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【どうする家康】戦国バーサーカー母、爆誕!於大が語る「米」の語源もガチだった?第6回「続・瀬名奪還作戦」深掘り

NHK大河ドラマ『どうする家康』第6回の深掘りです。
前回の感想はこちら↓

(※以下、ネタバレ注意)

米の語源、ガチだった?戦大好きバーサーカー於大、爆誕wwww

はい、今回サムネ写真で使っているのは、昨日僕のnote紹介しました新中野の『とんかつ丸福』さんの湯気立つお米ですね。

って別に、今回のレビューは丸々1本でメシの話をしようというわけではありませんw

「そなたたちは何ゆえ米を米と呼ぶか知っておるか?心を込め、命を込め、勝利への願いを込めたるものだからじゃ!」

第6回、冒頭では早速そんなことを言う於大の方が印象深かった回ではありますけれど。これ、最初は「本当かぁ~?」って思っちゃったの、僕だけでしょうか?だって、かの有名な金八先生の「人という字は支え合ってできている」なんていう言葉だって嘘っぱちですからね。あれは一人の人間を横から見た象形文字が正しいと言われていますので。

だから、今回の「米=込め」だって嘘なんじゃねぇかと思って調べたら……わりとガチっぽくてびっくりしましたねw

米の語源は、「こめる(籠める)」の連用形が名詞化したとする説が有力となっている。
古く、米は「ヨネ」の使用例が多く、「コメ」の語は使用例が少ない。
「コメ」の語が多く用いられたのは、改まった儀式の場であったことから、米には神聖なものや生命力のようなものが宿っており、「籠められたもの」の意味で「コメ」になったといった解釈もある。

米/こめ|語源由来辞典

ただ、あくまで説の一つ。じゃあ他の説はと言うと、「小さな実」という意味の「こみ(小実)」「こめ(小目)」由来とする説、また朝鮮語の「コメン(コム)」(酒を醸造する)など外国語との共通点が指摘されているというお話もありました(※)。元々、米ってのは海を渡ってきた作物ですし。

でも、今回深掘りするのはそういうことじゃ~ネェんだよ!(前フリ長いw)

とにかく「勝て勝て勝て!ほれ!勝て勝て勝て!」と、序盤の台所のシーンから、於大の方の号令で、女たちの士気がガンガン上がりまくる件。

しかもそれだけじゃねぇよ。元康(家康)たちが支度を整えてさあ挙兵だという折には、

「この戦、攻め手の大将は、我が夫、久松長家にお任せくだされ!」なんて言って旦那を担ぎ出すのでした。それで旦那の方がタジタジってどうなのよw旦那、「えっ、あっ、いや……」じゃねぇよw

まさに於大の方こそ戦場に出ていかんとするような勢い。これをSNSでは「戦国バーサーカー於大の方」なんて表現されてる方もいて、パワーワードすぎて笑いましたね。強すぎる。

(※)箇所、修正済み:
(「米」の語源に関しまして、本記事内では当初「外国語由来の説もある」と記載していましたが、こちらはソースとした記事に関して、僕自身の微妙な読み違いもあったと感じ、「外国語との共通点が指摘されているというお話もありました。」と表現を改めています)

第3回の涙は何だったのかレベル。とにかく元康に攻め急がせる肉食系ママ

考えてみればこの於大のママのグイグイくる性格、第6回に始まったことじゃないんですよね。第5回のアバン(オープニング前)でも家族を伴って岡崎城に転居してくるや、

「まずは、鵜殿長照の守る上之郷城からじゃな。いつ攻めるおつもりか?早うなさった方が信長様もお喜びになりますぞ」

なんて言ってたのでした。急かすな急かすなwwまだこっちには瀬名と子供達をどうしようかという憂いもあるのに……ということを元康自身が言うよりも早く、「よけいな憂い事は忘れなされ。妻も子も、またすぐ持てます」……んなぁっ、エスパーかよっ!もうグイグイくる、グイグイくる!

そもそも、岡崎城に転居してきたのだってさぁ……確かに第3回のときには「母もそなたのそばで支えましょう」なんてことも言ってましたけど、まさかガチでこんな至近距離までくるとは思わなかったよ。

これ、実は元康が呼んだんじゃなくて、於大の方が勝手に家族連れて押しかけて来たんじゃないかなぁ……そう思われてもしかたのないくらいのグイグイ……いや、もう、言っちゃっていいよね⁉「厚かましぃ!」そう、厚かましさを感じてしまいました。

僕、第3回のときには、白湯を飲む於大の方の気持ちをこう分析してたんですよ。「様々な感情を押し流すように飲んだ一杯の白湯」と。

えーと……ひょっとして読み誤ったかもな。「あー、もうこのバカ息子が。母の言うことが正しいのにそれも聞けんのかコラ。埒があかねえ。チクショー、喉乾いてきたからちょっと白湯でも飲ませてもらうわい、ズズズズズイ」だったのかもしれませんな……。

流石にそこまで考えるのは穿った見方すぎるかもしれませんけどw

ただ、たしかに第3回、録画してる方は見直してもらいたいんですけど。於大の方、元康と再会した瞬間は笑みを浮かべながら、つつぅ、と涙を流されてるんですよね。ああ、感動の再会だよと胸を打たれたんですけど……まさか、あれも演技ぃ⁉

(※「そりゃあ、役者が演じてるから演技に決まってるだろうが」っていうツッコミはナシよ)

