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義時と政子の「13人」認識のズレに鳥肌。2周目はまったく別の物語に。最終回「報いの時」見どころ振り返り!【鎌倉殿の13人】

NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』最終回の感想です。
前回の感想はこちら↓

『鎌倉殿の13人』、最終回からもう1週間以上経ちつつも、いまだに僕の周りでは「鎌倉殿ロス」を嘆く声が多い感じですが、これをご覧になってる皆様もいかがでしょうか……

義経の正室役を務めた三浦透子さんのフォローから始まったこの中途半端な『鎌倉殿』レビューも、いよいよ最終回。これを書くと僕の中でも本当の意味で『鎌倉殿』が終わっちゃうんじゃないかという気がして、「何書こう、何書こう」と考えながらなかなか書けなかったんですけど。

(※最初のレビューはこちらでした↓)

しかしこれを書かねば年が越せない。来年の大河『どうする家康』のスタートも歯切れ良くいかないだろうということで、書かせていただきます。

……相変わらず前振りがただの言い訳っぽいな!

(※以下、ネタバレ注意)

アバンからヤリやがった!「こんな大河の最終回は嫌だ」の最高峰、次回大河リンク

まず今回、アバン(冒頭シーン)から度肝を抜かれたのが、2023年の大河『どうする家康』の松本潤の登場。マジでヤリやがったな!

いや、衝撃的でしたし、実際面白かったんですけど。これをやるのって実際めちゃめちゃ勇気いることですし、ともすれば視聴者がドン引きしかねない「こんな大河は嫌だ」の最高峰的なヤバい演出なんですよね。

皆がリアルに感じていた物語が、実は家康が読んでいた本に書かれていたという、フィクションにフィクションを重ねたメタメタな展開。例えるなら映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』だよ。マジで炎上しかねない。

けれどこれが「面白い!」と受け入れられてしまう奇跡。まずアバンで持ってきてくれたってことも大きいですけど、そもそも家康が『吾妻鏡』の愛読者だったって話が史実としてあるんですよね。

さらに大きいのが、この坂東武者たちが「承久の乱」によって切り開いてきた未来があるからこそ、幕末まで続く「武士の世」がある、と。

ひいてはこの家康も頼朝に習って関東に幕府を開いたことで、やがて首都が東京に置かれるという……現代まで地続きなものを感じさせるという点で、「これはフィクションじゃない、現実だ」と思わせる凄みもありました。

ちなみに余談ながら、実は三谷作品の「大河の次回作につながる」という演出、『真田丸』にもあったということは念のため記載しておきましょう。ただ僕もリアルタイムで観ていたはずなんですけど、ぜんぜん覚えていない……。

言ってしまえば『真田丸』では微妙なシーンだったところ、今回は次回作の主演まで出せてうまくリベンジできたという感じもしますね。それにつけてもいい演出でした。

20分で決着!超高速「承久の乱」で、平六がキャラ崩壊wwwww

そしていよいよ始まった「承久の乱」でしたけど、ものの20分で決着が。僕個人としては予想通りだったんですけど、木曽川の合戦をナレーションで終えて、いきなり最終防衛ラインの宇治川の合戦が始まったのにはさすがに笑ったよ。

ただ、ついに決戦という直前でまた一悶着やってくれたのが『鎌倉殿』の面白いところ。川を渉る作戦会議中に「流れることを見越して川上から渡る」なんてアホな作戦を述べる平六(義村)に対し、朝時が「わけわかんねぇんだよジジイ」と呟いて「誰が言ったぁーーー!」と平六がブチ切れました。いつも冷静沈着だった平六、どうした?最後の最後でキャラ崩壊wwww

まぁでも、見た目はずっと変わらなかった平六が、知らんうちに耄碌(もうろく)していたことにも気づかせる良い演出でしたね。振り返れば第27回で頼家の宿老を決める際「爺さんは辞めておきましょう」なんて老人を軽んじる発言をした平六。ついに自分も歳を取り、あの言葉が己に返ってきてしまうという、ある意味これも「報いの時」ではありました。

