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いつまでもやらない誰かへ

世の中、いろいろな人がいる。

日々、お店でお客様と接して、仕事終わりや休みの日には出かけ先で誰かしらに会う。
たわいもない話しがほとんどだけど、時に仕事についての相談や人生の意味のような答えのない課題について考えさせられたりする。
でも、それらを整理したり振り返ることもなく、明日を生きる生活を年齢に換算しながら積み上げている。

何かをしてる人には刺激をもらう
何かに挑戦することで次の段階が見える
結局、やりたいことはどんどん山積みになっていく.....そんな僕自身の今の生活。

10歳年下の大学生や社会人2年目くらいまでの人と仕事をしたり、話すことがよくある。
何かを一緒にしているときはあまり感じないけど、一人になった時にふとよぎるモヤっとした感情。

めちゃくちゃ挑戦したり、やりたいと思ったことにすぐ飛びつける20代に対して、自分もやりたい放題やってたくせに「いいなぁ。」ってぼんやり思う。

でも結局「あーもっと失敗したらよかった。」と思う一方で「いや、精一杯生きてたからいいや。これから先だってワクワクだよ。」という結論にいたる。

あと、やっぱり若いやつに憧れられるような存在になれてないんだなと思って、「みてろよ。」という大人気ない感情がわいたりする。

同じ30代をみて、負けじとガツガツしていきたい一方でやっぱり結婚なんかもしておきたいと思う。

責任のある立場で仕事してる同級生はすごいと思うし、実家の事業ついで羽振りがいい人を見ると生まれながらの格差はまだ超えられないなと思うし、ガツガツと利益を追ってる人を見るとわずらわしさと刺激の両方を感じる。

そこから先の年齢の人はぶっちゃけよくわからない。

僕自身、こんな大人に「なりたいか。」「なりたくないか。」で判断しているところはありつつ、人生の中でどういう選択の結果に今があるのかは深く入りこまないとわからない。

「どうしようもないなぁ。」と思える人でも40、50年という歳月を超えているとそこそこ濃いエピソードの一つはもっていたりするものだと思っている。

結局、何が言いたいのかというと「結果は結果である。」ということ。
ありきたりな言葉だけど、今日の行動の先に結果がある。
「幸せになりたい。」と今思うなら、その「幸せ」に繋がる行動をささやかながら続けるほかならない。

本当にやばいのは「何も成し遂げたことがない。」まま年齢を重ねてきてしまったことだと思う。
厳密にいうと「やらない理由を探し続けて、やらないまま歳を取って死ぬ。」ということ。やらない理由を探す練習を長くしてしまった人ほど、明日を変える力を手に入れるのは難しい。
どんなにためになる言葉も、どんなに的確なアドバイスも、何も役に立たない。
あらゆる行動理由に対しても「やらない理由」を探してしまうから。

「何かをやりたい。」と思う時に僕らは希望も同時に感じている。
「何かができるようになった自分。」「何かを得た自分。」「今と違う自分。」
これらは全部「今より良くなった自分。」だ。

人が「何かをやりたい。」と思うことはポジティブなイメージとセットであり、「やりたい。」と思ったことを実行に移すことはその時点で既に良い方向に向かっているのだ。
もちろん、生活とのバランスや視野が狭くなりすぎていないかとか、最低限のリスク計算はしなければいけない。
ただ、それらは全て「いつかやるため。」の計算であって「やらない。」言い訳を探すためではないということをわきまえなければならない。

「思ったことをやる。」生活はいつかきっと必ず日々の小さな行動や出会いや経験や計画が思いがけない形で繋がる瞬間としてあなたの人生にあらわれる。

もし、そんな話すらも信じられないのは今まであなたが「やらない理由を探すこと。」に人生を費やしてきたからだ。

嘘だと思うなら、明日から「やりたかったこと。」を一つ一つ片付けていってほしい。

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