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若者が活き活きできる場づくりの可能性
みなさん、こんにちは。ばいそんです。
なんだか4月なのにもう暑いこの頃。みなさんはいかがお過ごしですか。
さて、今日は「若者の活力はすごいぞ」がテーマです。
若者は活き活きできるんです
自分は以前の記事で、「なんだか活き活きしていない若者」という表現をしました。
しかし先日若者世代を集めて「ボードゲームを使って自分の感情や、それを大切にできる場について考えてみる会」を開いてみたところ、全くその考えは裏切られたのです。
会の最後の時間に「この繋がりの中だからやってみたくなっちゃったこと」をあげてもらいました。(会のお話もしたいのですが、特にこの話が今回はしたく、次の記事でご紹介する予定ですので、ぜひご覧ください!)
私の予想では以下のようになると思っていました。
何も案が出てこない
案が出ても、「こんな場が開かれたらいいな」という誰かがやるのを期待する案が少し出てくる
しかし、実際に蓋を開けてみると…
連鎖的に案が出てくる
その上「私はこれできるよ!」「自分がそれ企画できるよ!」などと自らの力を行使して推進する差し出し力まで出てきた
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ごめんなさい…という気持ちになりました。若者ってこんなに力があるのか、私たちは力があるぞ!と誇らしくなりました。
初めましての場において、「私はこんなことなら協力できるよ!」と差し出すことができるほどのエネルギーが集まったというのが、みんなの繋がりの活力を表現しているような気がします。
活力があるのなら、何故やり始められないのか
でもこんなにやりたいことがあるなら、どうして若者たちはやり始められないのだろうか。
こんな問いが生まれました。そうすると参加者の1人の方がこう言いました。
やりたいことはあっても、やれる繋がりがこの歳になると無くなるんだよね
つながり始めることから始めなければならないハードルがあるのだと、聞いて初めて気づきました。
そして繋がり始めた後に、繋がり続けるということが難しい。
でも繋がりの場があれば若者は「やりたいこと」を実現しようとする力があるのではないか。
ということは、繋がりの場をどう生み出し、どのように持続可能にするかが課題なのではないでしょうか。
その課題を解決する母体としての「家る。」
今回のイベントは「家る。」という名を持って行っています。
名前の由来は、家にいるようにこたつに入りながら話してみたり、部屋でゲームをするように楽しんでみたりして、自分らしく居心地良く過ごせる場づくりをしたいということです。
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そのように過ごしてみることで、何か面白いことが起きるのではないか。元々子どもの頃には誰にも規定されずとも、何かやりたいことがあればやってしまえた、あの力を取り戻せるのではないか。
そんな願いを込めて、一つの家のような土台を生み出したいと思ってイベントを立ち上げました。
私の経験上、イベントというのは主催者と私は繋がる可能性がありますが、参加者同士が繋がり続けられるというのはなかなか難しいです。
家る。では、ひとつの家に参加してくださった人がいて、一緒にいるということより、繋がり続けられる場を目指して、その家をどのようにあり続けられるようにするかを練習、実践し続けるチャレンジがあるのだろう、と今回のイベントを通じて感じました。
そのような母体があった場合には、若者の活力が表現され、世の中に新たな価値として何かが示されるのではないでしょうか。
今回はここで一旦終了にしようと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
あなたは今、どのような気持ちですか?それは何故でしょうか。何か思い出された経験はありましたか。
もしよければお声を聞かせてくださると嬉しいです。
また次回も、イベントについて書きますので、よければご覧ください。