文覚、生きとったんかワレェ!後鳥羽法皇の頭をかじる「放送事故」

乱が終わり、いよいよ島流しに遭う後鳥羽上皇……もとい、一瞬で頭を丸めて法皇になっていましたが。

そこでまさか、佐渡に流されていたはずの文覚が登場。「生きとったんかワレェ!」と感じた方も多いでしょうけど、猿之助さんのクランクアップの話も出ていなかったのでむしろ「最後の最後でやってくれるんだろうなぁ」と、僕としては期待通りでした。いや、期待以上だよ。

まさかのあそこで法皇の頭をかじるwwwwいや、意味わからんてwwww見間違いかと思ったら、「頭をかじりおったな!!」と法皇もしっかりセリフで言うという二段構え。完全に笑かしにきてます。

ちなみに史実では、文覚は佐渡に渡ってから一度都に戻り、次は対馬に流される途中で亡くなっていたとのこと。「隠岐に流される」というのは『平家物語』の中で書かれていたフィクションとのことです。

まさかの『平家物語』の中の逸話も混ぜ込みながら、ドラマとしては最高のオチとなりましたね。後鳥羽法皇、最後は文覚と共に仲良く暮らしたのかなぁ……誰がスピンオフ書いてくれ。

「アサ……の毒」のえが殺されなかったのは小四郎の最後の善意か?

そして、やはり多くの視聴者が期待していたであろう「のえによる義時への服毒」展開。しかも、最初に政子や実衣がいる前で「薬」として飲ませた上で、一度は回復するという。「あれ?毒じゃなくて薬だったの?」と思わせておいてからの……医者の「アサ……の毒」という診断。これも二段構えがうますぎる。

それで小四郎から追求され、「バレちゃった」と白状するのえ。その言い方がチャーミングすぎて、場にそぐわないのでは?演技が変なんじゃない?みたいな意見も目にしましたが、例えば「グフフフ、気づいてしまったのね……!」なんて重く言うと怖くなりすぎる。個人的には、今回のように「てへぺろ⭐︎」みたいに軽く言ってくれたおかげで、まだのえにも感情移入できる余地が生まれた感じがしました。とにかくこんな難しい役回りを、よくこなしたよなと思うんですよね、菊地凛子さん。

これまで散々苦しんできた主人公を、最後こんな風な苦しい目に遭わせるなんて、ドラマとしてはあまりにも酷すぎる役柄。しかしのえにはのえなりの地獄がありました。執権の妻だなんて玉の輿に乗って、さんざん猫かぶって気に入られようと努力してきたんです。

それでも小四郎は、亡くなった八重さんの、そして自ら身を引いていった比奈さんのことが忘れられない。のえがそれを「敵方の女子でしょ!」なんて言うのも酷い話ですが、それも事実ですし、そうまで言わなければ小四郎の気持ちはこちらになびかないという焦りがあったと思うんですね。

時政の妻・りくみたいな野心も感じさせられたのえですけれど、りくはまだ時政から寵愛を受けていた。だからこそ北条に嫁いだことを誇りに思うことができた。のえにはそれがなかったことからの、必然的な展開だったと思うのです。

ただ、すべてを打ち明けられて、のえを罰することはせず、「妻に毒をもられたなど知られては執権の恥。出ていけ」と追い出すだけにとどめたのは、小四郎の最後の善意だと感じさせらました。思い返せば第20回、義経なんて、裏切られたとわかって正室をその場で刺殺してましたからね。

ちなみにのえは、史実としてもこのあと「伊賀の方の変」というものを起こし、ガチで鎌倉から追放されてますけど。その息子・政村は7代執権を受け継ぐことができました。それでようやく、のえさんの苦悩も多少は報われたと信じたい。

裏切りムーブの平六とも決着。「女子はキノコ好き」思い込みの出所も判明

そして、のえに毒を渡した張本人として名前が上がった平六ですけど。この〝気の置ける〟朋友ともついに決着のとき。

まさか毒を酒でわって「うまいぞ、飲め」なんて展開。これこそ『麒麟がくる』で信長が弟・信勝を殺害するシーンを彷彿とさせるようなヒリヒリ感があったんですけど。

徐々に毒が回って呂律が回らなくなっていく平六にまさかの「これはただの酒だ。毒は入っておらん」「ほんとうだ喋れる」……って完全にギャグにしやがった!!w

ここでまた、「おまえは今、一度死んだ」と言って平六を許す小四郎。いままでだったら、裏切った御家人は皆殺しにしてきたじゃないのと思うんですけど、やっぱり平六だけは最後の最後まで殺せなかった……これも小四郎の善意なのか、それとも小四郎自身も衰弱して判断が鈍った結果なのか、いかようにも解釈できるんですけど。

