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育児ノイローゼになった私②

↓ 続きです。

原因が分からず、どんどんと増す不安感とどんどんと悪くなる体調。

そんな中、子ども達は夏休みに入ったので実家に帰省することにしました。
実家に帰ったら良くなるかなぁ?
と、淡い期待を持ちながらもしんどい体で子ども達と新幹線で帰省しました。

しかし残念なことに、実家で過ごしてもそこまで体調が良くなることはありませんでした。

地元に帰ったときも吐き気と食欲不振は良くならず、実家近くの内科へ行きました。
そのときは、機能性ディスペプシアかもしれないと薬を出してもらいましたが、案の定効きませんでした。

Google先生より引用



私はこの時期から押し潰されそうな不安感ですぐに涙を流すような状態になっていました。
お恥ずかしい話ですが、この内科でもポロポロと涙を流していました。

そして二週間ほど地元に滞在し、帰る日が近づきました。

私は不安な気持ちを両親に伝えます。

「吐き気があってご飯も食べれないし、このままだと倒れてしまうかもしれないから夏休みが終わるまでいさせてほしい。亅

勇気を出して両親に伝えました。

しかし、母親からの言葉は厳しいものでした。

「旦那さんが向こうで1人で仕事してくれてるのに何言ってる。帰りなさい。」

そう言うと母親は怒ったような、呆れたような表情と態度で部屋を出て行きました。

父親は特に何も言葉も発せず。

私は、唯一の助けを求める場がなくなったと絶望を感じ、溢れる涙を止めることができませんでした。

そして次の日、荷物をまとめて子ども達を連れ、新幹線で自宅に戻ることにしました。昨日の件もあり、予定よりも早い帰途でした。

体調は相変わらずというか昨日の絶望感がさらにプラスされギリギリの状態でした。

最寄り駅に着き、マンションに帰るまでの道で、上の子に悟られないよう、泣きながら帰ったのを覚えています。

どうしよう、これからどうしよう。。
そんなことが頭の中でぐるぐると渦を巻いて私は暗くて怖い気持ちのなかにいたのを記憶しています。


つづく。

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