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令和の小学生が驚いた昭和生まれ田舎育ち母の小学校事情

こんにちは、
小3と年中の母、Banana310です。

これまでに何度か、昭和生まれ田舎育ちの私が
長女の通う令和の小学校について驚いたことを記事にしました。

令和の保育園育ち親子が感じた、小学校生活1年目のカルチャーショック

昭和生まれ田舎育ちのワーママが驚いた令和の小学校【学校行事】

今回は、反対の視点で

私が通っていた田舎の小学校の話を聞いて
令和の小学校に通う長女が驚いたことを記事にします。


①1学年1クラスだった

私が通っていた田舎の小学校は、
1学年1クラス編成でした。
私の学年は、その中でも児童数が多く、
40人でギリギリ1クラス。
転入生が来ると聞くたび、2クラスになるかと
幼いながらに期待をしていたのですが、
卒業までずーっと1クラスでした。

子どもからの
「ママは○年生の時何組だった?」
という質問への回答が本当に困ります。

②給食がなかった

田舎の小学校、なんと給食室も給食センターもなく。
6年間ずーっとお弁当持参だったんです。

子どもからの
「給食のメニューで何が好きだった?」
は、聞かれて困る質問ナンバーワンですね。

漫画やアニメで見る「給食」に
どれだけ憧れたことでしょう。
給食への憧れは今でも止みません。

大学時代に児童福祉施設へ現場実習に行ったとき、初めて「給食」を食べてその温かさと美味しさに感激したことを覚えています。

長女も次女も保育園からずっと給食なんて羨ましいったら!

③体操着が制服(のようなもの)だった

私が通った田舎の小学校では、
半袖短パンの体操服が標準装備でした。
(今思うと、標準服だったのかしら?)

冬は、そこへ+αで
ジャージの長ズボンやスウェットパンツ
トレーナーやセーター、ジャンパーを重ね着。
冬でも半袖短パンの体操服で過ごすツワモノもいました。

体育の時間に体操着へ着替えるという文化を
知ったのは、中学生になってから。
小学校のときも着替えてたよ、という同級生の言葉に、衝撃を受けたことはいまだに覚えています。

今は、学校のある日に小3の長女が
「今日は何着ていこうかなー♪」と迷っている場面を見ると、不思議で仕方ありません。

学校へ行く日は体操着じゃないん?と。

④土曜日も授業があった

きっと、同世代の方にはお分かりいただけるでしょう。

昔は土曜日も半日授業でした。昼食時間がない
ため、毎週土曜日はお腹を空かせて帰宅していた記憶があります。

長女の小学校は年に数回、土曜参観があるのですが、
毎度毎度
「土曜日まで学校行くの、疲れるー」と。
その代わり、
「ママ、毎週土曜日も学校だったなんて大変だったねー」とも労ってくれます。

⑤出席番号が誕生日順だった

長女に「えー⁉️うそでしょ⁉️」と言われました。

わたしが通っていた小学校では出席番号は誕生日順でした。
なので、未だに小学校の同級生のお誕生月は覚えています。だって6年間クラス替えもなく、毎日のように点呼されていたのですから。

これって、結構マイナーなんですかね?

就職して同僚と昔話をしていた際にも
「えーー⁉️小学校で出席番号が誕生日順ですか⁉️」と
驚かれたのを覚えています。

その他、いま思えば謎な伝統?

・6年生は修学旅行へ行くと、縦割り班の下級生にお土産を買ってくる。(だいたい絵はがきか栞。)

・高学年になるとランドセルを背負うのはダサいからリュックサックやナップサックへ移行する。

・休み時間の終了チャイムがなったら、遠くの山を30秒眺める。

どれも私にとっては「当たり前」ですが、
長女にとっては驚くことばかりだったようです。

生まれ育った時代も環境も違うから、
違って当たり前ですよね。

長女にはこう伝えました。
「違うことは悪いことじゃない。
 ただただ、違いがあるってこと。
 違って面白いね。」

令和の小学校に通う長女と、昭和生まれ母の昔話を楽しみました。

ここまでお読みくださり
ありがとうございました。

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