ただ個人的には、幼馴染の畠山重忠も失ってしまい、いまや平六こそが生き残ってくれた無二の友。ずっと政治に私情を挟まなかった小四郎も、「友として、平六だけは生かしたい」という、唯一の私情なのではと思いたいですね。

そして許された平六。ようやくこの男も小四郎に心を許したようで、例の「襟を正す」仕草も見せなかったのですが。ただ以前の『土曜スタジオパーク』で、平六を演じた山本耕史さん、「自身がそのクセを分かった上でわざとやっていた可能性」も語られていましたので、「じゃああえてここは襟を正すまい」と計算づくでやっていた可能性も捨てられませんし、最後の最後まで読めない感じはあった気がします。

ついでに「女子(おなご)は皆、きのこが好き」という話を「あれは嘘だ。でまかせよ」なんて、ついにずっと謎だった小四郎の思い込みの出所も暴露されるという衝撃。「早く言ってほしかったー…」とショックを受ける小四郎でした。毒よりこっちの方がよほどダメージでかそうなの草。

運慶の邪神像がホラーすぎた件。「闇堕ちチェッカー」も遂に故障か

そして運慶の作った邪神像。あれ、怖すぎません?「ピカソじゃないか」「前衛芸術もできたのか運慶」なんてネタにされてましたけど。史実として、
実際に作られた仏像は消失したそうなので、あんな造形の像が出てきたのはドラマの完全な創作なんですけど。

ただ、「あの時代に本当にあんな作品が作られていた」と思って見てみると、もはやホラーですよ。ピカソだって、元は写実的な絵を描いていた中で、徐々に「キュピズム」という手法を生み出していったのです。何事にも段階というものがある。それなのに、国宝級の立派な仏像を作っていた運慶がいきなりあんなわけのわからない邪神像を生み出したとすれば、「気が狂った」と言わざるを得ません。

これ、言うなれば『ドラゴンボールZ』に出てきたスカウター(戦闘力を測る装置)が、あまりに大きな数値を観測して「パリーン!!」って割れるような表現と同じだと思うんですよね。つまり、義時のあまりのブラックさに触れて、運慶自身もおかしくなってしまったと。本人を似せて作るには、その心の中にまで入っていかねばなりませんから。その結果できたものは、片目も落ち込み、腹もでっぷり出ながら胸はガリガリに痩せています。まるで餓鬼のよう。しかも、頭の後ろには13の穴が空いているという。

そして「おまえはもう、引き返すことはできん」という呪いのような言葉。凄まじかったですね……。思い返せば後白河法皇の生き霊が出てくるなんてホラーなシーンもたくさんあった『鎌倉殿』ですが、いちばんホラーなシーンを挙げろと言われたらやはりこのシーンかもしれない。小四郎はここまで追い込まれてしまったのかということにも気付かされる、地獄のようなシーンでした。

最後は政子が引導を渡す!姉弟の「13人」の認識のズレにも注目

そして衝撃のラスト。まさかの政子が、病の発作で苦しむ義時の目の前で薬を捨て、引導を渡すことになるとは。ちなみにこのラストへつながる前、頼朝が亡くなった後に血を流して死んだ13人の名前を挙げており、その中に頼家の名がありましたけど。ここで初めて政子が、「息子・頼家は、弟の指示によって殺されたのだ」ということを知るという悪魔的展開ですよね。

と言うか、そうか、知らなかったのか……てっきり、もうすでに知っていて、納得しているものだとばかり思っていました。わりと、「政子が知らなかったということに衝撃を受けた」視聴者の方も、僕含め多かったみたいですね。とすると、第47回の演説のときも、第37回の「オンベレブンビンバ」の北条家大合唱のときも、政子は「自分の息子の仇」とは知らずに弟と接していたということになるわけですね……怖えよ!過去回の見方もこれで全部変わってくるな……。