これも古沢ドラマならではという感じですよね。最初は、包容力ありながら、身内のためなら心を鬼にすることもできる、人間味のある女性だと感じていました。でも実際は、戦闘大好き、手柄大好き……生まれた子が卯年でも「早く生まれたこと」にして寅年だ、虎だぞガオーなんて吠えちゃうくらいのパワフルママ。それがこのドラマにおける於大の方の実態なのかもしれません……。

ひょっとしたらよ、元康の父・松平広忠と離縁したのだって、兄の水野信元が引き離したんじゃなくて、於大の方が自ら広忠を見限ったんだったりして……「あー、この旦那ダメだわ、負け馬だったわ」みたいな感覚。もうそこまで振り切ってくれててもいいな、いっそのことw

義父・久松長家の兵は噛ませ犬に。考えてみたら元康も結構エグイ作戦に出ていた

と、今回は「於大の方がひでぇw」って話だけをしたいんじゃありません。元康の作戦も、考えてみたら酷かった……上ノ郷城、断崖絶壁に建てられた堅牢な城ですから、正面から攻略するのは困難でした。

だからこそ忍びに行かせる、という側面もあったんですよね。元々、忍びは鵜殿長照の子らを盗み出すための部隊ではあったんですけど。「じゃあいつ忍び込むんだ、白昼堂々は攻められねぇぞ。敵の警戒が緩んだ夜だな……」と。

「ならば夜はどう攻める?敵の鎧を奪って、化けるのはどうだ?じゃあそのためには敵をおびき出さなきゃいけねえ。死体の見回りでもさせるか。じゃあ死体がいるな……忍びが化けててもいいけど、数が必要だ。かなりの数が。本物の死体もいるよな……」

と、そこで……ナルホド、久松長家の兵が、死体に化けた忍びのカモフラージュのために殺されたのか、と……!

(一応、その部分は雑感でも少し触れていました↓)

いや、こんな恐ろしい作戦を、元康自身が考えつくとは思いません。やはり細かい作戦は、本多正信が立てたんだと思います。「おぬしが頭数を40は揃えろと言うから……」と半蔵も漏らしていましたね。

それにしても司令塔への連絡がいる。この計画を成功させるために、「先発隊にはあまり攻めさせないでください。そこそこまで行ったら撤退してください」みたいなお願いは必要だと思うのです。理由については「相手を油断させるため」とか、いろいろボカした言い方があるでしょう。

そこで、先発隊には少し犠牲になってもらわにゃあならん。誰に任せたらいいか……と、元康としては心苦しい思いもあったはずです。そんなところでの「この戦、攻め手の大将は、我が夫、久松長家にお任せくだされ!」ですからねww

義父上に先発を任せられるというのは、幸か不幸か。まぁ、苦戦を強いられるのは目に見えていたので「えっと、そこそこでいいですよ……油断させるための作戦ですから。無理っぽかったら引いちゃっていいんで……」なんて、逆に説明しやすかったのかもしれないですけど。

実際の映像の中でも、得意げの鵜殿長照を見上げ、恨めしそうに睨みつけた長家は、「引け~い!」なんて言ってすごすごと撤退を決めていきました。「なにこれ、ダッセェw」ってお茶の間の皆さんの目には映ったことと思いますけど、結局はこれが作戦通りだったんですよね。

まぁ、でもその結果、なんやかやあって(端折るなw)上之郷城を攻め落とすことに成功。そして史実によれば、於大の方の願いも叶って、ちゃあんと長家は上ノ郷城の城主になれたそうですから結果オーライではあるんですけど。

従軍していた久松長家は、攻略した上ノ郷城の城主となり、三河国宝飯郡西郡(現在の愛知県宝飯郡)を領することになったのです。

大河ドラマ「どうする家康」に登場する久松長家とは?乱世を生き抜くバランス感覚に優れた武将。|団塊世代の我楽多(がらくた)帳

あの於大の方の旦那の押し売り、単なるギャグじゃなくて、史実につなげるための材料だったんですねぇ……これも古沢良太さん、脚本がうまい。去年の三谷幸喜さんの『鎌倉殿の13人』にも引けを取らぬ上手い描き方ですよ。

(オマケ)球型のおにぎりも時代考証通り?三角形のおにぎりはいつ生まれたのか

ちなみにもう一つ、時代考証の話をするとすれば、おにぎりが三角形じゃなくて球型だったの、気になりませんでした?僕は気になった。当時のおにぎりは三角形じゃなくて球型だったとしても、三角形のおにぎりは一体いつからできたのか。

一説によると、江戸時代、第8代将軍徳川吉宗の時代だそうですね。それも神奈川県川崎市が発祥とのこと。

ちなみに、諸説あるものの、川崎宿は三角の形をしたおにぎり発祥の地と言われています。第8代将軍徳川吉宗が川崎宿を訪れたとき、人々が徳川家の家紋である「葵紋」に倣って三角のおにぎりを並べ、おもてなししたことがきっかけなのだとか。

“三角おにぎり”の始まりは、徳川将軍への「おもてなし」だった!?|TOKYO MX +(プラス)

これもよく時代考証されてるな、という点で紹介しておきますね。

あんまり「史実無視だ、史実無視だ」と言われてるもんですから、ちゃあんと史実に沿ってる点は伝えておかないとな、という今回の「深掘り」記事でございました。

米に始まり、米で終わる……よくできたレビューだな。(自画自賛乙)

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