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僕は何に励まされて生きてきたか

なんか今日はそうだな、美しくもなく汚れてもいない自分の内面を書いてみよう。

僕は、他人と比較してどう、という判断基準からするりと抜けたところに居続けて人生をやってきたと思う。

中学生の頃から数年間だっただろうか。

人の言葉を額面通りに受け取れず、褒めてもらっても心の底まで響いてこないような時期が続いた。
それは僕の心が、完全なる殻に覆われ始めていたからに他ならない。
思春期から成人前後に至るまで何年もかけて作ったその殻は、とても綺麗な形をしていたことだろう。その筋の才能は多分あった。

その間、自分は凄い奴だとはもちろん思っていなかったけど、どうせ自分なんて・・と思うこともそんなになかった。
なかったつもりだったけど、フィルターの隙間から漏れ出てたらしかった。

大学2年生のゼミの自己紹介のときだ。

僕としては普通にしたつもりだったのに、教授に「きみね、そんな自分を卑下することない。しっかりしてるじゃないか。謙虚も行きすぎると良くないんだよ。自信を持って!」と言われた。
19歳の僕は、なるほどな、と思った。わずか30秒ほどの自己紹介で見透かされてしまった気がした。

今振り返ってみると、僕は恥をかくことに極度の抵抗があったらしい。
ああ若かったな・・なんて思わなくて、よう!雨漏り直って良かったな!てな感じである。
地球上の誰にも言っていなかったエピソードだけど、あの教授の一言で人生観が少し変わったかもしれない。

ちなみに今の自分には、殻はほぼないと自覚している。殻がなくなり始めるきっかけもあったんだけど、それはまた別の話。

好きな音楽の歌詞にしたって、物心ついたころから周りと合わなかった。
(振り返る文章を書いていたからだろうか、いきなり思い出した。音楽原体験期の僕に衝撃を与えた歌詞はMr.Childrenの『旅人』『ALIVE』やだった)

今まで日本語の曲で、底抜けに明るい歌詞に支えられたことなんて一度もない。
まず大前提として、おれの心のめんどくささには万人に向けた応援ソングのようなものは刺さらない、という前提がある。
朝起きる、布団たたむ、朝食とる、おれの心のめんどくささには万人に向けた応援ソングのようなものは刺さらない、歯を磨く、顔を洗う、といった具合だ。わかってほしい。

僕を励ましてくれるのはいつも「それでも、一人で、もがいて、生きろ」というメッセージを内包している曲ばかりだ。
内包というところがポイントである。これを剥き身のまま渡されると困る。
塩抜きして、皮剥いて、芯を取って、茹でて、すり潰して、焼いて、調味料かけて、一晩寝かせて、翌日煮込んで、もはや元の食材はなんだったか、食べる側としたらわかんないんだけど、「あっ・・・これってもしかして・・・!!!ブクブクブクブクボボボボボボボ」と最終的に泡を吹くくらいでないと響かない。
多少言い過ぎたけど、この趣向は今も変わらない。個と個で対峙できるような内容だったり、心を見透かされたような気にさせてくれる歌詞が大好きだ。

そして僕の座右の銘は「100回負けても、101回立ち上がる」である。いきなり暑苦しい。
一見すると直球だけど、色々な含みを持たせていて、落ち込んだときには本当に支えられている言葉だ。

自分の心の糧を振り返ったら少しスッキリした。
今後の人生も、自分が自分でいることの面倒くささをかみしめながら生きていきたい。

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