ただ、「息子の仇だとわかったから弟を殺した」わけではないことも要注意ですね。ここでもまた「駄目よ、嘘つきは、自分のついた嘘は覚えてないと」なんて、神がかった台詞を政子は口にしていました。政子も薄々気付いてはいたんですよね。その上で、だけど認めたくない。嘘は嘘のままで、出来れば今のは聞かなかったことにしたいという感情を政子は抱いたような気もします。(余談ながら、義時、この13人の中に一幡の名を挙げなかったのは不幸中の幸いでしたね……息子どころか、孫の仇にまでなってしまいますから)

政子が義時を殺そうという思いに至ったのは、義時がこの期に及んで「私にはまだやらねばらぬことがある。隠岐の上皇様の血を引く帝が、返り咲こうとしている。何とかしなくては」などと言う台詞を口にしたことでした。これこそ、まさしく運慶が言った通りの台詞。「おまえはもう、引き返すことはできん」を表しているような状況です。政子も義時の元へ向かう直前に運慶の邪神像を見ていますから、恐らくこれですべてが繋がったのでしょう。

ああ、今まさに我が弟は、あの像と同じ醜い姿へと変わってしまった。何とかして助けねば。可愛い弟に戻してあげねば。そのためには、この薬を渡すわけにはいかない。このまま死ぬなら死なせてあげたい……完全に妄想ですけど、そういう感情が政子にあふれたのでは、と。「悪意のある殺害」ではなく、「救いの死」ですよね。愛だよ、愛。

ただ、視聴者としてはそう受け取れますけど、政子自身は決して「これは愛だ」なんて傲慢な考えは持ってないでしょうし、持ってほしくないですよね。殺人は殺人以外の何物でもない。血は流れていませんけど、政子にとっては頼家を抜いて、小四郎こそが「13人目はあなたです」という認識になったのではと考えるのは深読みのしすぎでしょうか。これも第27回のリフレインですよ。やばいな。ここまで考えた上での脚本構成だとしたら完全に鳥肌ものです。

以前から三谷さん、何かのインタビューで「大河は主人公が死ぬところで終われたら完璧」みたいなことを語られてた記憶があるんですけど、今回はまさにそれをやってくれたという完璧なラストだったと感じています。

スピンオフはあるのか?『鎌倉殿』2周目を見るだけでも絶対面白いぞ!

でもさ、哀しいのがさ、ここまで完璧だと、もうこのドラマ『新選組!』みたいなスピンオフはもう作られないんじゃないかなという不安が出てきました……何を作っても野暮だと言われかねないですもんね。

もちろん、この義時の死の後にも「伊賀氏の変」などありますけど。ただ、それくらいじゃない?少なくとも泰時が亡くなるまでは、御家人同士の争いは無かったと言います。その後、三浦一族が滅ぼされる宝治合戦なんかは2001年の大河ドラマ『北条時宗』で見ろって感じになってるんだと思います。映像ソフトとしては「総集編」しか見れないですけどね……。

ただ、スピンオフが作られなかったとしても、『鎌倉殿』本編を2周、3周するだけでずいぶん楽しめると思うんですよね。毎回毎回情報量も多かったですし、例えば「平六は思いと言葉が違う際に襟を触る」なんていう情報を予め知った上で見るだけでも、あのシーン、このシーンの印象がガラッと変わってくると思います。言ってみれば、2周目、3周目こそが本当の意味で『鎌倉殿』を楽しめるのでは、と。よくこんな仕掛けを作ったもんだよね、三谷さん。

グランドフィナーレで小栗さんがおっしゃった通り、「また何度も何度もこの作品を繰り返し、愛して」いこうではないですか、武衛のみなさま!

もちろん、来年の『どうする家康』も期待ですけどね……ぜんぶ楽しむのに時間がいくらあっても足らねーよ!誰か「精神と時の部屋」に案内してくれぇーーーー!

(※今回の記事のサムネイル写真は、2022年12月29日、鎌倉市内の『大河ドラマ館』にて筆者が撮影しました)

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