なずなの口に出さない静かな感情は、
本来ならもう理解することのできる年齢だけど、自分にはまだ理解しがたいものであるというような のりみちやゆうすけの目線で、感じることができた。

そういったなずなの他の子どもたちがまだ経験したことのないような葛藤に悩む描写が続いた後の、
プールでのシーンは美しすぎて、反射する水面となずなを見て勝手に涙がこぼれてしまった。
劇中歌としてかかるREMEDIOSのForever Friendsのメロディや音作りもまた90年代のポップスらしさ全開で、それがまた涙腺を刺激してくる…
(セーラームーンと観月ありさというチョイスもまた自分の世代よりはちょっと上で、そこもなぜか泣けてしまった笑)

『リリィ・シュシュのすべて』のグライドでも感じたが、
岩井俊二作品での幻想的な音楽とヒリヒリする現実の組み合わせというのにはどうも私は弱いらしい。

なずなはどんな少女だったのか

現実と空想を切り分けて観るような作品ではないため、
「結局のところどうだったの?」という疑問が残ってしまうというレビューもいくつかあった。
”もし、俺が勝っていたら…”という のりみちの視点から描き出されるなずなは、気まぐれな提案をしたり、突飛な行動をしたりと、
とことん理想のファムファタルのように描かれていて、男の子の幼稚さや夢見がちなところが詰まっていて愛おしい。
また、「次会うのは二学期だね」というなずなのセリフは、のりみちの空想上のものかもしれないが、
死期を悟った猫のようで、哀愁のような 優しさのようなものを私は感じた。

前半のパートでの”現実”として描かれているパートでは、思い付きのままに作戦を企て、必死に現実に抗おうとするなずなの姿が、切なくもあり、惨めに情けなく描かれる。
なずなから発せられる「裏切られるの、家系みたい」というセリフは、諦めとも嘆きとも違う、引き込まれるものがあった。

この2つの視点の対比が、打ち上げ花火を下と横から見るという描写にも関わってくるわけだが、
実際の花火はどこから見ても美しく輝いていたというのが、なずなと重なってグッと心に来る。


おわりに

今年の夏は、私はほとんど外に出ることなく終わってしまった。
だが、2021年の秋にこの作品を観たことで、この少年少女たちのひと夏の思い出が私の2021年の夏のページに上書きされた気がした。

プールのシーンでの水しぶきが、平らにした花火を横から見たときのように見えたり、球体の本来の花火のように見えたりもして、何度も見返したいと思える作品だった。

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