見出し画像

まじ人生トライアスロン

自転車に乗って家に帰る時、ふと思った。

"人生ってまじトライアスロン…"

その日は、朝早起きしてエントリーシートを書き、バイトに行って7時間働き、時間に追われながら履歴者をコピーするなどした後の自転車、だった。

ちょっと疲れていた。

私のトライアスロンのイメージとしては、自転車!走る!泳ぐ!駆け抜ける!って感じのストイックな競技、だ。

"トライアスロン"という競技に参加しているから、それらの行為が"トライアスロン"になるのであって、私私たちの日常もトライアスロンだ。勝手にトライアスロンに参加させられているな。

と思った。

私だって、朝ギリギリの時間に準備して家を出て自転車を爆速で漕いで駅に向かい、走って待ち合わせへ向かう、なんてことはザラにある。残念ながら泳ぎはしないが。

(これをトライアスロンと同じだと言ったら、どこかのトライアスロン選手に刺されるかもしれない)

さて、私の朝の一場面を切り取った"ミクロなトライアスロン"ではなく、もっと鳥の目で見た"マクロなトライアスロン"を考えてみる。

人は生まれてきてから死ぬまで、勉学や労働に勤しみ、将来に焦りや不安を抱えて生きているのではないか、と思う。

もちろん、自分を貫いて、不安なんてございません!という人もいるかもしれないが、今回はそういう人のことを言っているのではない。

学生時代を走り、社会人として自分の足で漕ぎ進め、時に休憩を挟みつつ、息絶えるまで泳ぐ。

(トライアスロンという競技に休憩なんてないのかもしれないが)

もし、人生がトライアスロンなのだとしたら。

今自分は
どこを走っているのだろうか。
どこを漕いでいるのだろうか。
どこを泳いでいるのだろうか。

正直わからない。
だから私はガムシャラに前に進もうと思う。
諦めたくなっても、自分をオリンピック級のトライアスロン選手だと思い込もうと思う。

(オリンピックにトライアスロンがあるのかは知らないが)

ただ、これは私の一意見に過ぎない。

つらいから休憩する
やっぱり別の道に行く
少し戻って景色をみる

なんてことも人生のトライアスロンにはあってもいいのかな、と思う。

私は今日も明日も明後日もトライアスロンに励む。

毎日同じことの繰り返しだとしても、それはただの繰り返しではない。次の日のトライアスロンのために進んでいるのだ、と思う。

……

あ〜〜自分がちょっと忙しい時期になったからか変に哲学めいたnoteを書いてしまった!

後から見たら恥ずかしいんだろうな〜!

まあ、今の私の考え、ってことでこうやってnoteに記録しておきます。

では!ばやばやでした!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?